週に一度の楽しみ
週に一度だけ、俺には小さな楽しみがある。
それは、文通だ。
書き上げた手紙を預かり所へと持っていき、鍵を渡して引き出しにしまってもらう。
そしてさらに一週間後、今度はその引き出しから相手の返事を受け取る。その繰り返し。
まるで時間そのものを封筒に閉じ込めて、互いに送り合っているかのような気がしていた。
現代日本の、今らしくないって?
そう言われても仕方がない。
いま俺がいるこの場所は、現代でも、日本でもなかったのだから。
ある日突然、俺はこの見知らぬ世界へと異世界転移をしていた。
何の前触れもなく、気づいた時には湿った土の匂いのする裏庭に立っていた。
「ハル、返事はあったかい?」
そう声をかけてきたのは、この家の主のハンス。
御年八十になるこの老人は、見ず知らずの俺を拾ってくれた恩人でもあった。
「はい、ここに。すごいですよ、今回もこんなに……」
封筒の厚みを指で示すと、ハンスは目を細めて笑っていた。
「これまた、分厚いなあ。なに、時間はたっぷりあるんだ。ゆっくり読むといいよ」
ハンスはこの小さな家に一人で暮らしていて、俺は力仕事を手伝いながら、ここで一緒に生活をしていた。
本当の俺の名前はハルトだが、この国では“ハル”のほうが馴染みやすいそうで、そう呼ばれるようになっていた。
ハンスは、奥さんと息子さんをずいぶん昔に亡くしていた。
それからずっと一人で生きてきた彼は、突然裏庭に現れた得体の知れない俺を、驚くほど大らかに受け入れてくれた。
怪しむことも、追い返すこともなく。
この世界のことも教えてくれて、着るものに、寝床。そして温かい食事を用意してくれた。
そして今、俺はこの世界の文字を習っている最中だった。
「習うより、慣れたほうがいいだろう」
そうハンスが勧めてくれたのが、この文通という制度でもあった。
この世界で、最近流行っているらしい。
始めたのは、ちょうど一月前。
簡単な読み書きと単語がわかるようになった頃、俺はまずハンスに手紙を書いてみた。
『ハンス、いつもありがとう』
それだけの、短い手紙だった。
けれどハンスはそれを読んで、涙を流して喜んでくれた。
「文字というのは、真心を渡すものなんだ。ハル、嬉しいよ。ありがとう」
そう呟いたハンスが、文通というものがあるのだと勧めてくれた。
しかし、この世界の文通は格式高いものでもあった。
登録料や手続きは、俺への未来の投資だと言ってハンスが全て引き受けてくれていた。
ハンス自身も、大昔に手紙のやり取りを通して奥さんと出会ったのだという。
「ハル。間違えてもいい、まずは心のままに思うことを書いてごらん?」
それ以来、ハンスは嬉しそうに俺が書いた文章を添削してくれていた。
挨拶の言い回しを直され、文字の癖を正され。
時折、懐かしそうに微笑みながら静かに見守ってくれていた。
文通には、決まりごとがあった。
自らの身分を隠すこと、居住地や個人が特定されるような内容を書かないこと。
登録している人はさまざまで、友人を探す人や、恋人を求める人、暇つぶしで登録したという人なんかもいた。
そして、誰にも言えない悩みを打ち明けるために登録する人もいるらしい。
俺はハンスの手によって“異国から来たばかりで、この地の文字を学ぶため”といった情報で登録をされていた。
名前は、ハル。年齢は二十代後半。
最初のうちは、興味本位の手紙が何通か届いていた。
中には冷やかしのようなものもあって、俺はハンスと相談をしながら続ける相手を選んでいった。
その結果、二十代から三十代くらいの年齢の三人の男性とやり取りを始めたものの、いつの間にその返事は途絶えていく。
最終的に残ったのは、ある一人の男性だけだった。
名前は、セラ。
俺より少し年上の、三十代の男性。
しっかりと蝋で封をされた封筒に、質の良い白い便箋。
整った文字に、穏やかな語り口。
紋章はないものの、それだけでで、育ちの良さと余裕が伝わってくるようでもあった。
一方で俺の手紙は、ハンスにまとめて買ってもらった少しがさつきのある茶色の便箋で、封をするような蝋もない。
ハンスに教えてもらった通り、水に小麦粉を混ぜた即席の糊で軽く封をするだけだった。
恥ずかしさを覚えながらも、俺は決してこの身分を気にしないと心に決めていた。
それが文通の良いところであり、怖いところでもあった。
セラの手紙はどこか堅く、難しい言い回しや複雑な単語も多かった。
古い辞書を片手に、何度も読み返すこともあったんだ。
それでも、セラは最初から俺の文字の練習を応援してくれていた。
異国出身であるという設定のせいか、この国について質問すれば丁寧に答えてくれてくれることもあった。
『執務に追われ、ハルからの文字を目にすると同時に返事を書き進める術を身につけてしまった』
今、セラは仕事が忙しいらしい。
けれど時折外に出て、風のささやきや草花の香りを感じるだけで、ひどく心が落ち着くといったような内容のことが書いてあった。
「……どこの世界でも、同じなんだな」
そう呟いた時に、この胸が少しだけ温かくなったことに俺は気づく。
不安だらけのこの世界で、いつしかセラとの手紙のやりとりが俺の心の支えにもなっていたんだ。
一緒に暮らすハンスも、もちろん俺には優しくしてくれていた。
けれど最近は咳き込むことが増え、体調を崩すような日も多くなっていた。
セラには、祖父と二人で暮らしているのだと伝えていた。
彼は必ず、俺だけではなく、ハンスのことも気遣ってくれていた。
俺もまた、それを真似してセラの家族を思いやるような言葉を書くようになっていた。
セラは、独り暮らしだという。
家族は健在であるものの、遠く離れた場所に住んでいるらしい。
そして、一つ年上のお兄さんがいるのだということも知っていく。
「この歳で独り身というのは、妻を亡くしたか……。よほどの変わり者かだな」
そうハンスは、笑っていた。
それでも俺は、いつしかセラをかけがえのない友人であると思うようになっていた。
セラの言葉一つで、救われる。セラの文字を目にするだけで、自然と笑顔が溢れてくる。
***
何日もかけて丁寧に返事を書いて、俺はその日、預かり所へと向かっていた。
壁一面に並ぶ、鍵付きの引き出し。
鍵と手紙を渡して、確かに俺の引き出しに収められるのを見届けてから家へと戻る。
週の決まった日に、必ず届くセラの返事。
俺もまた、それに合わせて決まった日に手紙を預けていた。
次は、どんな言葉を交わせるのだろうか。
顔も知らない相手に、これほど心を預けていることが不思議なようで。
それでいて、少し嬉しくもあった。
この世界で、俺のことを知ってくれている人がいる。
それだけで、この世界にいていいんだと思えるようになっていた。
あたたかな想いを抱えたまま、今日も俺は眠りにつく。
一週間後の、その先を夢見て。




