7話 正義執行
二日前──
「橘 隼人……事件……加害者……っと」
柊夜が頑なに口を閉ざしていた“例の事件”を知るべく、ネットで検索をかけた。
すると──意外にもすぐにヒットした。
それは10年前、橘を含む5人の少年が引き起こした殺人事件。
被害者の名は、朝比奈 真昼。
──柊夜の、姉。
世間を震撼させたこの事件は、当時連日報道されていた有名な事件だった。
私も当然、記憶にある。
だが、当時は加害者が未成年だったため名前は伏せられていた。
そのせいで、橘と柊夜の関係にすぐ気づけなかったのだ。
さらに検索を進めると、真昼が死に至るまでの"27日間"の詳細や、この事件を題材にした漫画までもが見つかった。
──……これが、人間のすることなのか?
私は、言葉を失った。
これまで数多の悪霊や怨霊と対峙してきた。
だが、彼らすら──この少年たちの残虐さには及ばない。
平和な法治国家の片隅で、こんな外道が育ったという事実が、何より恐ろしかった。
しかも彼らは、少年院を出たあとも反省の色なく悪事を繰り返しているという。
……もはや、彼らの“悪性”は生まれ持っての"本質”ともいうべきものなのかもしれない。
「いっそ……復讐が終わるのを待ってから供養した方が……」
そんな考えが、脳裏をよぎる。
あんな連中、生かしておく価値などない──。
……はっ。
私は我に返る。
「……ダメだ、それじゃ意味がない……!」
確かに、加害者の命など綺麗事抜きにどうでもいい。
だが──奪ってしまえば、“人殺し”だ。
そんな業を、真昼に背負わせるわけにはいかない。
たとえ今、復讐の達成感に満たされたとしても──
やがて柊夜は気づくだろう。
姉が、人を殺めてしまったという事実に。
そしてそれは、柊夜の人生を静かに、確実に蝕んでいく。
「……やはり復讐は阻止しなくてはならない。
例え柊夜くんや真昼さんに恨まれようとも──!」
この夜、私は決めた。
彼らの魂が、血に染まることのないように。
この除霊に、覚悟をもって臨むことを──そう、誓った。
*****
──誰にも業など背負わせない!
霧子は決意を胸に、柊夜の復讐心が顕現した生き霊──“夜の執行者・エグゼ”を真正面から見据えた。
目の前の存在は、もはや先ほどまでの不安定な生き霊などではない。明確な意志と膨大な霊力を持ち、完全に「戦闘態勢」に入っている。
その霊圧は、霧子のそれを凌駕し、二倍近い強度を帯びていた。
(仕掛けるなら今しかない──)
「──斬るッ!」
霧子は地を蹴り、風を切って間合いを詰める。
手に握る妖刀へ全霊を注ぎ込み、魂を削る一閃を振り下ろした。
「南無── 災業禍祓咒ッ!」
妖刀が閃光を描き、エグゼの胸元へと迫る──その瞬間だった。
ブゥン──!
エグゼの右腕を黒き霊気が包み込み、虚空から突如として大鎌が顕現した。
ガキィンッ!!
放たれた斬撃は鎌によって弾かれ、霧子の体勢が一気に崩れる。膝をつき、地を噛む。
「不意打ちとは実に卑怯!
女ッ、やはり貴様は悪に与する者で間違いなさそうだなっ!
ならば私も容赦はしない。
闇に彩られし大鎌よ──眼前の悪に、正義執行っ!!」
エグゼは身の丈ほどもある大鎌を、まるで紙切れのように軽々と振り下ろした。
ゴォォォォオオオッ!!
周囲に突風が巻き起こる。その風圧は、生き霊が放ったかつての衝撃波に匹敵する凄まじさだった。
「くっ……!」
霧子は一歩退いて斬撃を避けたはずだったが──頬に鮮やかな裂傷が走り、背中から吹き飛ばされた。
「うぅ……たった一人の意思から生まれた生き霊が、ここまで……」
連戦によって消耗しきった身体に、霊力の負荷が追い打ちをかける。
それでも──。
「ここで……倒れるわけには、いかない……!」
霧子は歯を食いしばり、再び立ち上がる。
(接近戦は無理。なら──)
後方へと跳び退き、両手を掲げて霊力を練り上げる。
「南無浄斎神光王── 霊撃・烈衝波ッ!!」
濃密な霊力が形を取り、真っ直ぐエグゼへと撃ち出される。
だが──。
「悪足掻きもいいところだ」
エグゼは無防備に手を前へ伸ばすと、大鎌をゆっくりと回した。
ブォォォ……ン
低く唸るような音が空気を震わせ、霊子が流転する。
次の瞬間、霧子の放った衝撃波はまるで霧が晴れるように掻き消えていた。
波紋すら残さず、空間には静寂が戻る。
まるで──最初から何もなかったかのように。
「そ、そんな馬鹿な……っ」
霧子が驚愕の声を漏らしたその時には、すでにエグゼは次の手に移っていた。
「我が大鎌の斬撃を受けてみよッ!」
エグゼが大鎌をブーメランのように投擲すると、風が裂け、巨大な死の弧が霧子に迫る。
「くっ……!」
回避──それしか選択肢はない。霧子は飛び退いて斬撃の軌道を外した。
──が。
ドンッ!
飛び退いた先に、すでにエグゼの姿があった。
(速い──!?)
10メートル以上あった距離を一瞬で詰める高速移動。
霊子のみによって構成された、肉体の重さを持たぬ存在だからこそなせる離れ業だった。
「贖罪の刻だ。正義の炎よ──我が右手に宿れ!」
エグゼの右手に、霊力が燃え上がる。
それは魂すら焼く浄火。
物理的な熱はなくとも、心の奥底を灼く執念の炎だ。
「避けきれ──ないっ!」
霧子は反応できなかった。
「喰らえ、悪滅拳ッ!!」
魂を撃ち抜く拳が炸裂し、霧子の身体は空中を舞い、地面に叩きつけられる。
「まさか……ここまでの力を持つなんて……」
霧子は呻き、地に伏した。
*****
幼き日の英雄の雄々しき姿を見ていた柊夜は、目を輝かせ、興奮を抑えきれない様子だった。
「エグゼ、俺があの日思い描いた姿そのものじゃないか……」
暴力が正義をねじ伏せ、誰もが見て見ぬふりをするような現実。
そんな中でも「間違っているものは間違っている」と言える存在がいてほしいと、ただ願っていた。
それが、自分の手で描いたヒーロー、エグゼだった。
格好いいポーズ、真っ直ぐな言葉、誰にも屈しない姿勢──全部、自分が欲しかった“強さ”の投影。
それが今、目の前に現実として立っている。
かつて自分の中に確かにあった理想、その結晶が、人の域を超えた力を誇示していた。
「エグゼ、最後にとびっきりの必殺技を決めて──ハッ!」
エグゼの姿しか目に入っていなかった柊夜の瞳に、地に伏す霧子の姿が映る。血に濡れた頬、息も絶え絶えの姿。
その姿に、胸がチクリ──いや、ズキンと痛んだ。
「あ……いや、違う……違うんだ」
──そう、違う。
柊夜が憎むのは、あくまで5人の加害者だけ。
自分を案じ、姉のために力を貸してくれた霧子。
復讐を阻もうとも、霧子は何一つ悪いことはいない。
なのに、自分の意思で生まれたエグゼが、彼女を斬ろうとしている──
それは違う。間違っている。
「さぁ、正義を実行する。覚悟はいいか──」
「くっ……身体が動かない、ここまでか……」
霧子の頭上に、大鎌が振り下ろされようとしていた。
その瞬間──。
「やめろ……やめてくれぇ!」
柊夜は反射的に駆け出し、両者の間に飛び込んだ。
大きく腕を広げ、震える足で立ちはだかる。
顔には汗がにじみ、震える声で必死に叫んだ。
「柊夜……くん……危ないぞ……私はもういい……逃げろっ!」
霧子のかすれた声が警告のように響く。
だが柊夜は首を振った。
「霧子さん……俺は姉ちゃんのために復讐を想う気持ちは変わらない。
でも、霧子さんが傷つくのは……それは、違うんだ……!」
エグゼは一瞬動きを止め、大鎌を下ろした。
主である柊夜の叫びに、従うようにも見えた──だが。
「退け──私の正義は、絶対だ。
遮る者はすべて、同罪。例外はない……!」
その言葉に、柊夜の目が大きく見開かれる。
あれはもう、“自分が描いたヒーロー”なんかじゃない──。
自分の怒りと憎しみを纏い、暴走する“呪い”だ。
「もういいだろ!決着は着いた。
霧子さんはエグゼには敵わない。復讐を阻む障害にはならないってことだ。
だったらもういいじゃないか!ここを離れて、やつらの元に向かえ!
この人は──復讐の対象じゃないんだ!」
必死の懇願。しかし──。
「邪魔をするなら貴様も断罪対象だッ!」
エグゼにとって自信の正義は創造主より絶対なものとなっていた。
振りかざされた大鎌が、柊夜へと振り下ろされる。
「うわぁぁぁぁっ!」
柊夜は目を瞑り、叫んだ。
だが次の瞬間、背後から強い腕が彼を引き寄せ──
首元に冷たい感触が走る。
「これは……やりたくなかったが……許せ、柊夜くん」
霧子が背後から飛び起き、柊夜の首に腕を回す。
そのまま両手で首を絞め、意識を絶たせにかかった。
「なっ、何を……い、息が……かはっ……」
柊夜の瞳が揺らぎ、全身の力が抜けていく。
やがて完全に意識を失ったその瞬間──。
バサリ。
エグゼの大鎌が虚空に落ち、その主の身体から、霊子が溶け出すように揺らぎ始めた。
「グオ……卑怯……もの……がっ……
だが……これは一時凌ぎにしか……ならない……
柊夜が目覚めた……その時──断罪は再開する……ッ!」
悔しげな呻きを残し、エグゼは黒煙のように消えていった。
──ドサッ。
霧子はその場に膝をつき、柊夜の体を静かに地面に横たえる。
あたりは、沈黙に包まれていた。
まるで、何もなかったかのように。
糸が切れたように動かなくなっていた真昼の姿も、いつの間にか消えていた。
「……なんとか、止まったが……くっ……」
霧子は拳を握りしめ、唇を噛みしめる。
「……今回の除霊は、完全に失敗だ」
希望の糸を掴みかけた矢先、それは指の隙間からこぼれ落ちていった──。
柊夜から生まれた生き霊──
“夜の執行者・エグゼ”。
あれは、もはや生き霊の域を逸脱した存在。
自我を持ち、創造主にすら牙を向く。
このままでは、いずれ柊夜の意識から完全に独立し──
一個の“呪詛”として完成されるだろう。