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赦すも処すも、生者次第 #加害者を許すな  作者: ヨウカン
最終章 旅路の果てに、未来は在って…
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76話 力に溺れる者

 霧子は真田を鋭く見据えた。

 その視線に、一切の迷いはない。


 「不動さんから聞いた。真田……お前は、本当に怪異に堕ちたようだな」


 言葉とは裏腹に、霧子の内心には警戒が走っていた。

 視線の端に、先ほど弾き飛ばされ、霧散した禍祓の刀身が映る。


 (……とはいえ、ここまでの力を持つとは)


 真田は、鼻で笑った。


 「堕ちた? 違うな」


 その声音には、以前にはなかった傲慢さが滲んでいる。


 真田は、両腕をゆっくりと持ち上げた。

 まるで、見えない世界そのものを抱きしめるかのように。


 「俺は選ばれたんだよ。

 お前ら凡人とは違う——上等な存在ってことだ」


 その仕草は、力を得た者特有の全能感に満ちていた。

 自分が“何者になったのか”を、誇示せずにはいられない動き。


 (力に、すっかり溺れている……)


 霧子は、そう確信する。


 少し離れた場所で、柊夜は真昼を抱き寄せたまま、二人のやり取りを見守っていた。

 腕の中の真昼は、真田の姿を視界に捉えた瞬間から、小さく首を振り続けている。


 「……やだ……」


 震える声。

 その反応が、すべてを物語っていた。


 (俺は……霧子さんに任せることしかできないのか)


 姉を守れない自分の無力さが、胸の奥を締めつける。


 その時、真田がふいに視線を逸らし、真昼の方を指さした。


 「今の俺はな——朝比奈真昼に用がある」


 悪意を隠そうともしない視線が、まっすぐに向けられる。


 「大人しく帰るなら、今日のところは見逃してやる」


 瞬間、柊夜は反射的に一歩前へ出た。

 真田の視線から、真昼を庇うように立ちはだかる。


 睨み合う二人。


 その間に、霧子が静かに割って入る。


 「そういうわけにはいかん」


 低く、しかし揺るぎない声。


 「お前こそ、今すぐ引くなら……手荒な真似はしないでおいてやる」


 視線が交錯する。

 譲る気配は、どちらにもない。


 ——話し合いなど、最初から意味を成していなかった。



 *****



 霧子と対峙する真田の背後で、霧のような悪意が、ぬらりと蠢いた。


 『……助カッタ……安西サン……』


 粘ついた声が、空間に染み出す。

 吐息のように、耳元を撫でるように。


 『一緒ニ……アノ女……ブチ犯シマショウゼ……』


 その瞬間、空気が一気に淀んだ。

 家に染みついた加害の記憶が、再び息を吹き返したかのような、不快な気配。

 霧子は無意識に奥歯を噛み締める。


 真田は、その声に応えるように、ゆっくりと霧子へ視線を這わせた。

 頭の先から爪先まで、値踏みするように、ねっとりと。


 「……悪くねぇな。ヤっちまうか?」


 その言葉に、悪意の念が歓喜したように震える。


 『流石ダ……安西サン……!』


 次の瞬間だった。


 ズボッ——


 真田の拳が、霧状の悪意へと突き立てられる。

 霧を掴むような動作。

 だが、その腕は、確かに“何か”を捉えていた。


 『……何ヲ……!?』


 悪意の声が、驚愕に歪む。

 霧は逃げるどころか、逆に真田の腕へと引き寄せられていく。

 吸い込まれるように、絡め取られるように。


 「はんっ、俺から生まれた念ならよぉ」


 真田は嗤い、拳をさらに深く沈めた。


 「——俺の糧になりやがれ」


 『クソガァァァァァァ!』


 断末魔じみた叫びを残し、悪意の霧は完全に真田の身体へと吸収されていった。


 だが——静まったわけではない。


 むしろ逆だった。

 霧が消えたはずの空間は、先ほどよりも遥かに重く、濃い悪意に支配されている。


 霧として散っていた悪意が、一点に凝縮された結果。

 そこに立つ真田そのものが、より明確な輪郭を持つ“悪意”として、この場を圧していた。


 「ぅ……」


 柊夜の腕の中で、真昼がびくりと身体を震わせる。

 抱きしめる力を強めても、その怯えは収まらない。

 真田から発せられる刺すような悪意が真昼の魂を今も尚——否、今まで以上に強い恐怖が蝕んでいる。


 霧子は、奥歯を噛み締めた。


 (……最悪だ)


 この家に残る加害者の念を祓い、事件の記憶ごと断ち切らなければ真昼は前へ進めない——

 そんなことは、最初から分かっていた。


 問題は、相手だ。


 (悪意の念だけなら……)

 (禍祓で威圧し、斬り払えば済んだ)


 だが今、それは——真田の中へと取り込まれた。


 より強い霊力を持ち、より濃い悪意を宿した存在へと、再構成されてしまったのだ。


 (怪異化した真田を祓わなければならない……ならないのだが……)


 霧子の胸に、嫌な確信が落ちる。


 彼の背後に蠢く気配。

 それは、ただの悪霊ではない。


 (……"鬼ノ背神")


 かつて、数十人の高僧を動員して、ようやく封じられた大怨霊。

 人の悪意に呼応し、力を与え、飲み込む“災いそのもの”。


 その影を背負った存在と、真正面から相対しなければならなくなった。


 (くっ、こいつを祓うのは困難な極まるな……)


 真昼を救うために必要な“儀式”自体は、変わらない。

 家に染みついた加害者の念を祓い、「もう、ここには何もない」と示すこと。


 だが——

 そのために祓うべき相手が、もはや“半端な悪意”ではなくなった。

 霧子は、静かに息を整える。


 (……引き返せない)

 (ここで退けば、真昼さんは、永遠にこの日に縛られる)


 ならば、やるしかない。

 真昼を、この場所から“救い出す”ために。


 霧子が覚悟を固めた、その時。

 真田は肩を鳴らし、楽しげに口角を歪めた。


 「うっせぇ奴も、いなくなったしな」


 霧子を見据え、にやにやと笑う。


 「除霊女」

 「かかってこいよっ!」


 その声には、確信と挑発が混じっていた。


 「少し前まで人間だった俺を——」

 「お前に、殺れるならな」


 真田は、霧子を見据えたまま、口の端を吊り上げた。

 そこには、警戒も焦りもない。

 あるのは——確信に近い余裕だけだった。


 かつて、一時とはいえ同じ屋根の下で暮らした相手。

 人間だった頃の自分を知る霧子が、ここまで非情になりきれるはずがない。

 真田は、そう高を括っていた。


 「どうした、除霊女」


 挑発するような声。

 霧子は歯を食いしばり、禍祓の柄を強く握り締める。

 指先に力を込めても、足は——前に出なかった。


 (……躊躇うな)


 分かっている。

 相手はもう、人ではない。

 それでも、かつての面影が、刃を鈍らせる。


 「ぐっ……」


 喉の奥から、苦しげな声が漏れた。


 その一瞬の逡巡を、真田は見逃さない。


 「ハンっ! 来ないなら——」


 次の瞬間。


 「——こっちから行くぜ!」


 真田は地を蹴った。

 床が砕けるほどの踏み込み。

 一気に距離が詰まり、視界を真田の巨体が埋め尽くす。


 「くっ!?」


 霧子は反射的に霊力を解放する。

 柄だけだった禍祓から、消え失せていた瘴気が噴き上がり、再び“刀身”の形を成した。


 ——ガァンッ!


 振り抜かれた真田の拳を、禍祓で受け止める。

 だが、その衝撃は想像を遥かに超えていた。


 「そんなもんで——」


 真田は、嗤う。


 「——防げると思ってんのかよォ!」


 拳にさらに力が乗る。

 重圧が、一気に霧子へと押し付けられた。


 「——っ!」


 耐えきれず、霧子の身体が弾き飛ばされる。

 空中で必死に体勢を整え、床に叩きつけられる寸前で受け身を取る。


 ——だが。


 視線を上げた、その先に。

 すでに、真田は拳を振り上げていた。


 「オラァ!」


 避ける間もない。

 霧子は身を捻り、拳を紙一重で躱す。


 「オラオラオラァ!!」


 止まらない。

 連撃。

 拳が、蹴りが、暴力の嵐となって襲いかかる。


 霧子は、全身の神経を極限まで研ぎ澄ませる。

 一撃でも食らえば、致命傷。

 それを理解しているからこそ、動きに一切の無駄はない。


 ——それでも。


 真田は、楽しんでいた。


 「どうしたどうしたぁ?」

 「逃げてばかりじゃねぇか」


 霧子は歯を食いしばり、強く地を蹴る。

 一気に後方へ跳び退き、間合いを取った。


 「いつまで続くかなぁ? あぁん?」


 真田は肩を回し、余裕たっぷりに嗤う。


 全力で生き延びようとする霧子と、遊び半分で暴力を振るう真田。


 その差は、あまりにも明白だった。


 だが——

 霧子の目は、まだ死んでいなかった。


 (動きを、よく見ろ)


 荒い息の奥で、霧子は思考を研ぎ澄ます。

 圧倒的な力の差。

 それは否定しようもない事実だったが、それでも——


 (必ず、どこかに突破口がある)


 真田の踏み込み。

 肩の沈み。

 拳に力が集まるまでの、ほんのわずかな“溜め”。


 霧子の鋭い視線は、それらを一つひとつ捉え、切り分けていた。


 「……生意気な目だな」


 真田は鼻で笑う。

 その声音には、余裕と嗜虐が滲んでいた。


 「だが、そういう目をしてくれねぇと——屈服させる意味がねぇ」


 霧子が突破口を探っていることなど、真田の目には“その程度”にしか映っていない。

 自分が、完全に支配しているという慢心。


 (……間違いない)


 霧子は確信する。


 (油断している)


 ならば——

 隙が生まれるまで、持ち堪えるしかない。


 「よーし」


 真田が、急に声の調子を変えた。


 「休憩終わり♡」


 宣言と同時に、地を蹴る。

 一息で距離を詰め、そのまま真っ直ぐ——霧子へと突っ込んでくる。


 「くっ……!」


 迫る圧。

 霧子は歯を食いしばり、身を捻ってかわす。


 (……だが)


 何度も、何度も。

 避けるうちに——


 (目が、慣れてきた)


 真田の動きが、以前ほど“理不尽”に感じられなくなっている。

 力は依然として桁違いだが、速さも、軌道も——読める。


 「だぁらっ!!」


 強烈な拳が唸りを上げる。

 それを紙一重で躱した、その瞬間。


 霧子の中で、何かが繋がった。


 (……拳を放つ瞬間)


 ほんの一拍。

 力を最大まで乗せる、その刹那。霧子は何かを察した。


 (なるほど……)


 霧子は刀を構え直し、正面から真田を見据える。


 「……はぁ……はぁ……」


 息は上がっている。

 だが、その目は、もはや逃げていなかった。


 「動きが止まったか?」


 真田が、にやりと笑う。


 「疲れたか? へっ……年貢の納め時だな」


 真田は腕に力を集中させる。

 黒い瘴気が、粘つくように絡みつき、拳を覆っていく。


 空気が、軋んだ。


 「終わった——」


 渾身の一撃。

 真田の拳が、霧子を捉える——はずだった。


 「……あぁん?」


 手応えが、ない。


 拳は、虚空を突いただけだった。


 次の瞬間——


 ズバッ!


 一閃。

 禍祓の刃が、真田の腹を横一文字に走る。


 「——ぐふぅっ!」


 真田の口から、苦悶の声が漏れた。


 しかし、裂けたはずの腹には——傷がない。

 血も、流れていない。


 それでも。

 確実に、真田は“効いていた”。


 内側から、魂を抉られるような痛みが、彼を襲っている。

 霧子は、静かに息を整える。


 (……捉えた)


 視たのは、肉体ではない。

 力の流れ。

 魂の動き。


 戦局は——

 確かに、霧子へと傾き始めていた。

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