表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赦すも処すも、生者次第 #加害者を許すな  作者: ヨウカン
最終章 旅路の果てに、未来は在って…
76/82

75話 その手は、確かに

 「姉ちゃん!」


 柊夜は、再び声を張り上げた。

 視界の先にいる真昼は、確かにこちらを見ている。視線は合っているはずだった。

 だが——そこに“応答”はなかった。


 「どうしたの? 大丈夫だよ、俺だよ」


 痛々しい姿を前に、柊夜の胸に焦りが募る。

 一刻も早く、あの場所から連れ出さなければならない。

 そう思った瞬間、彼は無意識のうちに一歩を踏み出していた。


 「……ぃやだ……」


 微かに、拒絶の声が零れる。

 震えるような、小さな声だった。

 だが、その異変を——柊夜より先に察した者がいた。


 「柊夜くん、戻れっ! 今すぐだっ!」


 霧子の鋭い声が、空間を裂いた。

 柊夜は驚き、足を止めて振り返る。


 「えっ……?」


 視線の先、霧子は既にこちらへ駆け出していた。

 その手には護符が握られている。


 「霧子さん、どうし——」


 言葉は、途中で途切れた。

 霧子が柊夜の前に割って入り、真昼と正面から対峙したからだ。


 「いやぁぁぁぁぁぁ!」


 次の瞬間、真昼の喉から絞り出されたのは、悲鳴ではなかった。

 恐怖そのものが形を持ったかのような、咆哮だった。


 ——グォォォンッ!


 叫びに呼応するように、爆風じみた衝撃波が空間を薙ぎ払う。


 「南無浄斎神光王——我が身を守りたまえ!

 封陣・結界符!」


 霧子は咄嗟に左手で柊夜を引き寄せ、右手で護符を地に叩きつける。

 展開された結界が、二人を包み込んだ。


 「ぐっ……!」


 全身の神経を研ぎ澄まし、衝撃を受け流そうとする。


 だが——


 パァン!


 甲高い音と共に、結界が弾け飛んだ。


 二人の身体は容赦なく吹き飛ばされ、床に叩きつけられる。


 「……くっ。柊夜くん、大丈夫か?」


 霧子は即座に起き上がり、倒れ込む柊夜に手を伸ばした。


 「う……大丈夫。平気だよ」


 柊夜はそう言いながら、床に手をついて身体を起こした。

 足取りは決して安定していない。衝撃の名残が、まだ全身に残っている。

 それでも——後退する気配はなかった。


 「すまない……君を危険な目に遭わせてしまった」


 霧子の声には、僅かな悔恨が滲んでいた。


 「気にしないで。覚悟の上で、ここに来たんだから」


 短い言葉だった。

 だが、その声音に迷いはない。

 恐怖を感じていないわけではない。

 それでも退かないと、自分で決めている声だった。


 霧子は、無言で柊夜の顔を見つめる。

 視線の奥にあるものを、確かめるように。


 その瞳には、無謀な強がりではなく、“向き合うことを選んだ者”だけが宿す光があった。


 霧子は、小さく息を吐く。


 「……わかった」


 それは許可ではなく、覚悟を受け取った合図だった。


 その間も、真昼は涙を零しながら、じりじりと距離を取っていく。

 後ずさる足取りは拙く、何度も躓きそうになりながら。

 

 「来ないで……近寄らないで……」


 怯えきった声。

 怒りでも、憎しみでもない。


 「ここから出して……もう返して……」


 その一言で、霧子は確信する。


 (……錯乱している)

 (私たちを“見ていない”。最悪だ……加害者と誤認している)


 霧子は一度、深く息を整えた。


 「南無浄斎神光王——我が想いを届けよ」


 簡素な読経。

 一拍置いて、霧子は声を張り上げる。


 「真昼さん、気づいてくれ!

 私だ——除霊師の神代霧子だ!

 柊夜くんと共に、あなたを助けに来た!」


 その声は、虚空に力強く響き渡った。

 ——だが。


 「ああ……アァァァァァァァッ!」


 真昼の叫びが、すべてを掻き消した。


 (……まだだ)

 (彼女は、まだ“あの日”にいる)


 霧子は歯を食いしばる。


 (“例の事件”の、その最中に——)


 「アァ……アァァァァ!!」


 真昼が、再び声にならない叫びを上げた。


 悲鳴でも、怒号でもない。

 それは——近づくな、という必死な拒絶そのものだった。


 「柊夜くん、私の後ろへ」


 霧子は一歩前に出て、柊夜を庇うように立つ。


 「来る……!」


 瞬間、虚空が歪んだ。

  真昼の周囲から、霊気が溢れ出す。

 それは敵を傷つけるための力ではなかった。


 ——同じ空間に、いたくない。


 その一心が、空気を引き裂く。

 境界を作るために、霊気は細く、鋭く伸びていく。


 結果として、それは——

 刃のような形を取った“拒絶”だった。


 「南無——!」


 霧子は短く唱え、踏み込む。

 衝撃波のように叩きつけられる霊気を、真正面から受け止め、流す。


 だが、終わらない。


 次々と放たれる霊気の刃が、弾幕のように空間を満たす。

 逃げ場を潰すように、前へ、前へ。


 「……っ」


 霧子は歯を食いしばる。

 禍祓には手を伸ばさない。

 否——伸ばせなかった。


 「柊夜くん、一旦距離を取るぞ!」



 二人は息を合わせ、後方へ跳ぶ。

 霊気の刃が、通り過ぎた空間を引き裂くように震わせた。


 「……このままではこちらが危ない」


 霧子は息を整えながら、低く呟く。


 「だが、真昼さん自身が……私たちに気づかない限り終わらない」


 その声からは歯痒さが混じっていた。


 「被害者である彼女を、力で押さえ込むわけにはいかない……」


 霧子は、眉を顰めたまま視線を伏せる。


 「以前のように、何かに操られているのなら、禍祓で引き剥がせた」

 「だが今回は違う……」


 柊夜は、真昼を見つめたまま、震える声で言った。


 「……やっぱり、姉ちゃんに伝えるしかないってこと?」

 「俺たちは……敵じゃないって」


 霧子は、短く頷く。


 「ああ。だが——」

 「呼びかけにも、応じない」


 霧子は、ふっと視線を落とす。


 「……私では、駄目だ」


 その頬を、一筋の汗が伝った。


 柊夜はそれを見て、息を呑む。

 常に冷静だった霧子が、ここまで追い詰められている。


 だが——


 霧子は、ゆっくりと顔を上げ、柊夜を見る。


 「……だが、君なら違う」


 「え……?」


 柊夜が目を見開く。


 「君たちは、仲のいい姉弟だった」

 「深い絆で、確かに繋がっている」


 霧子の言葉は、断定だった。


 「柊夜くんの声なら……届く」

 「それが、唯一の道だ」


 一拍置いて、霧子は続ける。


 「かなり危険だ。

 だが、私が全身全霊で君を守る。

 ……行ってくれないか?」


 柊夜は、迷わなかった。


 恐怖はある。

 だが、それ以上に——姉を一人にしてきた時間が、彼を突き動かしていた。


 柊夜は、真っ直ぐに霧子の目を見る。


 「……もちろん」


 短く、力強く。


 「俺が、姉ちゃんを連れて帰る!」


 霧子は素早く柊夜のそばに寄り、彼のカバンに手を伸ばした。

 中から取り出したのは、数枚の護符。


 「……決まりだな」


 短く告げ、霧子は視線を真昼へ向ける。


 「君は一直線に、真昼さんのもとへ走れ。飛んでくるものは、すべて私が受け持つ」


 柊夜は一瞬、息を詰めた。

 胸の奥で渦巻く緊張と恐怖を、喉の奥へと押し込める。


 「……わかった」


 揺らぎはない。

 決意を宿したその眼差しが、まっすぐに真昼を捉える。


 「よろしく、お願いします!」


 次の瞬間、柊夜は力強く地を蹴った。


 「姉ちゃん! 今、行くぞ——!」


 走り出した柊夜を遮るように、霊気の刃が空間を裂いて襲いかかる。


 「——南無浄斎神光王。我らを、守りたまえ!」


 霧子が唱えると同時に、手にした数枚の護符が宙に舞い、二人を包み込む。

 重なり合った護符は結界を成し、その強度は枚数に応じて掛け合わされ、通常の数倍にまで高められていた。


 霊気の刃が結界に叩きつけられる。

 それでも二人は止まらない。刃を凌ぎ、確実に距離を詰めていく。


 ——ピシッ。


 嫌な音が走った。

 いかに強固な結界であっても、無数に放たれる刃を前に、早くも綻びが生じ始めていた。


 「……っ」


 霧子は歯を食いしばり、自身の霊力を放出する。

 結界の損傷を無理やり補強し、破断を押しとどめる。


 その支えを背に受け、柊夜は——ついに、真昼の目前へと辿り着いた。


 「姉ちゃん。迎えに来た!」


 手を伸ばした、その瞬間。


 「いやぁぁ……来ないで……! もう、いやぁぁ!」


 真昼は泣き叫び、後ずさる。

 拒絶の霊気が、再び膨れ上がろうとしていた。



 「……姉ちゃん」


 返事はない。

 真昼は怯えきったまま首を振り、後ずさる。

 その瞳に宿るのは理解ではなく、恐怖だけだった。


 「俺だよ」


 声を張ることもしない。

 説き伏せる言葉も、正しさも、そこにはない。


 「もう、大丈夫だ」


 けれど、その言葉は届かない。

 真昼の周囲に霊気が集まり始める。

 空間を拒むための力が、再び形を持とうとしていた。


 「——っ、来る……!」


 背後で霧子が察知する。

 次の瞬間、彼女は間合いを詰め、柊夜の背中へ護符を叩きつけた。


 「下がるな! 前だけを見ろ!」


 護符が淡く光り、柊夜の身体を覆う。

 直後、真昼の拒絶が爆発する。

 凝縮された霊気が一気に放出され——爆ぜた。

 拒絶の念が衝撃波となって解き放たれ、空間そのものを押し潰す。


 凄まじい霊圧の爆風が、二人を包み込む。

 柊夜は必死に踏みとどまったが、霧子の身体は抗しきれず、後方へと弾き飛ばされた。


 「——っ!」


 衝撃音とともに、霧子は後方へと吹き飛ばされ、床を転がる。

 結界は柊夜を守り切ったが、術者である霧子自身の防御は間に合わなかった。


 気づけば、その場に残っていたのは、

 柊夜と、真昼。

 姉弟、二人だけだった。


 柊夜は、ゆっくりと息を吸う。


 「……俺さ」


 視線を逸らさず、言葉を探すように、ぽつりと続けた。


 「助けられなかった」


 真昼の肩が、わずかに揺れる。


 「一人にして、ごめん」


 それでも、柊夜は止まらない。


 「死んだ後も……姉ちゃんは、俺のこと守ってくれてたのに」


 喉が詰まる。

 それでも、言わなければならなかった。


 「復讐に染まった俺を、助けてくれてたのに……」

 「俺は……今の今まで、姉ちゃんを助け出せなかった」


 柊夜は一歩踏み出し、真昼を抱きしめた。


 「ずっと、一人で待たせて……ごめん」


 拒絶の霊気が、間近で脈打つ。

 それでも柊夜は、腕を緩めなかった。


 「……でも、もう大丈夫だ」

 「もう、姉ちゃんを苦しめさせはしない」


 その瞬間。

 真昼の視線が、揺らいだ。


 「……しゅ、や……?」


 怯えた声。

 だが、それは拒絶ではない。


 「……柊……夜……?」


 名前を呼んだ、その刹那。

 柊夜の腕の中で、真昼の身体から力が抜けていく。

 荒れていた霊気は完全に静まり、空間を満たしていた重苦しさも、嘘のように薄れていた。


 真昼の身体に刻まれていた痣が、ひとつ、またひとつと消えていく。

 腫れ上がっていた顔は本来の輪郭を取り戻し、歪んでいた表情が、ゆっくりと緩んでいった。


 そして——。


 真昼は、小さく息を吸い、震える声で呟く。


 「……来てくれたの?」


 その声は、間違いなく柊夜の知る姉のものだった。


 柊夜の胸が、きつく締めつけられる。

 答えるより早く、真昼の方から、縋るように腕を回してきた。


 「……怖かった……」


 抱きしめる力は弱く、それでも必死で。

 柊夜は何も言えず、ただ強く、その身体を抱き返す。


 (怖かったよな……)

 (寂しかったよな……)

 (ずっと、一人で……)


 胸の奥から溢れそうになる想いを、柊夜は噛み締めるように飲み込み、額を寄せた。


 「……もう大丈夫だよ、姉ちゃん」


 真昼の身体は、完全に生前の姿へと戻っていた。

 それは、紛れもなく——再会だった。



 *****



 その光景を、少し離れた位置から霧子は見つめていた。

 安堵と同時に、拭いきれない違和感が、胸の奥に残っている。

 霧子は、ゆっくりと周囲を見渡す。


 「……まだだ」


 空間に漂う気配は、完全には消えていなかった。

 床、壁、天井——何もないはずの虚空に、粘つくような霊気が再び滲み出している。


 「……真昼さんを縛っていたものは、まだ残っている」


 家に染みついた、加害者たちの悪意。

 恐怖を押し付け、命を奪い、隠し、なかったことにしようとした——その念。


 それらが寄り集まり、霧のように、じわじわと濃さを増していく。

 静まり返った空間に、不穏な気配が満ち始めていた。


 『出テイケ……ココニハ……何モ無イ』


 霧のように漂う念は、定まった形を持たない。

 だが、その中心には——確かに、濁った悪意が渦を巻いていた。


 「……嫌……」


 真昼は、柊夜の腕の中で小さく身を縮め、震えている。

 柊夜はその身体を包み込むように強く抱きしめ、声の方へと鋭い視線を向けた。


 (霊気の濃度も、出力も、並ではない……)


 霧子は静かに息を整え、腰に下げた“柄だけの刀”——禍祓に手をかける。


 「南無災業禍祓咒……」


 抜き放たれた禍祓が、音もなく顕現する。

 その瞬間、霧子の周囲の空気が変わった。

 悍ましいほどに濃く、重い霊気が、刀身を持たぬはずの刃にまとわりつく。


 (こいつが……加害者の念。

 あの時、真昼さんを追い詰めた——不良少年の残滓なら)


 霧子は一歩、前に出る。

 ただそれだけで、悪意の塊が、わずかに揺らいだ。


 (格上だと、思わせる……

 奴らの言葉を借りるなら——“ビビらせれば”いい)


 禍祓から放たれる瘴気が、さらに濃度を増す。

 それに押されるように、霧状の悪意は、じりじりと後退していった。


 「……やはりな」


 霧子の声は冷え切っている。


 「相手を見て、態度を変える。

 所詮は——弱い者いじめしか出来ない半端者だ」


 『ナ……舐メルナ……』


 声は、明らかに震えていた。


 「強い力の前では、何も出来ない。

 それがお前たちの本質だ」


 霧子は、禍祓を構え直す。


 「……なら、かかってこい」


 一拍。


 「来ないのなら——こちらから行く」


 霧子は地を蹴り、悪意の塊へと一直線に駆け出した。


 「南無——砕」


 禍祓に封じられし本物の“悪”が、半端者の悪を打ち砕かんとした、その瞬間——


 霧子の踏み込みに呼応するように、禍祓の瘴気が一気に解き放たれた。


 ——次の瞬間。


 ガァンッ!


 乾いた衝撃音が虚空に響き渡る。


 「——なっ!?」


 手応えが、なかった。


 霧子の身体は横合いから叩きつけられるような衝撃を受け、宙を舞う。

 咄嗟に受け身を取り、床を転がりながら距離を取る。


 同時に、禍祓から溢れていた霊気が——霧のように霧散した。

 刃なき刀身は、その存在感を失い、空へと溶けていく。


 「……なんだと?」


 霧子はすぐさま体勢を立て直し、前方を睨む。


 「見誤った、か……?」

 (いや……)


 悪意の塊ではない。

 禍祓を弾いたのは、霊気でも術でもなかった。


 ——拳。


 人の拳だ。


 「……真田?」


 霧子の声に、困惑が滲む。

 そこに立っていた男は、ゆっくりと拳を下ろし——口角を吊り上げた。


 「はは……」


 真田は、歪んだ笑みを浮かべる。


 「やっと、辿り着いたぜ」


 その視線は、霧子を素通りし、柊夜をも越えていく。

 そして——

 柊夜の腕に抱かれた真昼へと、ねっとりと絡みついた。


 逃がさないと告げるように。

 獲物を確かめるように。


 「お礼参りの時間だ」


 不穏な静寂が、部屋を支配する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ