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赦すも処すも、生者次第 #加害者を許すな  作者: ヨウカン
第二章 尚も咎を刻む者
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57話 観衆が教えた“恐怖”

 朝比奈 柊夜の生き霊が観衆の呪詛を呼び出した直後、力尽きるように崩れ落ちた。だが、代わりに姿を現した“観衆の呪詛”は、それまでのあらゆる怪異とは比較にならぬほどの強大で濃密な霊力を放っていた。

 奴は虚空から出現するや否や、地下に広がる巨大空間の六割を、まるで地面ごと飲み込むように占拠していた。

 それは──赤黒い巨大な肉塊。

 内側の脈打つ筋繊維が外に露出したまま蠢いている様は"むき出しの憎悪”そのものにも感じられた。

 さらに肉塊の表面には、人の腕、眼球、指、口……体から削ぎ落とされたかのような部位が不規則に張り付くように生えており、一つ一つが別々の意思を持つかのように痙攣していた。

 人の憎念が集まり凝り固まり、形を得たらこうなるのだろうと、誰もが納得してしまうほどの“怨念の現身”。


 力は強いが知性は皆無──だが、それが逆に良かった。儂の言葉も策略も通じぬ愚物なら、呪術的な“懐柔”は容易い。まずは内側に呪印を刻むべく、呼び出せる限りの弍洞穴を一斉に叩き込んだ。あれで倒せるなどとは微塵も思っていない。奴らの本質は“毒”。ひとつでも観衆の呪詛に呑まれさえすれば、その内部で呪いが繁殖し、内側から確実に蝕む──怪異を殺すための、呪殺師にとっての常套手段だ。


 ──だが通じなかった。


 観衆の呪詛は“怪異”である前に、“呪いそのもの”だった。

 弍洞穴の呪いすら、触れた瞬間に奴の怨念へと呑み込まれ、溶かされていく。まるで砂粒を海へ落とすように、痕跡ひとつ残らなかった。


 正攻法が通じず、呪いによる絡め手すら無意味。

 普段の儂であれば即座に撤退を選んでいたはずだ。


 ──だが、この時の儂は違った。


 あれが蠢かせる“莫大な霊力、妖力、そして呪力”──その全てが、儂の目を眩ませたのだ。


 あれさえ取り込めば、儂の術は無限に拡張する。

 使い魔は無尽蔵に生み出せる。

 どんな怨霊や怪異も全て儂の手中に……。


 そんな甘美な未来を一瞬でも思い描いた瞬間、儂の理性は吹き飛んでいた。


 「──怨呪狂宴大災禍……呪力、解放」


 完全に“魅られた”儂は、己の全てを注ぎ込み、あれ──観衆の呪詛──を屈服させるための切り札に手を伸ばしていた。

 そして──


 「長きに渡り蓄えられし呪力の結晶よ……今こそ我が牙となり、眼前の敵を喰らい尽くせッ!」


 着物の裾から、黒く薄汚れた一枚の封札を取り出す。

 それは儂が最も深い闇に封じておいた人工怪異──奇滅羅を解き放つための封札。


 次の瞬間、札が裂け、重苦しい呪気が地を揺らすように噴き上がった。

 現れた奇滅羅は、地を這う影が立体化したような質感をまとい、視界に収まりきらぬほど巨大な蛇躯を持つ怪異。

 途中から三つに分岐し、まるで別々の意志を宿しているかのようにそれぞれがのたうつ。

 枝分かれした三つの先端にはいずれも異なる“顔”があり、空虚な闇を湛えた眼孔をギロリと光らせていた。

 “蛇”という言葉を使うのも憚られる。

 その体内に蠢くのは、各地で非業の死を遂げた者たちの怨念と、霊災で甚大な被害を与えた怪異どもの妖気──無数の“恨み”を練り潰し、呪力として凝縮した化け物だ。


 ホールで解放した最高傑作の奇滅羅すら凌ぐ出力を持ち、儂が生涯で最も呪力を注ぎ込んだ“傑作”。

 しかし同時に、あまりの呪力ゆえに儂でも完全な制御が不可能な“失敗作”でもある。


 一度解き放てば、再び封じるには魂を削るほどの代償が要る──

 儂自身が禁忌と位置づけた、最後の最後にしか使えぬ外法。


 ……それでも儂は迷わなかった。

 いや、あの時の儂には、迷う冷静さなど欠片も残っていなかった。


 呪いに酔い、力に魅せられ、理性の残骸すら味わうように踏みにじりながら──


 こうして儂は、“観衆の呪詛”と真正面から対峙したのだ。



 *****


 奇滅羅が咆哮を放った。


 『グオォォォォォォッ!』


 先に牙を剥いたのは奇滅羅だった。本能の奔流に押し流され、観衆の呪詛が放つ底知れぬ呪力へと、磁石のように引き寄せられて突っ込んでいく。制御不能ではあるが、戦う意思だけは揺るぎない。ならば好都合だ。

 儂は奇滅羅の背へと手をかざし、呪力を無理やり流し込んだ。もとより強大な怪物である奇滅羅が、その過剰な力を纏うことで更なる異形へと膨れ上がり、観衆の呪詛へと襲いかかる。


 赤黒く脈打つ肉塊──それは微動だにしない。

 攻撃の意思すら感じられぬまま、奇滅羅の長大な身体がその塊を締め上げた。無数に生えた腕や眼球が、圧に負けて潰れていくたび、ブチブチ、メリメリと耳障りな音が響く。


 勝てる。

 儂はそう確信した。


 さらに畳みかけるべく、かつて他殺により死んだ者たちの無念を凝縮し封じ込めた、杖状の呪具を取り出す。それを奇滅羅の体躯へ深々と突き刺した。瞬間、奇滅羅の力は更に跳ね上がる。

 もはや儂が命を削っても制御できぬほどの呪力だ。

 それでも、奴が動き出す前が好機。やるしかないと儂は勝ちを急いだ。


 ……だというのに。


 観衆の呪詛の肉塊の奥から、ぞわりと蠢く声が漏れた。


 「……目障リ……邪魔ダ……」


 その言葉と同時に、吐き気を催すほど濃密な呪気が、肉塊の内部から噴き出した。奇滅羅の身体にまとわりつき、粘つく霧のように絡みついたかと思うや、激しい衝撃と共に吹き飛ばす。


 次の瞬間──肉塊から生えた巨大な腕が、音もなく伸びてきた。


 それは狙いを定めた攻撃ですらなかった。

 獲物を捕らえる意図も、明確な殺意も感じられない。


 まるで──煩わしい塵を、本能だけで払う。その程度の動きにすぎなかった。


 肉塊の内部から伸びた巨大な掌が、音もなく振り下ろされる。

 その速さは視認を許さず、世界が一瞬ゆがんだようにさえ見えた。

 そして次の瞬間──


 バチィン。


 軽い破裂音にも似た、乾いた衝撃。

 それだけで、奇滅羅の長い蛇躯は肉塊の掌に叩きつけられ、凄まじい衝撃波と共に砕け散り、霊気となって霧散した。


 霧散した霊気は白く淡く舞い上がっていく。

 儂は、何が起きたのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


 観衆の呪詛が、地響きのような声を響かせた。


 「オ前……

 瀬戸 大地及ビ真田 誠ニ……

 手ヲ貸シタ……悪ダ……

 断罪ヲ……執行スル……」


 その声色には、明らかに“複数の誰か”が混じっていた。

 刺すような殺気が幾重にも重なり、儂の背中を氷柱で貫かれたかのような冷気が走る。


 だが──儂は引けなかった。

 もはや意地だった。


 逃げるべきだと頭が理解しているのに、身体は逆に動き、あの肉塊の怪物へ向けて今まで積み重ねてきた技のすべてを叩きつけた。


 霊力。呪力。法具。呪具。

 そして長年の修行で身につけた術の数々。

 半ばやけになって、儂という人間の人生そのものをぶつけた。


 ……だが。

 それらすべては、“無”だった。


 観衆の呪詛は、動きさえしない。

 叩き込んだ儂の全ては、何の影響も与えなかった。


 再び、声が降る。


 「抵抗……確認……

 反省ノ色……ナシ。

 殺ス……砕ク……斬ル……殴ル……」


 そこで一瞬、声が増えた。

 男、女、老人、若者──幾つもの声質が次々と重なり合う。


 「私は……

 俺は……

 アタシは……

 ワシは……

 貴様ヲ……許サナイ」


 その瞬間、儂は悟った。

 ──これは触れてはいけない。


 儂は生まれてこの方、霊を“怖い”と思ったことがなかった。

 物心ついた頃から視えて、話せて、触れられた。

 話の通じぬ悪霊には霊力でねじ伏せればよかった。

 ──そういう世界を、ずっと生きてきたのだ。


 どんな相手であれ、結局は“力が通じる”。

 その確信があるから霊も生者と変わらぬ同じ次元の存在と認識していた。


 だが──今日、目の前に現れた“それ”は違った。


 儂の持つ技も、呪具も、術も、

 積み上げてきた全てが本当に、一切、届かない。


 力が通じない、という事実。

 底のない闇を覗き込んだような存在感。

 その前に立った瞬間、儂は理解した。


 ──これは次元の違う存在。


 その自覚が胸を刺した途端、

 初めて、心の底から、霊というものを“恐ろしい”と感じた。


 「う……う……ぁぁ……」

 声が漏れた。

 情けない、と思う暇もない。

 恐怖が、理性を削り取っていく。


 観衆の呪詛の肉塊の表層が、ずるりと割れた。

 その隙間から、赤黒い人型の怪異が何人も、ぬるりと這い出てくる。

 そいつらは儂を見るなり、顔を歪めてニヤニヤと嗤った。

 ゆっくり、しかし逃げ場を塞ぐようににじり寄ってくる。


 その時──儂の心は完全に折れた。

 今日、儂は生まれて初めて、"霊に怯え、背を向けて逃げ出した”。



 *****



 ──次の瞬間、床の隙間から噴き出すような濃密な霊気が一帯を満たした。

 相楽が蒼白になって叫ぶ。


 「──奴らが……! 奴らが追ってきた!!」


 床下から這い上がるように、赤黒い人型の怪異が数体、ずるりと姿を現す。


 「観衆の呪詛……」


 霧子は険しい目で吐き捨てる。


 「ひぃぃぃぃっ!!」


 相楽はその姿を目にした瞬間、それまで満身創痍だったとは思えない勢いで跳ね起き、悲鳴とともに部屋から逃げ出した。


 「ちっ、来るならやってやるぞ?」


 不動が拳を固めるが、霧子が静かに腕を伸ばして制した。


 「どうした、嬢ちゃん?」


 「……目線が違う。私たちではなく──相楽を追っている。

 木村を救出した時、奴らの異界で見た“あの状態”と同じだ」


 「なるほどな。獲物以外は視界に入らねぇってわけか」


 霧子の読みどおり、赤黒い怪異たちは霧子たちを一瞥すらせず、

 逃げた相楽の後をぞろぞろと部屋を飛び出していく。


 「……わかってても、ちょっとビビるな、これ……」


 柊夜がわずかに身を震わせたのを見て、霧子はそっとその手を取った。


 「え、霧子さん……?」


 「大丈夫だ。私がついている」


 揺れる声の柊夜に、霧子は短く、しかし確かに言葉を落とす。

 その視線はすでにエレベーターへ向いていた。


 「地下へ行こう。相楽の話が正しければ──柊夜くんの魂はそこにある」


 「おい、ちょい待て」


 不動が手を上げ、二人の動きを止めた。


 「俺は相楽を追う。あいつには吐かせなきゃならねぇことが山ほどある。

 化け物に殺されたらそれも出来なくなっちまう」


 「……そうか。なら別行動だな。了解した」


「あと、頼む。あんちゃんの魂を回収したら、先に車で戻っててくれ。

 後処理に組織の連中を呼ばにゃならん。全部終わったら、俺は電車でのんびり帰るわ」


 不動は親指を突き上げ、豪快に笑ってみせた。


 「任せろ。不動さんも気をつけてくれ」


 「おうよ!」


 不動は相楽の後を追い、廊下の向こうへと消えていく。

 一方、霧子と柊夜はエレベーターへ乗り込み、静かに扉が閉まった。


 ──柊夜の魂は、すぐそこだ。

 最後の局面に備えて、霧子はひとつ呼吸を整えた。

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