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赦すも処すも、生者次第 #加害者を許すな  作者: ヨウカン
第二章 尚も咎を刻む者
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56話 呪いすら餌にする憎念

 ホールの中央。瓦礫と焦げた臭いがまだ漂う中、不動と霧子はようやく腰を下ろした。


 「……ふぅ。マジで疲れたな。後には相良が控えてんのに、なんてザマだよ俺らは……」


 不動は背を壁に預け、震える指で煙草を取り出してぼやく。火をつける手つきにも疲労が滲んでいた。


 「まったくだな」


 霧子も小さく息を吐いた。


 「幸い、この霊気の濃さだ。少し休めば霊力はある程度戻る……が、身体の傷や疲労まではどうにもならん」


 彼女は左脚へそっと触れた。奇滅羅に吹き飛ばされたときに生じた深い痣が、まだ熱を持って疼いている。

 それでも、痛みを押し殺して立ち上がった。

 靄を避けて廊下の奥へと逃げた柊夜を迎えに行かなければならない。


 「そろそろ、もう安全だと……柊夜くんに伝え──むっ!」


 言葉が途中で途切れる。霧子の視線が廊下の奥に吸い寄せられた。


 ──人影。


 こちらへ向かって歩いてくる。

 布を頭からすっぽり被っており、小さな子供が布一枚で“お化け”の真似をする時のような、滑稽で、しかし妙に不気味なシルエット。


 霧子は眉を寄せ、微動だにせず凝視する。


 ……霊気は、ない。

 怪異でも呪詛の残滓でもない。


 ホールへ一歩踏み入れたそれは、頭に被っていた布をパサリと落とした。

 露わになった顔を見た瞬間、霧子の瞳が揺れる。


 「──柊夜くん!?」


 立っていたのは、紛れもなく朝比奈 柊夜だった。


 「霧子さん──!?」


 柊夜は霧子の傷だらけの姿を目にした瞬間、駆け寄ってきた。顔には不安と動揺が浮かんでいる。


 「その怪我……大丈夫なんですか? 不動さんも、酷い……!」


 霧子は小さく笑い、首を横に振った。


 「ふふっ。こういうのは慣れっこだ。それに──まだ君の魂を奪った張本人を捕まえなければならない。休むのは、その後だ」


 「そういうこった!」


 煙草を咥えていた不動が立ち上がり、肩を回しながら二人に歩み寄る。


 「そ、そうなんだ……」


 柊夜は俯きかけた。二人が自分のために戦っている。その事実が胸に刺さり、申し訳なさが重くのしかかる。それでも「休んでください」とは言えない。


 ──欠けた魂の修復期限までタイムリミットは刻一刻と迫っている。


 無力な自分が悔しくて、柊夜は誰にも気づかれないように歯を食いしばった。


 「それより、よく俺らが化け物を祓ったことが分かったな?」


 不動が首を傾ける。


 「奥まで逃げたはずだろ。こっちの姿なんて見えねぇだろ?」


 「いや……実は奥まで逃げようとしたんですけど、行き止まりだったんです。壁が崩れてて、先に進めなくて……」


 「ということは、靄は廊下まで届いていなかった……? いや、そんなはずはない。たしかにこの目で、靄が廊下へ──」


 霧子はそこで言葉を切り、何かに気づいたように目を細めた。

 視線の先には、柊夜が先ほど脱ぎ捨てた布。


 不動もその視線につられ、目を見開く。


 「……そうか。“呪詛返しの衣”か!」


 "呪詛返しの衣”──裏側に呪い返しの符を幾重にも貼り付けた護符布。不動が相良との対峙に備えて用意していた秘密兵器だ。


 「この布のおかげです」


 柊夜は布を両手で持ち上げた。


 「裏地の符が術者に返るなら、裏を外に向けて被れば……迫ってくる呪いも跳ね返せるかなって。とりあえず、やってみたんです」


 二人は一瞬言葉を失い、顔を見合わせた。


 「よく気づいたな、あんちゃん。まさか、こんな使い方があるとはよ……」


 不動は感嘆混じりに鼻を鳴らした。


 「あの状況下で、その判断ができたのか……。柊夜くんに霊能力があれば、弟子にしたいくらいだ!」


 霧子の声には、本気で感心した色が混じっていた。


 「い、いやいや……そんな……」


 柊夜は真っ赤になり、照れくさそうに頬を掻く。


 霧子と不動が微笑み、柊夜が安心したように息をつくと、静まり返っていたホールに、微かな温もりが戻ってきた。


 三人はそのまま、束の間の休息を取るのだった。



 *****



 三人がホールで腰を下ろし、束の間の静けさに身を委ねてから三十分ほど経った頃だった。


 ──ドンッ。


 足元の床板を叩き割るような、途方もない霊気が真下から突き上げてくる。


 「……ッ!?」


 霧子は反射的に立ち上がり、周囲を警戒するように視線を走らせた。

 遅れて立ち上がった不動も、頭を掻きながら険しい表情を浮かべる。


 「っ……!?」


 柊夜も肩を震わせた。霊力のない彼でさえ“何かが起きた”と理解できるほどの圧。


 「この霊力……只事じゃないぞ」


 「だな。相楽の奴、何をやらかしてやがる……」


 先ほどまで漂っていた和やかな空気は、瞬く間に緊張に呑まれた。

 三人は顔を見合わせ、ほぼ同時に立ち上がる。


 相楽が消えていったホール二階の通路へ向かい、扉を押し開ける。


 そこはニ十畳ほどはある広い部屋だった。

 奥には壁一面を覆う本棚。中央にはソファとガラステーブル。その上には電源の入ったままのノートパソコンがぽつんと置かれている。


 見渡す限り、他に扉は見当たらない。

 しかし──入ってきたはずの相楽の姿もどこにもなかった。


 「つまり、また……」


 「また隠し扉?」


 「面倒くせぇな。忍者屋敷かよ……」


 三人が手分けして周囲を探ろうとしたその時。


 ピコン──。


 室内に乾いた電子音が響く。同時に、ゴゴゴ……と低い機械音を立てながら、本棚がゆっくりと左へスライドし始めた。


 「あっ……!」


 本棚の裏側に隠れていたのは、古びた金属製のエレベーターの扉。


「……エレベーター?」


 霧子が眉をひそめる。


 数秒後。


 ガタンッ!


 埃を散らして、エレベーターの扉が開かれる。

 その瞬間、不動が息を呑んだ。


 「さ、相楽……!?」


 エレベーターから這い出るように姿を現した相楽は、もはや“呪殺師・相楽 常道”としての面影をとどめていなかった。


 頭に被っていた烏帽子はどこかへ消え、むき出しの坊主頭には生々しい裂創が走り、そこから血がツーっと頬へ流れ落ちている。

 黒い和装も、まるで獣に引き裂かれたかのようにあちこち破け、裾は擦り切れ、引きずるたびに乾いた音を立てた。

 その歩みも、足を引きずるというより“倒れる寸前の体を無理やり前へ滑らせている”に近い。


 そして何より──その表情。


 深く刻まれた皺がひきつり、顔全体が恐怖でねじ曲がっていた。

 唇は小刻みに震え、瞳は虚ろでありながら何かに怯え、絶えず周囲を警戒するように泳ぎ続けている。


 かつての底知れない威圧感は影も形もなく、今の彼は、嵐の中にひとり取り残された痩せ衰えた老人のようだった。


 「──ッ」


 相楽は不動を見つけた瞬間、膝が折れたような動きで一気に距離を詰め、しがみついた。

 "飛びついた”ではない。

 “縋りついた”のだ。生にすがる溺れかけの人間のように。


 「な、おい……!?」


 不動が咄嗟に胸ぐらを掴んでひきはがす。


 「テメェ、今度は何を企んでやがる?」


 鋭い睨みを叩きつけるが──

 相楽は両腕をぶら下げ、情けなく顎を震わせていた。


 「ひぃ……ひぃぃ……! 乱暴は……やめておくれ……。儂は、もう……君たちに何も……何もするつもりはない……!」


 言葉の途中で呼吸が乱れ、涙と涎を混じらせながら必死に訴える。


 「ただ……ただ、儂を……助けてくれ……っ。

 奴らが……儂を……追って、追ってくるんだ……!」


 「……っ!?」


 不動は困惑した。

 この震えあがる老人が、かつての仲間を皆殺しにしたあの呪殺師──

 そう頭では理解していても、目の前の姿はあまりにも惨めでギャップが大きすぎた。

 

 「不動さん、とりあえず……離してやらないか?」


 霧子の声が落ち着いた静けさを取り戻し、不動は渋々手を離す。


 「……あぁ。それもそうか」


 胸ぐらを放された瞬間、相楽は支えを失い、その場に尻餅をついて倒れ込んだ。


 霧子は一歩前へ出て相楽の顔を覗き込む。

 瞳には怒りも軽蔑も含まれているが、冷静さは失っていない。


 「何があった? 柊夜くんの魂の欠片は無事なのだろうな?」


 背後では、不動が歯を食いしばりつつも相楽を睨みつけ、煮え切らない感情を抱えていた。


 相楽は震える腕で自分を抱きしめたまま、吐き出した。


 「……無事、だ。

 朝比奈 柊夜の魂は……無事だ」


 だが、すぐに続く言葉は声が裏返るほどの恐怖に満ちていた。


 「それどころか……その魂……いや──

 魂の中にいた生き霊が、儂を殺そうと奴らを呼んできた……」


 涙と鼻水を垂らしながら、必死に地面を掴む。


 「お願いだ、儂を……助けてくれぇ……!!」



 *****



 今より少し前のことだ。

 儂は君たちに奇滅羅を差し向けた後、そこのエレベーターでこの建物の地下へと降りた。目的は──朝比奈 真昼の降霊だ。


 実を言えば、君たちがここへ来るより前に一度だけ降霊術を試みている。だが、その時は思いもよらぬ邪魔が入った。

 抜き取った朝比奈 柊夜の魂。その中に潜んでいた“生き霊”が、儂の術を妨害したのだ。


 儂はその生き霊を封じ込めた。封じたつもりだった。


 ──だが。


 再び地下へ戻ったときには、封印は無惨に破られ、奴は儂の眼前に立ち塞がっていた。


 「私は負けない。貴様の目論見を打ち砕くまでは……」


 大鎌を握りしめ、殺気を掻き立てながら儂に飛びかかってきた。確かに強力な生き霊だった。だが、所詮は生き霊。単体では儂の敵ではない。


 「──怨呪狂宴大災禍!」


 読経とともに呪力が放たれ、生き霊は背中に重しを乗せられたかのように膝をついた。

 それでも目の光は消えていなかった。闇の底を睨む獣のような、しつこく粘りつく視線──だが儂は油断した。“たかが生き霊”だと。


 だから奴を呪力で縛り付けたまま、儂は朝比奈 真昼の降霊術の準備を進めた。

 ……今思えば、あれが致命的な判断だった。


 奴は儂の注意が逸れた刹那、うちに秘めていた霊力を搾り出すようにして拘束を引きちぎった。


 「な……に!?」


 「私の力が及ばないなら……やむを得ん。──柊夜くん、すまない。

 私は再び“奴ら”の力を……憎しみの力に手を染める」


 生き霊は大鎌を振りかぶり、空を裂いた。

 ──本当に“裂いた”のだ。地下室の空気が悲鳴を上げるようにねじれ、虚空に亀裂が走り、あちら側から“奴ら”が滲み出した。


 "観衆の呪詛"。

 ネットの憎悪が凝り固まり、朝比奈 柊夜の生き霊に呼ばれた怪物が……儂の前に現れたのだ。


 ──この時点で、儂の破滅は決定してしまった。

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