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赦すも処すも、生者次第 #加害者を許すな  作者: ヨウカン
第二章 尚も咎を刻む者
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55話 断絶の一閃

 妖刀を一瞬だけ解放した反動で、霧子と不動の呼吸は荒い。だが、それを悟らせまいとするように、霧子の双眸は燃える刃そのものだった。焦げつくほど鋭い視線が、煙をまとって燻る奇滅羅を射抜く。

 圧倒的に優位なはずの怪物が、その気迫に押されるように身を震わせ、焼けただれた喉で『ググゥ……』とうなりながら後ずさった。


 不動が小声で囁く。


 「……あれは理性がほとんどねぇ。本能だけで動いてる化け物だ。今は俺らの圧に押されてる──この調子で時間を稼ぐぞ……」


 霧子は目を細め、動けずに躊躇う怪物を見据える。


 「警戒しているな……。こちらの出方を探っている」


 二人は息を整えながら、一歩も動かない。ただ、この廃墟には濃密すぎるほどの霊気が満ちていた。ほんの僅かな時間でも、最低限の霊力は戻ってくるはずだった。

 だが、それは奇滅羅も同じ。

 剥がれ飛んだ瘴気がゆらゆらと舞い戻り、再びその全身を覆い始める。

 そして──霧子と不動は息を呑む。

 つい先程まで炎に灼かれ、皮膚は炭化してひび割れ、もはや“顔”と呼べる輪郭すら残っていなかった上半身の人型が、瘴気のまとわりとともに音もなく再構成されていく。

 黒く崩れた肉片の下からじわりと生々しい赤い肌が盛り上がり、ただの焦げた塊だった頭部に、ゆっくりと目鼻の形が戻っていく。

 そして──再生を終えた瞳が、ぬるりと霧子たちを見返した。


 「……嬢ちゃん。ある程度戻ったら、もう一度いくぞ」


 不動が柄に触れながら告げる。


 「禍祓の瞬間解放……」


 霧子は喉をひとつ鳴らし、覚悟を固めるように息を吸った。


 「あぁ。了解した」


 彼女は禍祓をぎゅっと握り直し、刀身に宿る脈動を確かめる。


 張りつめた沈黙が続く。

 だが、先に動いたのは奇滅羅だった。再び瘴気に纏われた巨体がぎしりと揺れ、ついに尾が跳ね上がる。

 その瞬間、霧子が経を唱えはじめた。禍祓の黒い妖気が一気に膨れ、不動も隣で柄を握り、己の霊力を流し込む。


 奇滅羅の尾が振り下ろされる。

 それに呼応するように、禍祓に宿った妖気が──爆ぜた。


 瘴気をまとった奇滅羅の一撃と、禍祓が解き放つ妖気が真正面から激突した。

 次の瞬間、衝撃が空気を裂き、ぶつかり合った霊気は煙のように霧散して四方へ吹き荒れる。


 「っ……!」


 二人の頬を霊風が切り裂き、床を這う粉塵が巻き上がる。

 視界は白い霧に覆われ、何も見えない。


 霧子は荒い息を抑え込みながら、煙の向こうに視線を凝らす。


 「……やったか?」


 返答はない。

 不動もただ肩を上下させながら、緊張に喉を鳴らした。


 やがて風が収まり、ゆっくりと煙が晴れていく──。


 そして現れた光景に、二人は息を呑んだ。


 奇滅羅の巨躯は、確かに深い損傷を負っていた。

 上半身の人型は血で濡れ、皮膚は裂け、赤黒い血潮が滴っている。

 蛇のような下半身──影でできた巨体は、ところどころ大穴が空き、形そのものが欠けていた。


 だが。


 倒れない。


 むしろ、その歪んだ“顔”には──嘲笑すら浮かんでいた。


 霧子の胸に、深い絶望が押し寄せる。


 「……くっ……」


 ついに膝が床に落ちる。

 禍祓を支える指が震え、腕が上がらない。


 不動も歯を食いしばりながら呻く。


 「嘘だろ……? 今ので削りきれねぇ……のか……? ヤベェ……マジで……」


 彼の額には冷や汗がにじみ、足はわずかにふらついている。


 虫の息となった二人を見下ろしながら──

 奇滅羅は、嬉しそうに、楽しそうに、喉の奥で笑った。


 『ギシャ……ハハハハ……』


 その笑声は、傷だらけの身体から出ているとは思えぬほど、底冷えする響きだった。


 次の瞬間。


 奇滅羅の蛇躯が、ぐにゃりと蠢き、影の肉を裂いて“長い腕”を生やした。

 その腕はまるで触手のように伸び、上半身の人型をがっちりと鷲掴みにする。


 そして──

 乱暴に力任せで、上半身を、引き抜き始めた。


 ブチッ、ブチチッ、メキョ……ッ


 肉が裂け、繋がっていた影が引き千切れる。

 人型の付け根からは赤黒い液体が滴り落ち、蛇躯の影がぬるりと揺れる。


 奇滅羅は何のためらいもなく、痛みすら感じていないかのように引きちぎり──

 ついに、上半身の人型を引き抜いた。


 床に滴り落ちる血の音が、やけに大きく響いた。


 霧子はその光景に戸惑いを隠せず、背筋が粟立つ。


 「……今度は……何をするつもりだ……?」


 奇滅羅の行動の意味も、次に放たれる呪いの方向性も読めない。

 しかし──確実に“嫌な何か”が来る。


 霧子の手が、震えながら禍祓を握り直した。


 奇滅羅の蛇躯が引き抜いた上半身の断面から──

 ドロドロと瘴気が噴き出した。


 それは煙ではなく、液体でもなく──悪意そのものが形を求めて蠢く念の集合体。

 渦を巻き、歪み、引き千切れた肉の縁をまさぐるように広がっていく。


 やがて、瘴気は輪郭を得た。

 長く、細く、しなる曲線。

 そして──蛇の頭部へと収束していく。


 人の顔を失った奇滅羅の首に、瘴気の蛇頭が“新たな顔”として定着した。

 眼孔には空虚な闇が揺れ、舌がチロチロと湿った音を立てる。


 一方、奇滅羅に掴まれたままの“人型部位”も変容を始めていた。

 手の中で瘴気が渦を巻き、腰が、生々しい脚が、ねじれながら生えてくる。


 断面から“下半身”が生まれ──人型は独立した新たな肉塊へと成っていった。


 次の瞬間──。


 「ギャァァァァァァァッ!! も"ゔい"やだッ、やだぁぁァァァ!!」


 ホール全体が震え上がるほどの絶叫。

 先ほどまで嘲笑していた面影は一切ない。

 目は裏返り、顔は恐怖で硬直し、指先まで震えている。


 そのすぐ隣で──

 新たに生えた蛇の頭は、ねっとりと舌を伸ばし、人型部位の頬を舐める。

 楽しそうに。

 弱者を嬲り尽くす捕食者のように。


 両者の反応はあまりにも真逆だった。

 同じ肉から生まれたはずなのに、片方は恐怖の極致に、片方は残酷な愉悦に染まっている。


 霧子は息を詰まらせた。


 「……どういうことだ……?」


 不動も言葉を失い、ただ蛇頭の蠢きを睨む。


 その時、蛇躯は人型部位を鷲掴みのまま振りかぶると──

 容赦もためらいもなく、放り投げた。


 「ギャアアアアアアアアアッッ!!」


 叫びが空気を裂き、宙を舞った身体は──

 着地するより先に、空中で爆ぜた。


 肉片が四方へ飛び散り、腕や脚が壁へ叩きつけられ、骨が砕けて転がる。

 まるでホールを“呪いの供物”として飾り付けるように、四隅へ散っていく。


 蛇頭はそれを見届け──にたり、と笑った。


 その瞬間、散らばった肉片から、じわりと紫の靄が立ち昇った。

 先ほどの青や赤の瘴気とは比べものにならない、濁った怨念の色。


 それは四隅からじわじわと広がり──

 逃げ道を塞ぐように霧子たちへ迫ってくる。

 速度こそ遅いが、その侵食は確実で、逃げ場を削るようにホール全体を覆っていく。


 もはや霧子も不動も、霊力は底を尽きかけていた。

 靄を散らす術などもう残ってはいない。


 不動は喉を鳴らしながら呟いた。


 「バラバラになった身体から出たっつーことは……今度のやつ、触れたら……」


 「瞬間に全身引き裂かれて死ぬ……か?」


 霧子の短い言葉が決定打となった。


 「くそっ!」


 不動は地面を拳で打ちつけた。


 「仇すら取れねぇ……相楽の面を一発ぶん殴ることすら、できねぇのかよ……クソがっ!」


 悔しさに震える拳を握りしめ、不動は歯を食いしばる。


 霧子の視界の端で、靄がホールの外──柊夜の隠れた廊下へ滲むように流れていくのが見えた。


 その瞬間、霧子の脳裏に“焼け落ちる家”の映像が閃光のように蘇った。

 赤い炎。割れる窓。崩れる梁。

 中で倒れたままの弟──霞真。


 『姉ちゃん』


 笑って呼んだ、あの顔。


 そしてもう一つ重なる。


 『霧子さん』


 優しく微笑む柊夜の顔が。


 過去と現在が、脳内でぐしゃりと混線した。


 「……もう失いたくない。嫌だ……死ぬな、柊夜くん……死なないで、霞真……!」


 霧子の声は震え、涙に濡れたようなかすれ方をした。

 その異変に、不動は息を呑んだ。


 「嬢……ちゃん?」


 視線の揺れに気づいた不動の声は、不安と困惑が入り混じっていた。


 「絶対に……今度は絶対に守る!」


 霧子は禍祓を握りしめ、刃を胸元に引き寄せた。


 「南無災業禍祓咒──封ぜられし禍の力……その封印の全てを──」


 禍祓の奥底で蠢く怨霊が応えるように震え、刃が黒ずんだ瘴気を滲ませる。


 「やめろ! 取り返しがつかなくなる!」


 不動が叫び、霧子に飛びつき腕を押さえ込む。


 「邪魔するな! もうこれしかないんだ……! もう……失いたくないんだよ、霞真ぁぁぁッ!」


 霧子はヒステリックな叫びをあげ、不動の腕を振り払おうともがく。

 その姿を、奇滅羅は蛇の頭をくねらせながら、楽しげに眺めていた。


 パンッ──!


 頬を打つ乾いた音がホールに響いた。

 叩いたのは、不動だった。


 「しっかりしろ!」


 不動は霧子の肩を強く摑み、真正面から怒鳴った。


 「お前はあの時とは違う。今まで積んだ経験と得た力があれば、打破できる! まだ時間はあるんだ!」


 「だが……霞真……ちが、柊夜くんは……」


 霧子は震えた声で呟く。視線は靄に向いたまま、焦点が合っていない。


 「それなら大丈夫だ」


 不動は霧子をそっと離し、廊下──柊夜の潜む暗がりへと顔を向けた。

 深く、腹の底から息を吸い込み──


 「──あんちゃん! 靄は呪いだ! 絶対に触れるなぁっ!!

 逃げろ、奥に逃げろッ! あんちゃんに届く前に、化け物は俺らが絶対ぶっ潰す!」


 空気を震わせるほどの大声。

 その響きに、霧子の瞳が小さく揺れた。


 「──わかりました!」


 廊下の奥から返ってきた声は、はっきりとした柊夜のものだった。


 霧子は息を呑む。

 “届いている”。


 「どうだ? あんちゃんは大丈夫だろ?」


 不動は振り返り、親指を立てて笑う。


 「もうちょい一緒に足掻いてみねぇか?」


 「……ははっ。取り乱してすまない」


 霧子は苦笑し、額の汗をぬぐう。


 「最後まで一緒に足掻こう」


 霧子は深呼吸を一つする。そして光の戻った目で再び戦場を見渡した。


 四方から迫る紫の靄。

 バラバラになった人型──腕、脚、胴、そして頭。

 そのどれもがピクピクと痙攣し、頭部は白目を剥き、押し殺した呻きを漏らしている。

 対照的に、奇滅羅の蛇頭は──

 舌をくねらせ、ねっとりと笑っていた。


 (さて……そうは言ったものの、どうすれば──)


 霧子の視線が、ふと“人型の頭”に吸い寄せられた。


 蛇頭とは真逆の反応。

 あの絶叫。

 あの恐怖。

 ──違和感。


 「…………そうかっ!」


 霧子の瞳が一気に鋭くなる。

 人型部位と奇滅羅本体。その間にある“なにもない空間”へ、鋭く視線を走らせ──


 「そこだッ!」


 禍祓を一閃。

 空を斬ったはずの刀身には、確かな“手ごたえ”が返った。


 本来なら何も存在しない場所。

 だが、断ち切ることに特化した妖刀を扱う霧子には見えていた。


 奇滅羅の蛇躯と人型部位──

 その両者を繋ぎ、呪いとして循環させている“因果の糸”。


 両者はひとつの存在ではない。

 ただ、呪いの因果で束ねられているだけなのだ。


 『ググゥ!?』


 霧子の一閃が空気を裂いた瞬間──奇滅羅の全身がビクリと痙攣した。


 呪いの“糸”が断たれたことを、本能で理解したのだろう。

 蛇の頭は狂ったように左右へ振られ、何が起きたのか分からぬまま、焦燥に満ちた眼で周囲を探る。


 一方、ホールに散らばっていた人型部位──

 腕も、脚も、頭も、肉片も、紫の靄をふくみ震えていた“呪いの器”は、ふっと霊気に溶けるように霧散していく。

 束縛が解かれ、どこかへ逃げるかのように……。


 「さすが嬢ちゃんだ」


 不動が鼻で笑い、靄が晴れた空間を見回す。


 「相楽との因果の糸は切れなくても、分裂した怪異同士の因果は別……ってわけだ」


 人型部位が全て姿を消したことで、紫の靄はまるで潮が引くように一斉に消滅していく。


 霧子は肩を落とし、大きく息を吐いた。


 「……何とかなった」


 安堵にわずかに口角を上げ、不動へ視線を向ける。


 「ありがとう。不動さん。あなたのおかげだ」


 「いや、俺はきっかけを与えただけだぜ?」


 不動は肩をすくめて笑う。


 「こんな解決方法を思いつくのも、そもそも実行できるのも嬢ちゃんだけだ。嬢ちゃんは、自分の力で打破したんだよ。……何も出来なかったあの時とは、違うだろ?」


 「そのための力も……あなたの元で身につけたんだ」


 「へっ、その言葉をそこまで真正面から言われたら……素直に受け取るしかねぇな」


 二人の視線が、残された本体──奇滅羅へ向く。


 「後は……こいつだけだ」


 霧子は禍祓を握り直した。


 『グオォォォォォォッ!!』


 奇滅羅が吠えた。

 呪いの手札を失った怪異に残されたのは──突撃。ただそれだけ。


 巨体が床を割り、一直線に二人へ迫る。


 「纏っていた霊力も……随分と落ちているな」


 霧子の声には、先ほどまでの焦燥はない。


 「これなら、力を振り絞れば……」


 「おうよ。さっきから話してた間に、一発入れるくれぇの霊力、戻ったぜ」


 不動は指をペキペキと鳴らした。


 不利を悟った奇滅羅は急に方向を変えホールの窓へ突撃 ──逃亡を図る。


 だが、その巨躯が通れるほどの穴など、ガラス如きに開くはずもなく。


 ──砕け散るのは、奇滅羅の方だ。


 「南無災業禍祓咒──滅ッ!」


 霧子の斬撃が闇の弧を描き、奇滅羅の腹を深々と割る。

 瞬間、妖刀から噴き上がる黒い刃の妖気が、内部へと食い込む。


 「──砕ッ!!」


 続けざまに、不動の拳が突き刺さった。

 狗神の全妖力を宿した渾身の打撃。

 白い霊光が奇滅羅の体内に走り、黒と白が混ざり合って連鎖的に爆ぜる。


 内側から裂け──

 膨張し──

 霊気の衝撃がホールを満たす。


 『アガァァァァァァッ!!』


 断末魔が木霊した。

 奇滅羅の身体は形を保てず、黒い霧となって吹き飛び、消滅する。


 ドサッ──


 霧子はへたり込むように膝をついた。


 「……やった」


 「あぁ……」


 不動も隣に崩れ落ちる。


 ホールは、さっきまでの死地が嘘のように静まり返っていた。

 埃の落ちる音すら、はっきり聞こえるほどに。

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