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赦すも処すも、生者次第 #加害者を許すな  作者: ヨウカン
第二章 尚も咎を刻む者
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53話 月下、呪いは芽吹く

 「嬢ちゃん、来るぞ」


 「あぁ……」


 ホールの中心で、黒い影が脈打つように膨らみ、瘴気が床を這い始める。

 ただそこに“在る”だけで、空気がひび割れそうなほどの圧が場を満たす。


 眼前の奇滅羅を見据える二人は臨戦体制を取る。


 『グオォォォォォォッ!』


 地鳴りにも似た咆哮がホールを満たした。

 奇滅羅が黒い瘴気をまとい、突風のような勢いで突進してくる。


 「や、やばい……」


 襲いくる巨大な怪異に圧倒され身体が麻痺したように動かなくなる柊夜。


 激突までコンマ数秒──その刹那、霧子が柊夜の手首を素早くつかみ、横へと飛び退いた。

 次の瞬間、奇滅羅の爪が床をえぐり、石片が弾け飛ぶ。


 霧子に引かれた方向には、わずかに安全な隙間が残されていた。


 高窓から差し込む月光が、霧子の横顔を照らす。

 凛とした瞳と、揺るぎない気迫。

 冷たい光を受けてもその表情は崩れず、鋼のような気高さを帯びていた。


 「霧子さん……」


 柊夜は動きながらも、視線を奪われて思考が止まる。

 混乱の中ではあるが、心の奥で何かが強く跳ねる。

 危機の只中であるにもかかわらず、その姿が、危機を圧倒する鮮烈さで胸に焼き付く。


 「柊夜くん!」


 霧子の呼び声が、張り詰めた空気を切り裂いた。

 柊夜は一瞬遅れて我に返り、霧子が指す先を見る。そこにはホールへ続く廊下が伸びていた。


 ふたりは一斉に駆け出す。

 背後では、不動が狗神に指示を出し奇滅羅の注意を引き続けていた。

 衝突音と爪の擦過が響き、獣の咆哮が壁を震わせる。


 廊下に入ると、霧子は足を止めた。


 「奇滅羅はこの幅では動けん。ここなら安全だ。……ここで待て」


 静かだが断固とした声だった。

 柊夜は反射的に前へ出ようとするが、霧子は短く首を振る。

 その眼差しは、戦場へ戻る者のものだった。

 強い決意と、柊夜を守ろうとする意思が交じり合っている。


 柊夜は唇を強く噛み、霧子の背を見つめることしかできなかった。

 悔しさと不安が胸に渦巻き、握り締めた拳がかすかに震える。


 霧子は廊下を背にして立ち、深く息を整える。


 「南無災業禍祓咒……」


 霧子は禍祓を強く握り直す。

 禍祓の刀身は月光すら吸い込み、空気が張り詰める。

 その背中には、恐怖よりも使命を優先する者の静けさがあった。


 そして霧子は一切の迷いなく、再び荒れ狂う奇滅羅のいるホールへと駆け戻っていった。



 *****



 ホールに戻ると、不動が荒れ狂う怪異の前から短く息を吐き出し、呟いた。


 「……あんちゃんは安全なところに避難したようだな」


 「あぁ、これで心置きなくやれる」


 霧子は視線を鋭く奇滅羅へ向け直す。

 その視界の端では、狗神が低く唸りながら怪異の尾へ噛みつき、注意を引き続けていた。


 「しかし、今回のは厄介だぜ」


 不動が肩を回しながら続ける。


 「霊力の質も量も、相楽を凌いでやがる」


 その言葉に、霧子の眉がかすかに揺れる。

 昼間、相楽と一戦交えた時は何一つ有効打を与えられなかった。その記憶が脳裏をかすめ、胸の奥で小さな影となる。


 だが不動は、笑うような声でぽつりと言った。


 「……まぁ、案外どうにでもなるさ」


 「……その根拠は?」


 「単純だからだよ。霊力はデカいが、理性がねぇ。動きが直線的すぎる。

 手数で翻弄すりゃ、勝機はいくらでもある」


 不動が片手で円を描くように動かし、奇滅羅の突進軌道をなぞる。

 確かに怪異の突進は凄まじいが、攻撃は荒っぽく、読みやすい。


 霧子は息を整え、静かに言葉を返した。


 「だが、生半可な攻撃では通らん。身体から発せられる瘴気に阻まれ、傷一つつけられんだろう」


 「わかってるよ。……本当はよ、相楽が控えてるから体力は温存したかったんだが、仕方ねぇ」


 不動は大きく息を吸い、決意を固めたように前へ踏み出す。


 霧子もまた歩を進める。


 「私も、ここで温存している余裕はない。……奥の手を使う」


 不動が口角を上げる。


 「そんじゃあ、いっちょ行くとするか──

  来い! ホッチ!」


 呼ばれた狗神が即座に噛んでいた口を離し、不動の足元へ跳び戻る。

 次の瞬間、その身体は白い霊気の霧のように変化し、不動の全身を包み込んでいく。


 「──南無獣霊装身!」


 霧と化した狗神は不動の体内へと吸い込まれる。しかしそれで不動の姿は大きく変わることはない。

 だが、その体から吹き出す白く濃い霊気が、融合が完了したことを示していた。


 霧子もまた、禍祓を構え直し、刀身に視線を落とす。


 「南無災業禍祓咒──……今こそ、その力の一端を解放せよ」


 刀身を包む禍の黒霧が、ぐぐっと濃密さを増し、周囲の空気を震わせる。

 金切り音に似た悲鳴のような響きが、刀身の内側から漏れ出した。


 その瞬間を境に吸い上げられる精気の量がグッと増えた。指先がわずかに痙攣し、霧子の手が震える。

 だが彼女は柄をさらに強く握り込み、その震えを自ら押さえ込んだ。


 禍祓の黒霧が天へ伸び、まるで怪異を喰らうようにうねり始める。


 最初に地を蹴ったのは霧子だった。


 黒霧を纏った禍祓が弧を描き、奇滅羅の巨体に斬撃が走る。斬りつけられた箇所の瘴気が、まるで魚の鱗を剥ぐようにパリ、パリと音を立てて削ぎ落とされていく。


 『グフゥゥァァァッ──!』


 怪異の呻きが衝撃波となってホール全体を震わせた。だが今更この程度では二人は止まらない。


 奇滅羅は怒りに任せ、太い尾を鞭のようにしならせて霧子を薙ぎ払おうとする。しかし霧子は刀身の揺らぎすら残さず、紙一重で身を翻した。


 その背後へ、不動が地を裂く勢いで突っ込んでくる。狗神と融合した肉体は、人の限界を遥かに越えた速度を帯び、拳を振り上げた瞬間にはすでに残像すら置き去りにしていた。


 瘴気を剥がれ、むき出しになった部分へ──不動の拳が叩き込まれる。


 轟音とともに、命中した箇所が内側から破裂するように裂け、大穴が空いた。そこから、黒い靄が噴き出し、煙柱のようにホールへ立ち上る。


 「……身体からエネルギーが漏れ始めてる。いける!」


 不動は手応えに唇を吊り上げ、小さく拳を握った。


 霧子が短く頷く。


 「この方法なら、間違いなくやれる」


 奇滅羅は痛みにのたうち回り、床を叩き、壁を揺らす。噴き出した靄は床を這うように散り、いくつもの塊へと変質し──やがて黒い蛇の影、弍洞穴へ姿を変えた。


 不動が舌打ちし、肩をすくめる。


 「このまま一気にカタをつけたかったが……そう簡単にはいかねぇってか」


 十数体に分裂した弍洞穴が、牙を剥きながら一斉に跳ね上がる。


 霧子は一歩踏み込み、低く構えた。


 「南無災業禍祓咒──滅ッ!」


 刀身へ収束した霊力が膨れあがり、黒霧を巨大な刃に変じさせる。霧子が横薙ぎに振り抜くと、闇の軌跡が閃光のように走り──瞬きする間に、襲いかかった弍洞穴をまとめて消し飛ばした。


 黒い影たちは霧に還る間もなく霊圧に粉砕され、床へと落ちる前に掻き消える。


 「ひゅ〜……やるじゃねぇか」


 不動が感嘆混じりの口笛を鳴らす。


 邪魔者が消えたことで、霧子と不動は一瞬だけ視線を交わし、同時に駆け出した。


 再び、奇滅羅へと刃と拳が向かう──。


 霧子が踏み込み、禍祓の黒刃が弧を描く。狙いは奇滅羅の蛇躯── 地についた巨体の“手の届く範囲すべて”。


 一閃ごとに火花のような霊光が散り、連撃はまるで高速撮影のように寸刻みで刻まれていき、黒い鱗のようにこびり付いた瘴気は面ごと削ぎ落ちていく。


 その瞬間を逃さず、不動がもう一歩踏み込み、露出した部位だけを正確に殴り抜いた。狗神の妖力により強化された一撃は、まるで柱を打ち抜く杭のように食い込み、次々と穴を穿っていく。


 巨体が揺れ、奇滅羅が咆哮した。


 『グアアアアアアッ!!』


 穴という穴から、黒い靄が一気に噴き上がった。

 その濃さは先ほどの比ではなく、瞬く間にホール全体を靄が満たしていく。


 視界が闇に染まる。


 霧子は目を細め、刀身に霊力を込めた。


 「……そもそも、弍洞穴になるのを待つ必要などない!」


 巨大化した刃が振り抜かれると、ホールに満ちた靄が一瞬で左右へ裂けた。

 天井まで届く霊気の圧が衝撃波となって走り、靄に潜む妖気は一息に消し飛ぶ。


 少しずつ消えゆく靄から奇滅羅の尻尾がゆっくりと姿を現す。

 霧子と不動の目の前で、奇滅羅の蛇躯は見る影もなく萎み、鱗のように喰らいついていた瘴気もほとんど剥がれ落ちていた。

 皮膚はひび割れ、霊力の火が肉の奥で揺らぐように弱々しい。


 不動がすかさず声をあげる。


 「やっぱりな……さっきより霊力がガクッと落ちてるぜ!」


 霧子は唇を固く閉ざした。


 (簡単すぎる……。何だ、この胸騒ぎは)


 やがて靄が晴れ、奇滅羅の全身があらわになる。


 ──異様だった。


 人の形をした上半身は、自身の喉を締め上げるように両腕を回し、軋む骨の音が静寂に滲む。

 顔面は死人のように蒼白で、だがその眼だけが生々しく恐怖と焦燥に見開かれていた。


 霧子は思わず息を呑んだ。


 「まさか、自決を──!?」


 次の瞬間、奇滅羅の人頭がひときわ大きく痙攣し──その口元から、青い靄が暴発するように噴き出した。

 霧子めがけて一直線に。


 「嬢ちゃん、離れろッ! ──そいつは呪いだ!」


 不動が叫ぶや否や、霧子の身体を横から蹴り飛ばした。

 不動の蹴りはまるで弾丸のようで、霧子の身体は数メートル後方へ弾かれ、廊下の入口近くまで滑り込んだ。

 代わりに、不動の全身を青い靄が飲み込んだ。


 「不動さん!」


 霧子が叫ぶが、不動は返事もできず喉もとを押さえ、膝をつく。

 不動を包む青い靄は、灯りを反射しない液体のように肌へまとわりつき、吸い込まれるように体内へ侵入していく。


 「……なんだ、これは……?」


 霧子の背筋を冷たい戦慄が走った。


 ホールの空気がきしむ。

 奇滅羅の両目が虚ろに開き、悶える不動を見て不敵な笑みを浮かべていた。


 ──今この時を持って人工怪異・奇滅羅は本領顕現する。

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