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赦すも処すも、生者次第 #加害者を許すな  作者: ヨウカン
第二章 尚も咎を刻む者
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50話 鬼ノ背神

 朝比奈 柊夜を拉致して、俺たちは相楽のジジイを待っていた。

 暇を持て余していた俺は、腹いせに朝比奈をボコることにした。あいつにはこの前散々コケにされたからな。まだまだお楽しみはこれからだ──そんなときにあの女が現れた。神城 霧子、除霊女だ。


 邪魔が入って腹が立った。だがよく考えりゃこいつもこいつで中途半端な除霊をやりやがったせいで、俺たちは未だに化け物に怯えて部屋に篭りっきりだ。ならこの女もぶん殴っておかなきゃならねぇ。そう思って、殴りかかった。


 除霊女は、目つきが鋭くて圧の強い雰囲気を放っていた。だからといって女に負けるはずはないと高を括っていた。戦う前は勝ちを確信していたんだ。だが結果は、予想を裏切るものだった。


 俺の拳は一切除霊女に届かず、最後に顎をもろに喰らって気絶した。我ながら情けねえ負け方だ。


 気が付くと、ワゴンの中だった。もう一人の男、瀬戸が連れてきた"八獄等活會"の男は既に帰った後で車内は運転手の瀬戸、俺、そして相楽のジジイの三人。

 気を失った後のことは瀬戸から聞いた。後から来たジジイが除霊女を蹴散らし、朝比奈を"殺した"という。朝比奈が死んだと聞いた時は、胸の底から安堵が湧いた。生き霊も消える──晴れて自由になれると思ったからだ。


 だが、違った。


 車の中でジジイが低く語り始める。声は静かだが、言葉の重みが辺りを支配した。


 「君は朝比奈 柊夜の生き霊が呪いの根源だと思っているようだが、それは違う。

 あの生き霊も中々強力だが、以前儂が言った"5本の指"に入る怪異はあれではない。問題は、あれが結びついていた観衆の呪詛という巨大な念の集合体だ。

 観衆の呪詛こそ、儂がこれまで見てきた霊の中でも"5本の指"に入る強大な霊だ。その力は正攻法では祓えないほどだ」


 ジジイは続ける。


 「だが、やり方はある。あの青年の生き霊は以前に観衆の呪詛にとっての『代表』のような役割を果たしていた。当事者の念が足りない観衆の呪詛の最後にして最も大切なピースとなっていたんだ。だが、その生き霊は今はいない。そこで儂はあの青年の魂を抜いたんだ。魂を奪い、調教して新たな『代表』に仕立て上げれば観衆の呪詛を制御できる。これで君たちを解放するつもりだ」


 なるほど、ジジイの狙いは"殺す"ことではなく"魂を奪って利用する"ことだったのか。

 死んでもジジイに弄ばれるだけの朝比奈。哀れだが、俺をコケにした報いとしては悪くない。


 そんな話を終え、俺たちは車を降りる。目の前には馬鹿でかい廃ホテル。

 また廃墟かよ、と俺は心の中で呟きながら足を踏み入れた。



 *****



 中は最悪だった。

 海が近いせいか、潮の匂いがカビ臭さと混じって鼻を刺す。不快な臭いが鼻の奥に張りつく。

 足場も悪い。ホテルの備品がそこら中に転がり、床は腐って穴だらけ。何度も足を取られそうになった。


 足場の悪い廊下をひたすら進み、階段を上り下りし、いくつもの隠し扉を潜る。

 どの辺りを歩いているのか、何階にいるのかも分からなくなった頃──ジジイが足を止めた。


 「君たちはここで待機しておくれ。退屈しないよう、テレビや雑誌、Wi-Fiも完備してある。

 儂は少し用がある。何かあれば部屋の電話を使ってほしい。番号はメモ帳に書いておいたからな」


 そう言って、ジジイはどこかへ消えた。


 一応、俺と瀬戸で一室ずつある。訳の分からねぇ場所だが、久しぶりに一人きりになれるのは正直うれしい。

 俺は部屋に入るなりベッドに飛び込み、しばらくの間ダラダラと寛いでいた。


 「…………ぉい」


 誰かが呼ぶ声がした。気のせいだ。きっと瀬戸が隣の部屋でテレビでも見てやがるんだろう。

 布団をかぶって目を閉じた、その時──。


 「…………布団を出よ」


 今度ははっきり聞こえた。

 隣の部屋じゃない。声は……俺の腰のあたりから聞こえる。


 嫌な予感がして布団をめくる。

 ──なんだ、光ってやがる!?


 ポケットのあたりが赤く光っていた。慌てて中を探ると、光の元はジジイから“お守り”として渡された宝玉だった。

 少し前なら「気味悪ぃ」と投げ捨ててたところだが、あのハッシュタグだの生き霊だの見ちまった今となっちゃ、こんなのじゃ驚かねぇ。

 慣れってのは怖ぇもんだな。


 とりあえず、こいつが喋ってやがるに違いねぇ。俺は“宝玉”を耳に近づけた。


 「うわっ!?」


 光が一気に強まり、部屋中が真っ赤に染まる。

 反射的に飛び退いて、ベッドから転げ落ちた。


 「我が名は──鬼ノ背神。男、汝は幸運だ。これより汝を我が器としよう」


 宝玉は宙に浮かび、まるで生き物みたいに声を発した。

 鬼? 神? よくわからねぇが、勝手に出てきて器だなんだと……ずいぶん図々しい野郎だ。


 「男、不服そうだな。不遜な輩だが、今は気分がいい。許してやろう」


 ああ、やっぱり化け物ってのは上から目線がデフォかよ。

 俺は眠りを妨げられた怒りで、近くのタオルを掴み宝玉を包もうとしたが──。


 「ちょ、ちょっと待て!? 我が悪かった。せめて話だけでも聞いてはくれぬか?」


 「プッ……!」


 神を名乗る化け物が急に下手に出やがったもんだから、思わず吹き出しちまった。

 そうそう、それくらい腰を低くしねぇと、人にモノは頼めねぇだろ。


 気分が良くなってきた俺は、暇つぶしがてら、化け物の話を聞いてやることにした。


 「話を聞いてやんよ。でもその前に──“器になる”って、具体的にどういうことだ?」


 「んむ、話を聞いてくれるとは殊勝なことだ。

 汝の問いに答えよう。我の器になるというのは、我と身も魂も一つになるということだ」


 「ふぅん……。で、それって俺にメリットあんのか?

 何もねぇのに化け物と合体なんてゴメンだからな。あと、デメリットも言っとけよ」


 契約ごとをする時は、まず内容をきっちり聞くのが鉄則だ。

 特にデメリットは、こっちから聞かねぇと絶対に相手からは言ってこない。

 今までいろんなジジババを騙くらかしてきたが──都合の悪い話をどれだけ上手くごまかせるかが腕の見せ所だ。

 要するに、俺はその辺の年寄りみたいに簡単には騙されねぇってことだ。


 「汝に対する恩恵は、我の力を行使できることにある。

 具体的に言えば、まず人間の限界を超えた肉体を得られる。

 無双の剛力、如何なる衝撃も弾く頑強な皮膚、致命傷すら無かったことにできる再生力──それらを授けよう。

 さらに神通力をも得られる。触れずに物を動かし、短距離なら宙を舞うことすら可能だ。

 そして何より、莫大な霊力を得られる。……男、汝は今も霊に怯えて生きているのだろう?」


 ──こいつ、俺が化け物に追われてることを知ってやがる。

 霊が言うんだから霊力云々は本当っぽいが、肉体がどうのはさすがに現実離れしすぎだ。

 まぁ、化け物の件はジジイがなんとかしてくれるって話になってるしな。

 正直、この神もどきの言う“メリット”には大して魅力を感じねぇ。


 「じゃあ、次はデメリットだ。

 お前みたいな化け物は、大体“魂を奪う”ってのがお決まりだからな」


 「代償は汝の生命力──正確には“正気”を少し頂く。

 だが安心せよ。寿命が縮むわけでも、魂を削るわけでもない。

 我が頂いた分は、食事などで補える。つまり──食う量が人の倍になる、というだけだ」


 「なるほどな……」


 食費が倍ってのは地味に痛いが、まぁ“化け物を飼う”と思えば妥当な代償か。

 ……とはいえ、今のとこメリットが弱ぇ。ジジイが化け物を祓ったらこいつの力なんて──。


 「汝、今こう思ったな。『相楽が祓ってくれるなら要らない』と」


 ──まさか、頭の中読まれたか? 気味の悪い奴だ。

 だが、話が早くて助かる。


 「そうだよ。ジジイが化け物を消したら、お前なんて用無しだろ」


 「ククク……」


 神もどきは喉の奥で笑う。低く、不気味な音だった。


 「相楽は汝を追う者を祓うつもりなど毛頭ない。

 あやつの目的は、汝にこの宝玉を介して我を目覚めさせること。

 我の覚醒を確認した瞬間、汝など用済みとして捨てられるだろう」


 「……なんで、俺じゃなきゃダメなんだよ?」


 「汝の魂の波長が、我に近いからだ」


 「波長が近い、だと? それはどういう意味だ」


 そう問い返すと、神もどきは口の端を持ち上げた。


 「我は、生前より欲望のままに生きた。生まれつき善意というものが欠落していたのだ。他者の悲鳴に味を覚え、奪い、踏みにじることを悦びとした。貴族という身分に生まれた我は、裏で平民を連れ去り弄ぶのが日課だった」


 ……こいつ、神と言いつつただのろくでなしじゃねぇか。


 「お前、相当クズだな。生憎だが俺はそこまでじゃねぇ。むしろあのジジイの方が似てんじゃねぇの? 何人も呪い殺してんだぜ」


 神もどきは鼻で笑った。


 「あの男は、元は凡庸な人間だった。呪術を重ねるうちに魂が穢れたに過ぎん。人を呪えば穴二つ、どれほど精妙な呪いでも、使えば少しずつ魂を蝕むものよ。相楽の醜さは後天的な堕落だ」

 

 「……じゃあ何だ? 俺は生まれつきクズって言いてぇのかよ」


 思わず声が荒くなる。


 「その通りだ、男。汝の魂を覗いた。平凡な家庭に生まれ、平和な時代に育ち、恵まれた環境の中で、あれほどまでの惨劇を起こしてみせた。これは魂が先天的に穢れている何よりの証拠だ」


 胸の奥がカッと熱くなる。ムカつくのに、否定する気も起きねぇ。

 ……正直、そう言われて妙に腑に落ちたからだ。俺はクズだと自分で認めてるみたいで自分自身にも腹が立つ。

 

 「朝比奈 真昼という女を殺したこと──汝はどう思っている? 後悔はあるか?」


 神もどきの声が、底の見えない闇みたいに静かだった。


 「後悔? あるわけねぇだろ。終わったことじゃん」


 自然と口から出た。考えるまでもねぇ。


 「では、あの女にした仕打ちの数々──どんな気持ちで行った? 本音で答えよ」


 思い出す。抵抗する声、怯えた目。

 最初はムカついて手を上げただけだった。

 でも、途中から違った。反応が面白かったんだ。あいつがどんな顔するか、どんな声出すか。気づいたら、もっと試したくなってた。


 「……まぁ、楽しかったな」


 静まり返った部屋に自分の声だけが響く。

 神もどきは笑っていた。どこか満足げに。

 あぁ、こいつ、俺のことが気に入ったんだなってすぐに分かった。


 ──波長が近い、ってのはつまりそういうことだ。

 こいつは俺を選んだんじゃねぇ。

 最初から、同じ穴の狢だっただけだ。

 

 「でよ、話を戻すけどよ──相楽のジジイが化け物を祓う気なんてねぇってのは本当か? まさか俺を器にするために嘘ついてるんじゃねぇだろうな?」


 宝玉の中の声が、ちょっと誇らしげに答える。


 「そう思うか。だが汝が我を受け取るまで、我は相楽の傍らにおった。あの男の企みも、我は知っておる。先ほど、汝の記憶を覗いたときのようにな」


 なるほど。相楽の思惑を掌握してるってわけか。納得はした。なら次の質問だ——器になったら本当にお前は俺を守るのか?


 「もちろんだ。汝を追う者は我が追い払う。我が力を持ってすれば造作もないことだ」


 言葉は軽くとも、その含みは深い。こいつはわざわざ封印されるほどの化け物だ。しかもその封印は、ジジイでも俺に縋らないと目覚めさせることが出来ないくらい強い封印だ。それはこの神もどきが本物の力を持ってる証拠だ。本当に神かどうかは知らねえが、力があるのは確かだろう。


 「よし、わかった。なら器になってやる。今すぐ力をよこせ」


 すると、宝玉は一転して冷たく応える。


 「ならぬ。今はならぬのだ」


 「何だと? 器にするってんなら力を渡す約束だろうが?」


 「無論約束は守る。だが“今は”与えられぬ。相楽がこの宝玉に呪印を刻んでおるゆえ、今の我はあの男の支配下にある。もし我を宝玉から無理に引き剥がそうとすれば、呪力が働いて我の魂を蝕むだろう」


 要するに、今すぐは無理だと。力が欲しけりゃ相楽のジジイを始末しろ──って話か。


 宝玉はすぐに答えた。


 「汝の理解は早いな。だが相楽を今すぐに始末せよとは言わん。あの男が汝の手に余ることくらい承知しておる。されど、時は来る」


 「時? 相楽が俺に隙を見せる“時”なんて来るのかよ」


 宝玉の光がゆらりと揺れ、低く囁く。


 「そう難しい顔をするな。これから二人、異能を持つ者がここへ来る。妖刀を携し女と霊獣・狗神を従える男だ。女の方は汝が先刻拳を交えた女だな。彼らの力は相楽に届かぬが、疲弊させることはできる」


 「なるほどな。奴らで相楽を削らせて、俺が始末すりゃいいんだ。上等だ」


 「話が早い。我はますます汝を気に入った」


 こいつ、随分と上機嫌だな。だが俺にとっちゃ願ったり叶ったりだ。少なくとも今は、こいつを味方にしておく方が得だ。化け物から逃げ切る確率も上がる。損はねぇ。


 「わかった。お前の頼み、聞いてやる。あと俺の名前は真田 誠だ。忘れんなよ」


 「真田か。心得た。機が熟し刻まで、しばし待て」


 光がするりと消えた。部屋はまた静かになった。

 妙だが嫌なほどに冷静な気分が戻る。これでもしあいつの言った通りの力が本当に手に入れば、何ができるか──想像すると自然と笑いが滲んだ。


 まずは、俺をコケにした朝比奈 柊夜を潰す。後は除霊女──神城 霧子。あいつらに鼻を明かしてやる。組織を盾に俺を見下しやがった瀬戸、こいつもついでに片付けてやるか。


 思考はどんどん連なり、欲望は具体性を帯びていく。だが一番、燃える怒りは──。


 最も憎むべきは、俺から日常を奪った諸悪の根源、朝比奈 真昼。あの女が死んだせいで騒ぎが起き、世間が騒ぎ、化け物が現れた。全部、あの女のせいなんだ。

 とはいってももう死んでるからな……よし、消してやる。存在そのものを、尊厳ごと踏み砕いて跡形もなく消してやる。あの時、あの部屋でしたように……。

 

 胸の奥で、沈んだ歓喜が膨らんでいく。野心がじわじわと口許に変な笑いを生む。


 「ククク……クハハハハ……」


 笑い声はやがて、部屋の隅に吸い込まれていった。

 暗闇の中で、俺の復讐の輪郭がはっきりと定まる。

 俺の復讐は──ここから始まる。

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