3話 想いは呪となりて
「南無──災業禍祓咒!」
霧子の渾身の一太刀が赤黒い者たちを一瞬で塵と化した。
「邪魔者は排除した。次はいよいよ──」
……だが、そこにいるはずの姉の霊がいない。
周囲を見渡す。だが、どこにも気配はない。姿も、影も──影さえも。
「南無浄斎神光王……この地に潜む霊よ、姿を現せ」
念じるように霊子を探る霧子の表情が曇る。霊気はある。だが、それは先ほどよりも遥かに希薄で、呼びかけにも反応はない。
「……すまない、今はこれ以上探れない。あの霊は深く潜ってしまったようだ。改めて供養の機会を設けよう」
霧子は唇を噛み、心の内で呟いた。
(先ほどの“あれ”──あの術に宿る邪気に、怯えてしまったのかもしれない。仕方がない、今は撤退だ)
「……わかりました。今日は……姿を見られただけでも、良かったです」
柊夜の声には落胆がにじんでいた。強がってはいるが、肩は小さく落ちている。
すぐにでも姉を救いたい──その気持ちの強さを思えば、無理もない。
「いてて……」
先ほど赤黒い者に襲われていた男が、頭を押さえながらしゃがみ込んでいた。
「立てるか?」
霧子が手を差し出すと、男は少し戸惑いながらもその手を取る。
「あぁ……すみません。追いかけられた時に頭をぶつけてしまって……」
立ち上がった男の頭部には血がにじんでいたが、どうやら皮膚の裂傷程度のようだ。ただ、足を引きずっている様子を見て、霧子は黙って肩を貸す。
このまま長居すれば、元社員寮にたむろする不良と鉢合わせする可能性もある。
無用な衝突を避けるべく、一行は足早に廃工場を後にし、霧子の事務所へと向かった。
*****
事務所に戻った一行。
姉を救えなかったことに肩を落とす柊夜と、淡々と男の手当てをする霧子。
空気はどこか沈んでいた。
そんな中、男が明るく口を開く。
「助けてもらった上に手当てまで……ほんと、感謝してます。
あなた方が来てくれなかったら、俺、マジで死んでたかもしれませんよ。あはは」
男は爽やかな笑顔を浮かべていた。
「礼には及ばない。……まずは自己紹介からだ」
霧子は椅子に腰掛けながら、静かに口を開いた。
「私は神城 霧子。探偵をやっているが、本業は除霊師だ。
今回は朝比奈 柊夜くんのお姉さんの供養のため、あの工場を訪れていた」
「へえ、除霊師っているんですね……漫画の世界かと思ってた」
「驚くだろうが、事実だ。
ところで、貴方のお名前を伺ってもいいか? できればこの先、協力をお願いする可能性がある。
堅苦しい敬語はやめて、話しやすい口調で構わない。柊夜くんも同じだ」
今回の騒動に巻き込まれたこの男が、どんな経緯で怪異に襲われたのか。
そして──姉・真昼と何らかの関係があるのか。
真相を解く鍵を持つ可能性がある以上、距離を縮めて信頼を得る必要がある。
「普通に……話すの、か……」
柊夜は戸惑いながら、どこか照れ臭そうに言った。
「姉ちゃん以外の年上には、基本敬語だったから……なんか変な感じで」
「霧子さんに柊夜くん! よろしく!」
男は笑顔で手を振ってみせる。打って変わって、その順応の早さが妙に浮いて見えた。
「ああ、俺は真田誠。筋トレとボクシングが趣味で、特技は……まぁ、胸筋動かせるくらいかな。
披露するような場はないけどさ。
前はあの工場で働いてたけど、倒産してさ。今はバイト暮らしって感じ」
受け答えは歯切れがよく、軽快で明るい。
だがそのテンションの高さは、どこか過剰にも思えた。
「自己紹介、ありがとう。……ではさっそくだが、本題に入ろう」
霧子は真っ直ぐ真田を見つめる。
「あの女性の霊や、共にいた怪異に……見覚えはあるか?」
「…………」
真田は一瞬目を伏せ、数秒の沈黙のあと、首を横に振った。
「いや、考えてみたけど特に心当たりはないな……。
襲われたのも、本当に突然でさ。
工場の近くをジョギングしてたら、いきなり後ろから、あのグロいやつに殴られた。
わけも分からず必死に逃げて……元社員だったから、どこに隠れればいいかは分かってたんだよ。
あいつらホントしつこくて1時間以上身を潜めてても執拗に探し続けるんだ。
それついに見つかって……終わった、と思ったら、霧子さんたちが来てくれたってわけ」
状況は理解できた。だが──霊が無関係の人間を襲う理由が、柊夜には受け入れ難かった。
ガタッ!
「そ、そんな……じゃあ姉ちゃんは……関係ない人を襲ったってことかよ!」
柊夜は立ち上がり、動揺のまま叫んだ。
「姉ちゃんは……あんなことする人じゃない! 優しくて、お人好しで、笑顔で……!
あの怪異が操ってたんだよな? じゃなきゃ、真田さんがウソを──」
「落ち着け!!」
霧子が柊夜の両肩を掴み、その目を真っ直ぐ見て言った。
「それ以上は口にするな。……お姉さんを大切に思う気持ちは分かる。
だが、無闇な憶測で人を疑うのはよくない」
一拍置いて、霧子は静かに続けた。
「霊というのは、自我が曖昧で錯乱していることがある。
ほんのわずかな刺激で、周囲の人を襲ってしまうことも珍しくない」
柊夜の視線が揺れる。霧子の瞳に映ったまま、動けなくなっていた。
「……ごめんなさい、霧子さん。……真田さんも……。
俺……最低だ。現実を受け入れられなくて、人を……疑って……」
俯いたまま、柊夜は右手で涙をぬぐった。
「お姉さんに誰も傷つけさせない。そのためにも、私が必ず成仏させてみせる。……共に頑張ろう」
「……はい」
柊夜は小さく頷いた。
その後、霧子は何度も姉の霊の位置を探ったが、依然として気配は廃工場の敷地内に留まったままだった。
「動きがあればすぐ連絡する。今日はここまでだ」
「……今日は本当に、ありがとうございました──
いや、ありがとう。霧子さんも、ちゃんと休んでください」
柊夜は深く頭を下げ、事務所を後にした。
「さて、俺も……そろそろ」
椅子から立ち上がろうとした真田を、霧子の声が制した。
「真田さん、待って」
「ん?」
「貴方は今日、霊に襲われたばかりだ。また狙われる可能性もある。
この事務所には、霊から感知されにくくなる結界を張ってある。
夜は霊の活動も活発になる。お守り程度では心もとない」
「なるほど。……お言葉に甘えさせてもらうよ!」
真田はそう言って、二つ返事で返した。
*****
「今日は大変な一日だったなぁ……。
姉ちゃんの供養を寺に頼むはずが、探偵事務所に行って、そこで霊能力者と出会って──
まさか漫画みたいな除霊バトルまで見ることになるなんてなぁ……」
ベッドにごろりと寝転び、天井を見つめながら、柊夜は一日を振り返る。
「………………。
……そういや俺、霧子さんの前でめっちゃ泣いてたじゃん!
目真っ赤にして鼻水まで垂らして……子供みたいにさ……。
うわぁぁ、思い出しただけで恥ずかしっ!」
遅れてこみ上げた羞恥心に、顔を真っ赤にしてベッドの上でごろごろと転がる。
「そういや、昨日のハッシュタグ……。
霧子さん、“あのニュースには人ならざるものの匂いがする”って言ってた。
ってことは──あの奇怪な投稿と橘の死、やっぱり関係あるよな。
もしかして……姉ちゃんが復讐してる……?
霊は錯乱してることが多いって言ってたし、真田さんを間違って襲ったのかも……。
なら、あの五人──全員消えたら、姉ちゃん……成仏するんじゃ……?」
その顔に浮かんだのは笑み。
一見すると嬉しそうな──だが、その奥には、黒い何かが滲んでいた。
「……だいたい、あんな奴、死んで当然なんだよ。
あいつの家族、悲しんでんのかな?
──はっ、泣いてるとしたら被害者ヅラってやつだな。面の皮が厚いね、まったく」
ガタッ。
本棚から、アルバムが一冊落ちる。
「──あれだけ好き放題して、“事故”や“事件”に巻き込まれた被害者?
冗談じゃねぇ。
姉ちゃんを──俺の心を、ぶっ壊したあいつがさ。
なんであの時、ちゃんと報道されなかった?
名前を出して言えよ──橘隼人、こいつは──
"人殺し"
だってな……!」
──プツン。
突然、テレビが勝手についた。
「ま、死に方だけは褒めてやるよ。殴られて、焼かれて、骨の髄まで壊されて──
痛かったか? 怖かったか? 姉ちゃんの気持ち、少しは分かったか?
……いい気味だよ。あと四人だ。
お前と同じ目に、いや、それ以上の地獄を味わえばいい……」
柊夜は、もはや周囲の異変にも気づかず、呪詛のように言葉を吐き続けた。
「血を流せ、臓物撒け、誰にも同情されず、汚物みたいに死ね……
クズどもは死ぬ価値すらねぇ。死体蹴ってやりてぇ、この手でな──
姉ちゃんが復讐するなら、俺は力を貸す。
念が必要なら念じる。寿命が必要なら──好きなだけ持っていってくれ。
復讐の一端を……俺にもやらせてくれ。
一緒にやろう、最後まで──やり遂げよう──」
ピシッ……ピシッ……
『奴らへの復讐を!』
──ガシャアァン!!
窓ガラスが音を立てて割れた。
「うわっ! なんだっ!?」
柊夜は尻餅をつく。
気づけば、部屋はめちゃくちゃだった。
テレビは勝手につき、本棚からアルバムが落ちて写真が散らばり、窓ガラスは砕け散っている。
「……ジ、しゅ……あ"バ……」
テレビが何かを映し出し、音声のような呻き声のようなものを発する。
「な、何!? テレビが……なんで? リモコン、どこだ──ギャッ!」
リモコンの周りに、アルバムから飛び出した姉の写真が散らばっていた。
だがそれは、顔が腫れ上がり、原型を失うほど傷ついた姉の姿ばかりだった。
しかも、どれもが──こちらを見ているように思えた。
「ぁ……ぢ……ガ……ぶ……ぅぅ……」
テレビ画面にも、傷ついた姉の顔。
画面越しに、苦しげな、途切れ途切れの声が漏れる。
「ハァ……ハァ……なんて酷い……
あと四人死ねば……姉ちゃんの苦しみも……終わるのに……」
そのとき、霧子の言葉が脳裏に蘇る。
『──なんて、昔の除霊師なら言うだろうがな。
でも安心しろ。君がお姉さんを想う気持ちさえあれば、十分だ』
「そうだ、“想う気持ち”。
俺は──
俺は、姉ちゃんが復讐を遂げられるよう、願い続ける!
俺は、復讐を想い続ける!!」
「そして──」
「姉ちゃんの魂が、俺の声に応えてくれる──そう信じてる」
──その言葉は、霧子の優しき励ましを呪いに変え、
柊夜自身もまた、知らぬ間に“加担者”となっていくのだった。
*****
──廃工場前──
人気のない廃工場の入口。そこに、一人の男が立っていた。
男の名は──桐谷 翼。
一見すれば普通のサラリーマンにしか見えないが、かつては違った。
「……はあ。あれ以来、足を洗って真面目に働いてきたのに。就職して、結婚して……子どもだって生まれた。順風満帆だったのに……」
小声でぶつぶつと愚痴をこぼす。
その表情には、明らかにこの場所に来たくなかった気持ちが滲んでいる。
「……安西さん、今さら何のつもりだよ。ずっと連絡もなかったくせに、急に呼び出して……。でも、断ったら何されるか──うわっ!?」
ガツン!
背後から何かが振り下ろされ、桐谷の悲鳴が夜に響いた。
振り返る間もなく、バールのようなもので頭を殴られる。
「いってぇ……っ、誰だよ……ぐっ!」
バギッ!
反撃する間もなく、複数の男たちが彼に襲いかかる。
殴打、蹴り、金属音。暴行は一方的だった。
「や、やめろっ……お願いだから……ッ!」
ゴンッ! ドスッ! ガン!
──しかし、桐谷の声は誰にも届かない。
「チッ、手こずらせやがって。けどまあ、これで一人五万はうめぇな」
「こいつを倉庫に運べば終わりか」
「カメラ、ちゃんと設置しとけよ。忘れんな」
「うっわ、完全に忘れてた。ヤベ」
桐谷の手足をガムテープで縛り、不良たちは笑いながら倉庫へと連れ込んでいった。
──倉庫内──
──暗い倉庫の床。
そこで桐谷は、ゆっくりと目を覚ました。
「……ぐっ。頭、痛ぇ……どこだここ。くっそ、埃くせぇな……」
身体を動かそうとして、異変に気づく。
「……なんだよ、動かねぇ……っ!? 手足が……縛られて……?」
目が暗闇に慣れるにつれ、倉庫内の様子が次第に見えてくる。
そして──彼は、**“それ”**に気づいた。
「な、なに……う、うそだろ……?」
倉庫の奥に、赤黒い人影が五つ。
そのうちの一体が、ニタリ……と不気味に口角を持ち上げた。
「ふ、ふざけんな……なんだよアレ……!」
さらに、ゆっくりと──
「……フタリメ……キリタニ……オマエ、ダ……」
赤黒い者の一体が、手を伸ばし、桐谷の頭を掴もうとする──。
「や、やだ……やめろ……誰か、助けて……!」
桐谷は必死に身体をくねらせ、床を転がって逃げ出そうとする。
そのとき──何かにぶつかった。
「いってぇ……な、に……? ひ、人……?」
そこには、一人の女性が立っていた。
セミロングの髪、ぼんやりと前を見つめて動かない。
「た、助けてくれ……お願いだ……!」
その懇願に、女がゆっくりと顔を下に向けた──
次の瞬間、桐谷は絶叫する。
「ひ、ひぃッ!! 化け物……!」
顔は腫れ上がり、血に塗れ、形も定かではない。
だが──それでも桐谷は気づいてしまった。
「……お、お前は……あの時の……ッ!」
絶望の中で、断片的に過去の記憶が蘇る。
「ち、違うんだ……! 俺は悪くない!
止めたかった……止めたかったけど、安西さんが……! あいつが怖かったんだ!
俺だってすぐにでも助けたかった、信じてくれ!
もう反省して更生して、ちゃんと働いてて、家族もいて──!」
ガシッ!
後ろから、赤黒い者が脚を掴み──ずるずると引きずっていく。
「いやだっ、やめろ、誰かっ!」
「……イイワケ……セキニンテンカン……ハンセイ、ゼロ……ダイジョウブ……ワタシ……オナジニ、ナルダケ……」
女はただ、無表情に桐谷を見下ろし──
やがて、にぃ……と笑った。
「や、やめて……やめてくれぇぇッ!」
床を這い、もがく桐谷。
その手足は擦れて傷だらけになりながらも、ついには──赤黒い者たちと共に闇へと消えた。
──某所──
──しばらくして。
設置されたカメラの映像を、一人の男がじっと見ていた。
「……桐谷も消えたか。あの女の霊、やはり奴か……。ふん、呼んでおいて正解だったな」
彼は画面を閉じ、スマホのDMを開いた。
> 第二の加害者・桐谷 翼
> 制裁開始
貼られたリンクをタップすると、涙を流し捕まっている桐谷の写真が映る。
その表情は、完全に絶望の淵にいた。
「ふん……これでしばらくは安全だな。
あの女が“あの化け物”を潰してくれれば、こっちは無罪放免ってわけだ……」
男は小さく笑い、DMを閉じた。




