31話 呪われたDVD
俺は木村。ちょっとワルだが一線は踏まない慎重派ってやつだ。
ヤバそうなことはうまく仲間にやらせて、俺は安全なとこから見ている──それが俺のスタンス。
──ま、最近はその仲間も死んじまったけどな。松野、ちょっとムカつく奴だったが、いなくなると妙に静かで……せいせいするもんだな、マジで。
そんな俺には人に言えない秘密がある。三度の飯より女の悲鳴が大好きっていう倒錯した性癖だ。
美しかったものが苦痛に顔を歪ませ、身体は壊され、最後には形を失っていく……そういうもんに惹かれるんだ。
ニッチなジャンル故に供給が少ないっていうのが世の常で、普段から欲求をどう発散するかに困ってたんだが、最近その問題も解決した。
何故なら俺の好みにドンピシャなDVDを手に入れたからな。
それはまさに──神映像。
そんな貴重なものを流してくれる真田さんは、マジで神だ。
とまぁ、いつものように意気揚々とDVDを観てお楽しみタイムを満喫してたんだ。
──それなのに気づいたら。
気がつくと、部屋の空気が変わっていた。
白かった壁は、じわじわと血を吸ったみたいに赤黒く染みていき、積み上げた段ボールはいつの間にか膨れた肉塊みたいな物体に置き換わっている。
更に鼻にツンとくる、鉄と腐敗が混じったような匂いも漂ってくる。
「……なんだ、これ」
テレビだけは変わらず前にある。DVDも普通に回ってる。
それがかえって異質で気味が悪ぃ。
……俺はこの風景を知っている。
少し前に松野を嵌めてバケモノの餌にした時──あの時も、同じように景色が歪んでいった。
廃墟が赤に染まり、松野は悲鳴と共に異界へ呑み込まれていった。
「……やばい。やばいやばいやばい」
汗が止まらない。心臓は破裂しそうに脈打ち、喉が砂利みたいに乾く。
ただ映像を見ていただけだ。貰ったDVDを再生してただけだ。
先程からテレビが勝手に動いてるのも気になって、裏に手を回した。
──コードが、切れている。
それでも画面は明るく、映像を流し続けていた。
ぞわりと背中を何かが這い上がってくるような感覚に襲われ、俺はもう一度、正面を見た。
「……っ!?」
次の瞬間、画面が視界に飛び込んできて、心臓が喉を突き破りそうになった。
先ほどまでの“お楽しみ映像”は消え失せ、代わりに、画面いっぱいに、何かが押し当てられていた。
皮膚が剥け、乾いた繊維が露出し、ただの「顔の形」を保っているだけのモノ。
それが、こちらを見ている。
……無音のはずなのに、耳の奥でかすかな呻きが響いてくる。
胃がひっくり返るような吐き気に襲われ、俺は口を押さえた。
「うっ……ぶふっ……ヴォエェェッ!」
胃の中身をぶちまけた。それでも吐き気は収まらない。
吐瀉物と一緒に、内臓そのものまで吸い出されるような感覚。
俺という存在を丸ごと搾り取ろうとする、底なしの悪意がそこにあった。
心臓が、逃げろと喚き立てる。
俺は走った。がむしゃらに、喉が裂けそうなほど息を荒げながら。
けれど──景色は変わらない。
いくら足を動かしても、赤黒い壁と腐りきった床が続くだけ。出口なんて影も形もない。
「ど、どうすりゃいいんだよ……」
声は自分の口から出ているはずなのに、遠くから木霊して返ってくる。
途方に暮れ、反射的に振り返った俺は……息を呑んだ。
そこにあったのは、肉片を寄せ集めて形を作ったような赤黒い化け物。
十体ほど。どれも目があるはずの場所に穴がぽっかりと開き、口だけが裂けるように笑っている。
背筋を氷柱で貫かれたみたいに汗が一瞬で引いていき、代わりに骨の髄まで冷たい悪寒が走った。
*****
──霧子は急遽、神城調査室を離れ、ある依頼に応じていた。
依頼人は木村 楓子という若い女性。兄が『DVDを見てから動かなくなった』と泣きながら訴えてきたのだ。
「兄を助けてください。クズな兄だけど……それでも私のお兄さんなんです。
昔は優しくて、よく一緒に遊んでくれて……辛い時は、真剣に話を聞いてくれたんです」
震えながら吐き出す言葉に、霧子の脳裏には別の姉弟の影が浮かんだ。
(兄を慕うこの女性も……兄を失えば、きっと柊夜くんのように深く傷つく)
「さあ、中へ──」
楓子に促され足を踏み入れた途端、霧子は思わず眉を寄せた。
刺すような霊気。冷たい霧が骨の髄を浸してくるような圧が、家の奥から絶え間なく溢れている。
「……これは、只事ではないな」
奥へ進むごとに空気が濃くなる。喉に鉛を流し込まれたような重苦しさを押し切って、一番奥の部屋の前に辿り着いた。
「思った以上に……強い霊気だ。事前に霊力酔いの対策をしておいて正解だったな」
扉を開ける。
そこには抜け殻のように床に横たわる木村の姿があった。
顔色は死人のように白く、唇からは微かな息が漏れているだけ。耳を澄まさなければ呼吸すら気づけないほどだ。
「兄は……助かるのでしょうか?」
楓子が縋るように問いかける。瞳は涙で揺れ、今にも崩れ落ちそうだった。
「あぁ……大丈夫だ。生きているのなら、救う手段はある。
あなたがお兄さんを想う気持ちさえあれば、十分だ。私に任せろ」
力強い眼差しに、楓子は言葉を失い、ただ頷いた。
だが霧子の胸の内では冷たい危機感が渦を巻く。
(仮死状態……猶予は少ない。急がねば、取り返しがつかなくなる)
木村の体からは、肉体と幽体を繋ぐ薄い糸──シルバーコードが伸びていた。
その先は、部屋の隅のDVDプレイヤーへと吸い込まれている。
「……原因は明白だな。調べるしかあるまい」
霧子はリモコンを握り、再生ボタンを押した。
──映し出されたのは。
『痛い……痛い痛い! やめて……お願い、もうやめてっ!』
血の気の引いた顔で泣き叫ぶ真昼。肌には痣と傷跡が無数に刻まれ、全身が絶望で覆われていた。
そして、フライパンを手に狂気の笑みを浮かべる男たち。
──真田たち、事件の加害者。
「なんか……すごい声がするけど……兄は、どんなDVDを──」
「駄目だッ、見るな!」
霧子は即座にテレビの前に躍り出て、電源を叩き切った。
楓子の目を覆うように立ち塞がり、その瞳に焦りを浮かべる。
「えっ、えっ……?」
戸惑う楓子に、霧子は低く言い放った。
「これは呪いのDVDだ。見た者を喰らい、魂を絡め取る……!
ここから先は危険すぎる。楓子さん、あなたはすぐ外へ!」
(駄目だ……あんなもの、女性に見せられるはずがない。
私ですら、僅かに目にしただけで胸が抉られるほどの嫌悪感に襲われた。
呪い云々以前に──精神を破壊する毒だ。まして、慕う兄がこんなものに魅入られていたと知れば……)
楓子を部屋から退出させると、霧子は額の汗を袖で拭った。
吐き気すら覚える。だが、核心は掴んだ。
──呪いの出所は、間違いなくこのDVD。
そして背後に蠢くのは、断罪を続ける観衆の呪詛。
(法具を失った今、本来なら依頼は断っていたところだが──)
霧子はおもむろにカバンから柄だけの刀を取り出した。
「隠れ潜む異界をこじ開ける力、今こそ我に──封ぜられし禍の力、今ここに顕現せよ。
南無──災業禍祓咒!」
黒く悍ましい力を帯びた霧で形作られた刃、それを虚空に向かって振るう。
斬撃が無を裂いた軌道に沿い、空間が悲鳴を上げるかのように避け、その傷口はじわじわと広がっていった。
(真昼さん……ここにいるのか? どうか、どうか無事でいてくれ)
霧子は軽く目を閉じて天に祈る。
「うっ──!?」
やがて小さな裂け目は、人一人が通れるほどの大穴へと変貌する。
そこから吹き出したのは、ただの風ではなかった。
凍えるように冷たく、皮膚を削ぎ落とすような鋭さを帯びた突風。
怨念そのものが形を持ったかのように、荒れ狂いながら部屋を薙ぎ払う。
積もった紙類や家具は宙に舞い、軋み、打ち付け合い──異界から漏れ出す霊気が部屋の形を歪めていく。
中からは、複数の声なき呻きが重なり合って響いてきた。
怒り、憎しみ、呪い──その全てが混ざり合い、肉声ではないはずなのに耳の奥を直接叩きつけてくる。
観衆の呪詛。間違いなく、そこにいる。
「……さて、ここからが本番だな。気を引き締めねば、命はない……」
霧子は覚悟を胸に、自ら地獄へと足を踏み入れるのだった。




