22話 我が死を演じよ
「うぅ……ぐぅ……」
朝日を拒むように薄暗い駐車場に、チンピラたちの呻き声が散らばっていた。
コンクリートの上に転がるのは人、人、人。血と汗と吐瀉物の臭気が混じり、まるで修羅場の残骸だ。
その中心に立つのは、一人の青年。
ついこの間まで頼りなく、少年のあどけなさすら残していた朝比奈 柊夜。
だが今そこにあるのは──怒りと憎しみに呑まれ、堕ちた、人の形をした怪異だった。
「……これが俺の力か。……素晴らしい」
目を細め、自らの拳をうっとりと見つめる柊夜。
その様子を横で見守る生き霊・エグゼは、まるで育てた怪物が花開くのを待っていたかのように口角を吊り上げる。
「う、うぅ……ば、化け物……」
呻きながら立ち上がったチンピラの一人が、蜘蛛の子を散らすように背を向け逃げ出そうとした。
──が。
次の瞬間、彼の眼前に柊夜の顔があった。
視界が揺らいだのか、心臓が止まったのか分からない。とにかく、ほんの瞬きの刹那に距離を詰められていた。
「なっ……どうして!?」
驚きに腰を抜かし、その場に尻もちをつくチンピラ。
柊夜はゆっくりと腕を伸ばし、その頭を鷲掴みにした。
「……どうして俺を狙う?」
低く、重く響く声。
その気配にチンピラの全身が総毛立つ。顔面蒼白、滝のように汗が流れ落ちる。夏の蒸し暑さなど関係なく、寒気に震えて全身の鳥肌が浮かび上がる。
声を出そうにも喉が凍りつき、口だけがパクパクと魚のように動いた。
「…………わかった。三分だけ待ってやる。その間に落ち着け」
柊夜は無造作に手を離す。
その瞬間──。
バチィィィッ!!
背後から電撃が走った。倒れていたはずの別のチンピラが、スタンガンを柊夜の背に突き立てていたのだ。
「や、やったか……!?」
手ごたえを感じ、額の汗を拭ったチンピラ。だが。
柊夜は──倒れない。
「……悪あがきが過ぎるな」
振り返った瞳は血のように紅く、細く裂けた猫のような瞳孔が闇の中で妖しく光る。
その目を見た瞬間、背後のチンピラは心臓を握り潰されたかのようにその場で崩れ落ちた。
「邪魔はなくなった。さぁ……改めて問おう。なぜ俺を狙った?」
再び頭を押さえ込まれ、チンピラは痙攣するように震えながら懇願した。
「ま……待ってくれ……!口が……開かねぇ、少しだけ……頼む……!」
──数分後。
全身から吹き出す汗もようやく収まり、かすれた声が漏れ出す。
「……ふぅ……。お、お前には二百万の懸賞金が掛かってんだ」
「……懸賞金?」
「そうだよ! いわゆる闇バイトってやつだ。首吊らせて、写真撮るだけで二百万。……ひ弱なガキだと聞いてたんだ、なのに……っ。こんなバケモン相手だなんて聞いてねぇ……!」
半泣きで吐き出される言葉に、柊夜の胸中で何かが弾けた。
「俺を……殺すために……」
その瞬間、脳裏に鮮烈な声が甦る。
『あんた、さっき言ってたじゃん? 『生き霊は、それを生み出した人間と一心同体』……ってな。
だったら──その人間ごと、殺しちまえばいいんだよ』
事務所で聞いた真田の声だ。
「……真田か」
血走った目がさらに細くなる。
唇の端を吊り上げ、柊夜は呟いた。
「……絶対にそうだ」
怒りに震える柊夜だったが、すぐにその手を押さえ込み、ゆっくりと口角を吊り上げた。
「最初の復讐対象は真田にする。……今までの悪行を、いや──この世に生まれ落ちたこと自体を、後悔させてやる」
言葉と同時に、駐車場全体に冷風のような気配が流れ込んだ。
気温が一気に数度下がったように感じ、チンピラたちは思わず身を竦める。背筋に氷柱を差し込まれたような悪寒に、歯の根がカチカチと鳴った。
「決まりだな。私は奴らの魂の色を把握している。だから居場所も分かる。安西──真田なら、君と初めて出会ったあの廃工場にいる」
エグゼは手を広げ、小躍りするように語る。まるで待ちわびた饗宴が近づいたかのように。
しかし柊夜は俯き、しばらく黙り込む。十数秒の沈黙の後、再び目を開いたとき、その瞳には血走った光が宿っていた。
「一つ訊く。お前たちが金のために俺を狙ったのは分かった。だが──どうやって殺すつもりだった? ナイフで刺す? そんなのはすぐ警察に嗅ぎつかれる」
柊夜の問いに、チンピラの喉がひくつく。怯えた顔でポケットを探り、小瓶を取り出した。
「こ、これだ……」
震える声。瓶のラベルには"クロロホルム"の文字。
「眠らせて……縄に首を突っ込ませて窒息させる。……お前ン家でやりゃ、自殺に見せかけられる。だから、俺らは事前に家の近くで張ってたんだ……」
「……なるほどな」
柊夜は一歩近づき、無造作にチンピラの手から瓶を奪い取った。
「ちょっ……な、なんだよ!?」
「エグゼ。確認しておきたい。今の俺は……首吊りで死ぬか?」
虚空に語りかける姿は、チンピラから見れば完全に狂人だった。
けれどその"狂気"が現実に仲間を圧倒し倒してきたのだと分かっているがゆえ、笑い飛ばすことなど到底できない。目を見開き、息を呑むしかない。
「君の死は、私の死じゃない。そして私の死は、君の死じゃない。……生死の境目はとうに消えている。
だから柊夜くん──君は既に、“人間のルール”の外側にいるんだ」
「なるほど、安心したよ」
柊夜は静かに笑みを浮かべ、瓶の液体をハンカチに染み込ませた。
そしてそれをチンピラへ突き出す。
「……やれ」
「……は?」
チンピラの顔は呆然と固まった。理解が追いつかず返事もできない。
柊夜は苛立ったように舌打ちする。
「やれって言ってんだよ! 分かりやすく言おうか? 薬で俺を眠らせて──予定通り、俺の家でこの首を吊れ。鍵はポケットに入ってる。勝手に使え!」
言葉に合わせて近づいてくる柊夜の気配に、チンピラの体が勝手に震える。
反射的に首を何度も縦に振ったが、柊夜の眼光はなお信用していない。
「逃げたら許さない。どこに逃げても──必ず見つけ出して、死よりも恐ろしい目に遭わせてやる」
その声は、呪詛そのものだった。
普段なら虚勢だと鼻で笑っただろう。だが目の前にいるのは、多人数をたった一人で制圧し、スタンガンも効かず、瞬きの間に目の前へ現れた"化け物"だ。言葉の一つ一つが刃のように胸へ突き刺さる。
「わ、わかった……! 言われた通りにする、必ず……。だ、だから──終わったら、二度と俺に関わるな……!」
裏返った声で、震えながら承諾する。
「……なら、さっそくだが──やれ」
差し出されたハンカチを、チンピラは震える手で受け取る。
そして無抵抗に顔を差し出す柊夜の鼻へ押し当てた。
「……うっ……」
数秒後。柊夜の瞼が重く閉じ、糸が切れたように崩れ落ちる。
*****
約半日後──。
すっかり日が暮れた。だが、この廃工場に「静寂」という言葉は似合わない。ここは夜になると、東京中から集まった不良やチンピラどもが抗争を繰り広げる、騒乱の巣窟。
今日もまた二つの暴走グループが火花を散らし、工場の外は歓声と怒号が入り乱れる祭りのような喧騒に包まれていた。
その様子を“自宅同然”の元社員寮の窓から高みの見物し、酒を煽りながら鼻歌を口ずさむ男が一人。真田である。
「あのガキの始末も済んで、久しぶりに夜を自由に歩ける。……当たり前のもんは失ってみて初めてその大切さに気がつくってな」
笑いながら掲げたスマホには、一枚の写真。
天井の梁から伸びるロープに首を吊り、だらりと垂れ下がる柊夜の姿が映っている。それは依頼した"仕事"が無事完了したことを意味していた。
「兎にも角にも、あいつは死んだ。俺は自由だ。……さぁ、明日からどう遊んでやろうかね」
祝杯代わりに酒を一気飲みする。その瞬間──。
バリンッ!
室内に飾られた法具の一つが、突如として粉々に砕け散った。
「……チッ、面倒くせぇ。まぁ、後で片づけりゃ──」
軽く頭を掻き、再び酒に目を向けようとしたその時。
バリンッ!
今度は隣の法具が爆ぜるように割れた。
終わりではない。
バリン、ジュッ、パキパキ、パリン……!
音の連鎖は止まらず、まるでドミノ倒しのように次々と法具が砕けていく。
壁に貼られていた護符は小さな焦げ目から煙を上げ、みるみるうちに燃え広がって灰と化す。
「な、なんだよ……どうなってやがる!? あのガキも、あの生き霊も消えたはずだろ……!」
プツン──。
電灯が落ちた。闇が部屋を覆う。
それだけではない。窓の外から聞こえていた暴走族の怒号も、さっきまでの喧騒も、一瞬で消え失せていた。世界から音が奪われたように。
「クソッ……見えねぇ……! たしか、この辺に──」
手探りで懐中電灯を掴み、スイッチを入れる。
「……ひ、ひぃっ!」
光が照らした先に、いつの間にか人影が立っていた。
数え切れない修羅場を越えてきた真田ですら、喉の奥から悲鳴が漏れそうになる。
「どうしたんです、真田さん? 早く帰らないと……霧子さんが心配しますよ」
暗闇に響いたのは、聞き慣れぬはずの声。
──いいや。聞き慣れてはいる。だが、この世にはもう存在しないはずの声。
「う、うるせぇ……なんでテメェがいやがる! 何のトリックだ!? ……クソッ、あいつらか! 死んだのを確認もせずに……。 適当な"仕事"しやがったなっ!?」
虚勢を張るように吠える真田。
目の前の存在を認めたくない。なぜなら、それは──。
「俺ですよ。柊夜です」
懐中電灯の光を浴びて立つのは、首に紫色の痕を残したままの青年。
死人のように白く冷たい肌、虚ろに光る紅い瞳。笑っているのか、怒っているのか判別のつかない顔。
「さぁ……真田さん。行きましょう」
死んだはずの朝比奈 柊夜が、そこに立っていた。




