17話 醜悪な共鳴
「安西さん、お疲れっす」
「安西は捨てた名前だ。今の俺は真田だ。……入るぞ」
夜も更けた頃、真田は喫茶スワローテールで木村と落ち合った。
堂々とした真田に対し、木村は腰を低くしてニヤニヤと一礼。二人は並んで店内へ足を踏み入れる。
「いやぁ、夜にカフェが開いてるなんて思わなかったっすよ」
「ああ、“夜カフェ”ってやつだ。若い連中に流行ってるらしい。酒もあるし、静かに話すには丁度いいだろ?」
店内は柔らかい照明が落ち、ソファ席がゆったりと並んでいる。
酒が出るとはいえ、居酒屋の喧噪とは無縁の、落ち着いた空気が漂っていた。
真田はソファにどっかり腰を下ろし、まるで自宅のように寛ぐ。
一方、木村は真田の前でやや緊張を滲ませていた。
「さぁ真田さん、これが松野の最期を記録した映像っす。……どうぞ、お納めください」
「……おぅ」
木村が差し出したスマホを受け取り、真田は動画を再生する。
画面の中では松野が追い詰められ、悲鳴を上げていた。
真田は愉快そうに口の端を歪め、その様子を食い入るように見つめる。
「楽しそうっすね」
木村もまた、同じようにニタニタと笑みを浮かべた。
「散々イキってた奴が情けねぇ悲鳴を上げる──このギャップがたまんねぇんだよ」
「ああ、わかりますよ。アイツ、いつもデカいツラしてましたからね。俺もスカッとしました」
「お前……なかなかいい趣味してんじゃねぇか。案外、気が合うな」
「いやぁ、俺なんか真田さんに気に入られて光栄っすよ。これからもご贔屓に」
静かな店内に、不釣り合いな下品な笑い声が響いた。
恐怖と絶望の瞬間を、まるで面白い漫才でも見るかのように味わう──醜悪な波長がぴたりと重なり、店に入った時の木村の緊張はすっかり消えていた。
「ところで木村。俺は“松野がバケモンに異界へ引きずり込まれて、完全に姿が消えるまで”を撮れって言ったよな?……これは途中で終わってるように見えるが?」
真田の声色が低く落ち、視線が鋭くなる。
先ほどまでの和やかな空気が一転し、木村の額にじわりと汗が滲む。
「そ、それは……部屋の空間が変になって、このままじゃ俺まで飲み込まれそうだったんすよ。それに、俺が飲み込まれたら松野が無事捕まったかどうか、真田さんに報告できないじゃないっすか」
先ほどまでのニヤつきは消え、必死な表情で弁明する木村。
真田はしばし黙って木村を見つめた後──
「……クク、クハハ……アッハハハハ!」
突如として爆笑し始めた。
豹変ぶりに木村は目を丸くする。
「そりゃそうだな。お前まで捕まっちまったら元も子もねぇ。……あれだけ地獄みてぇに侵食された空間から、逃げられるわけがねぇだろうよ」
「で、ですよね……」
怒っていないと分かると、木村は安堵の息を吐き、汗を拭った。
真田は胸の前に掛けたボディバッグのジッパーをガッと引き開けた。中には札束やタバコの箱、安物ライターが雑に突っ込まれている。
その中から一万円札を束ねた札束をつかみ出し、重みを確かめるように片手でポンと持ち上げた。
「ほら、約束のモンだ。受け取れ」
無造作にテーブルへ放ると、札束はドスッと鈍い音を立てて止まった。
厚みからして四、五十枚はある。
「へへ……ありがとうございます」
木村はそれをニヤついた顔で拾い上げ、懐にしまい込んだ。
そして少し間を置いてから口を開く。
「それで、真田さん。例のDVD、あれは俺がそのまま貰っちゃっていいんすか?」
手に持ったディスクケースを、妙にねっとりとした仕草で撫でる木村。
真田は眉をひそめた。
「ああ、データはコピーしてある。……しかし、お前ほんとに嬉しそうだな。まぁ、あの女で遊んだ時は確かに楽しかったけどよ」
「真田さんは分かってないっすよ!」
木村は急に立ち上がり、机に手をついて前に乗り出した。
「俺、普通のじゃ満足できねぇんすよ! 可愛い女の綺麗な身体が壊れていく──あれこそ最高なんす!
美しかったものが痛みに歪み、汚され、壊される。最期には面影すら残らない……もはや芸術っす!
今あるAVもハードなのはあるけど、どうしても演技っぽくてダメだ!
俺の目は肥えてるから、すぐ見抜いちまう。
でもこれは違う。これは──ホンモノだ!このDVDには俺の理想が全部詰まってる!
これから俺は存分に満たされる……最高の報酬をありがとうございます!
真田さん、一生アンタに着いていくっすよ!」
両手を広げ、欲望を放出するようにまくし立てる木村。異様なテンションだが酒は入っていない。
そんな木村とは対照的に真田は冷めた目でそれを眺めていた。
「……お前、マジで気色わりぃな。さすがにドン引きだわ。
……でもまぁ、これからも頼むぜ」
二人はしばらく雑談を交わした後、喫茶店を後にした。
*****
強い雨が叩きつける深夜の路地を、真田は口笛を吹きながらのんびりと歩いていた。用事は済み、“神城調査室”へ戻るところだ。
日付はとっくに変わり、三時間以上が経過している。
事務所で待つ霧子に対して「心配かけて悪い」とか「遅くなってすまない」などという殊勝な感情は、この男には微塵もない。
だがふと、立ち止まり小さく呟く。
「……あの除霊女に、バケモンの動き方でも教えといてやるか」
真田が知る中で最も役立つ情報──“霊は加害者を確保してから殺すまでの間、完全に消息を絶つ”──。
それを知らない霧子は、何度も“定位の経文”で居場所を探し続けていた。
情報を知れば、無駄を省き再出現への備えに専念できる。
理想は、再出現するまでに除霊や封印の手を打つことだが……一度除霊に失敗したと聞かされている今、その望みは薄いと踏んでいた。
「そういや、DMの確認してなかったな。松野があのまま捕まってるなら、もう五時間近く経ってる。そろそろ“無様な写真”が送られてきてる頃だ……」
何気なくポケットからスマホを取り出し、DMを開く。
──瞬間、真田の顔から余裕の笑みが剥がれ落ちた。
「……は? 嘘だろ……どうなってやがる……」
画面をスクロールする指が止まる。
DMの新着は、ゼロ。
「……来てねぇ。1件も……!」
傘の下でも、額には冷や汗がじわりと滲んでいた。
続けてタイムラインも確認する。
「おかしい……いつもなら妙なタグと一緒に“制裁案募集”ってふざけた投稿がいくつもあるはずだ。
それが……ゼロ……? まさか……あの野郎、バケモンから逃げ切ったのか!?」
周囲に人影がないのを幸い、大声を上げる。
胸の奥で、嫌な予感が鈍く膨らんでいく。
「……マズい。下手すりゃ次は俺が狙われる……。あの除霊女、一度除霊に失敗してやがる。
なら──先に消すしかねぇ」
真田は胸に掛けたボディバッグのジッパーを荒々しく開け、札束の脇に押し込んであった黒いプリペイドスマホを引きずり出した。
電源を入れ、無機質な待受を指で弾く。
雨音の下、淡々と依頼文を打ち込む。
【急募/高額案件】
対象:成人男性1名(写真添付)
条件:48時間以内に行動不能にすること。手段不問。事故・自殺に見える形を推奨。
報酬:200万円/人(成功後即日手渡し)
前金なし。途中での連絡不要。完了証拠(現場写真)必須。
詳細は受諾後に送信。無能・通報厳禁。
「……よし。これで金に釣られた馬鹿どもが動く。ガキを消して、馬鹿どもはそのまま警察に捕まってくれりゃ俺はノーダメだ」
書き込みを送信すると、真田はプリペイドスマホを地面に叩きつけ、踏み砕く。
砕けた破片が雨水に混じって流れていった。
「柊夜くんよ……過去に縋って粘りやがって、本当に鬱陶しいクソガキだったぜ。
お前ら姉弟との腐れ縁も、これで終わりだ」
吐き捨てるように言い、真田は夜の闇へと溶けていった。




