15話 咎の素顔
「……やっぱり、まずいよな。
これ、普通に窃盗だし……」
柊夜は部屋の真ん中で立ち尽くしながら、唸るような声で独り言を漏らした。
手に持っているのは“柄だけの刀”──霧子が除霊の際に使う呪具であり、彼女の切り札。
その名は“妖刀・禍祓”。
昼食時、霧子が席を外した隙を狙い、柊夜はこの禍祓をそっと手に取ると、部屋の隅にあるクローゼットに放り込んだのだった。
理由はただ一つ。
──自身の生き霊、“夜の執行者 エグゼ”の邪魔をさせないため。
切り札を奪われた以上、霧子といえど常軌を逸した霊力を誇るエグゼの除霊は断念するだろう。
柊夜はそう踏んでいた。だが──。
(……でも、霧子さんって見た目に反して、結構無茶するんだよな)
思い出すのは、エグゼに襲われたあの日。
彼女は自分と柊夜を守るため、突然柊夜の首を絞めて気絶させた。
判断が早い、というよりも──命を張る覚悟が常識から逸脱していた。
力加減を理解した上での行動だったのかもしれない。
だが、それでもあの咄嗟の判断は尋常ではない。
そもそも、霧子の語る"奥の手"とは、禍祓に施された複数の封印のうち、一つを解放することで使えるものらしい。
ただでさえ、禍祓を振るえばフードファイター並みの食事が必要となるほどの膨大なエネルギーを消耗するというのに、"奥の手"を使うことで更なる負担と代償が彼女を襲うことは想像に難くない。
そんな"奥の手"を、自分のような“たかが依頼人”のために迷いなく使おうとする。
そんな彼女なら禍祓無しでも──。
(まさか、禍祓がなくても戦いに行くんじゃないのか?)
考えがよぎった瞬間、頭の中に不吉な光景が浮かぶ。
エグゼの大鎌に斬り裂かれ、血を流す霧子の姿。
「ダメだ……霧子さんは、きっと戦ってしまう……。
俺が禍祓を隠したままだったら、それで彼女が死んだら……俺のせいだ」
柊夜にとって、霧子は家族でも友達でもない。
数日前に依頼を通じて関わっただけの、いわば“仕事相手”だ。
例えるなら、害虫駆除を頼めばやって来る業者のおじさんと、そう変わらない……はずだった。
(……いや、さすがにそれは言いすぎか)
霧子はこれまで、親身に動いてくれた。
だからこそ、関係が薄いからといって──自分の目の届く範囲で死なれるのは、どうしても後味が悪い。
「返そう……」
柊夜は禍祓をカバンに収め、玄関へ向かった。
だが、そこで足が止まる。
(でも……もし霧子さんが本当にエグゼを祓ってしまったら……
俺と姉ちゃんの復讐が……終わってしまう)
復讐だけは、絶対に果たさなければならない。
復讐という名の毒に心を蝕まれている柊夜にとってそれは絶対に引けないこと。
玄関の床にしゃがみ込み、柊夜は頭を抱えた。
返すべきか、返さざるべきか。
守りたい命と、終わらせたくない復讐。
その狭間で、苦悩は深まっていく。
(霧子さんは──きっと、どんなことがあっても依頼を遂行する。
そこまで仕事熱心じゃなくてもいいのに……。
俺なんて、バイト中にトイレにこもってスマホいじってるってのに──)
──仕事。
その単語が頭をかすめた瞬間。
「……はっ!?」
稲妻が脳内を駆け抜けたような衝撃が走る。
思わず声が漏れ、柊夜はその場でピンと背筋を伸ばした。
「……そうか、そうだよ!
その手があったじゃないか!」
さっきまで玄関でうずくまっていたのが嘘のように、彼の表情が晴れる。
目を輝かせ、勢いよく立ち上がる。
「霧子さんが動くのは“仕事”だからだ。
だったら、依頼を取り下げればいいだけの話じゃないか!」
ぐるぐると思考が回り、言葉が止まらない。
「姉ちゃんだって、復讐が果たされればきっと成仏できる……。
そもそも“お祓い”そのものが必要なくなる。
依頼を取り下げれば、霧子さんはただの部外者。
もう、関わる理由もない!」
自分に言い聞かせるように、力強くうなずく。
「うん、よし……今から事務所に行って、ちゃんと伝えよう。
『この件にはこれ以上、関与しないでください』って、ハッキリ。
ここで迷ってる場合じゃない。
少し……いや、かなり心苦しいけど……霧子さんには感謝してるけど……
それでも──復讐には代えられない!」
その言葉を最後に、柊夜は躊躇なく玄関の扉を開けた。
決意とともに、まっすぐアパートを飛び出し、
向かう先は──“神城調査室”。
*****
一方、神城調査室──。
霧子の水面下での調査により、“真田 誠”の正体がかつての加害者・安西 亮であることが判明した。
しかし、真田は追い詰められてもなお余裕の笑みを崩さない。
その表情には、反省や後悔の色など微塵も見えなかった。
「たしかに──俺が、あの女を壊したよ。
で? それがなんだってんだ。もう罪は償った。年少でな。今さら説教垂れてどうにかなるとでも?」
真田はにやけ顔のまま、霧子の表情をねっとりと観察する。
「それに──俺の身をあのガキの生き霊から守る気がねぇなら、それでも構わねぇよ?
出てけってんなら、あんたの事務所からとっとと出てってやるさ。
もっとも、それならそれで俺にはもう“手段”が見つかってるけどな」
自信たっぷりにそう言い放つ真田を、霧子は冷ややかに見つめる。
「……何?あなたに霊を対処できる力はないはずだ。
まさか、霊能力が目覚めたとでも言うつもりか?」
長年除霊師として活動してきた霧子には、真田に霊的な資質がないことは明白だ。
だが、彼の顔からはハッタリの色が見えない。
それが逆に不気味だった。
何か、“良からぬ方法”を思いついたに違いない。
──そして、その答えはすぐに明かされる。
「なぁに、簡単な話だよ。
あんた、さっき言ってたじゃん? 『生き霊は、それを生み出した人間と一心同体』……ってな」
真田は口角を上げ、霧子の目を覗き込むようにして笑った。
「だったら──その人間ごと、殺しちまえばいいんだよ」
「──ッ!」
常人なら、たとえ思いついても口にすることすらためらうだろう言葉。
それを真田は、薄ら笑いを浮かべながら軽々と口にした。
「……なるほど。あなたは……そのように考えるのか」
霧子の声には、静かな驚きが滲んでいた。
確かに理屈の上では、柊夜を殺せば“夜の執行者”は消える。
しかし、それを本気で実行しようとする者がいるなど──彼女は考えもしなかった。
「俺はどっちでもいいのさ。あのガキが死のうが生きようが。
選択肢はあんたに委ねるよ、“霧子さん”」
真田はゲラゲラと笑う。
その様子は、どんな悪霊よりも“人間臭く”、そして“醜悪”だった。
「……私は、如何なる理由があっても、生きている人間を見殺しにするようなことはしない。
だから、今後もあなたを守るつもりだ。
──ただし、一つだけ。約束して欲しい」
「へぇ、何だよ?言ってみなよ」
霧子はまっすぐ真田を見据え、はっきりと告げた。
「あなたが“安西 亮”、あの事件の加害者であること。
それだけは、絶対に──柊夜くんには知られないようにしてもらいたい」
それを聞いた真田は、ぞっとするほど無邪気な笑みを浮かべた。
「なぁんだ、それだけかよ。
お安い御用だ。俺はこれからも、あのガキ……いや、柊夜くんの“良き兄貴分”を演じてやるさ」
──バタン。
不意に、背後の入口から鈍い音が鳴った。
「……悪りぃな、霧子さん。
どうやら、その“約束”は守れそうにねぇわ」
霧子は不審に思い、真田の視線の先へと歩を進める。
扉の方へ、視線を向けると──
そこには、ショックのあまり膝をつき、地に手をついている柊夜の姿があった。
「……な……んだよ……それ……」
柊夜は顔を上げ、震える声でそう呟いた。
その目に浮かぶのは、困惑、恐怖、怒り、そして裏切られた悲しみ──。
彼の中で、何かが音を立てて崩れた。




