14話 悪意、放たる
8月10日改稿。
改稿内容は後書きにて。
「……ただいま」
鍵が回る音とともに、ガチャリと扉が開いた。
霧子は柊夜のアパートを後にし、重い足取りで事務所へ戻ってきた。
「おぉ、霧子さん。お疲れっス〜」
出迎えたのは真田だった。
片手にカップラーメンを持ち、ソファに深くもたれながら、いつもの軽い調子で声をかけてくる。
「昨日、“柊夜くんのお姉さん”が現れたって飛び出してったまま帰ってこなかったから心配してたよ。
何かあったのか?」
「……ああ、真田さん。少し話したいことがあってな。……少し、時間をもらえないか」
「おう、構わねぇよ。どうせ暇してたとこだ」
二人はテーブルを挟み、向かい合って腰を下ろした。
霧子は立ち上がり、戸棚から缶ジュースと有り合わせの焼き菓子を用意してテーブルに並べる。
その手つきには、気遣いと少しのけじめが込められていた。
「……まずは、事務所を空けたままにしてしまって、すまなかった」
「なんだ、そんなことか? 気にすんなって。
霊に守ってもらってる立場で、文句言う筋合いなんてないしな。むしろこっちが感謝すべきだろ」
真田はいつも通り、気さくな笑みを浮かべていた。
だが、その明るさが、どこか“浮いて”見える。
──初めて会ったときから感じていた、この男の“奥行きの見えなさ”が、また霧子の中で引っかかった。
「……さて、本題に入ろうか。
朝比奈真昼さん──柊夜くんのお姉さんについてだが、昨日、私は霊的な接触を受けた。……だが除霊は、まだ果たせていない」
「そんなにヤベェのか……
ってことは、除霊も難航してるってわけか」
「そうだ。正確には──“相手が一人ではない”。それが今回の厄介な点だ」
霧子は低く声を落とし、目線を鋭くする。
「真昼さんの背後には、柊夜くんの強すぎる憎悪が具現化した“生き霊”がいる。
復讐も真昼さんの意思ではなく柊夜くんの生き霊の意思が主体となっていると思われる。
そしてその生き霊の霊力は常軌を逸していて、正攻法では歯が立たなかった」
その言葉に、真田の眉がほんのわずかに動いた。
霧子は構わず、淡々と語り続ける。
「私は……その生き霊に、殺されかけた。
だから最終手段として、柊夜くんを気絶させた。すると、霊も同時に消滅した。
生き霊とは、自分を生み出した人間と一心同体だ。……だが、それも一時しのぎに過ぎない。
彼が意識を取り戻した今、霊もまた動き出しているはずだ」
「へぇ……」
そのとき、真田の口元が、かすかに吊り上がった。
ほんの一瞬だったが、霧子の目は見逃さなかった。
──笑った?
その笑みは、ぞっとするほど悪意を含んでいた。
目の奥に渦巻いていたのは、底の見えない闇。今にも誰かを飲み込みそうな、禍々しさだった。
「……霧子さん? どうかしたか?」
「……いや、なんでもない」
霧子は視線を外し、小さく咳払いをした。
一呼吸置いて、意識を切り替える。
「……今後は、“定位の経文”を使って、生き霊や真昼さんの居場所を探るつもりだ。
位置を特定でき次第、再度除霊に向かう。だから……またしばらく事務所を空けることになる。すまない」
「いいっていいって。むしろ、しっかりやってくれた方が安心だよ。
真昼さんだって、ずっと彷徨って苦しんでんだろ? 一刻も早く成仏させてやらなきゃな」
一見すると励ましの言葉。だが──。
その声には、どこか“空っぽ”な響きがあった。
心がこもっていない。言葉だけが浮いている。
真田の本心は、そこにはない──そうとしか思えなかった。
だが、霧子はそれ以上は口に出さない。
いま確認すべきことは、他にある。
「……少し世間話を挟ませてもらってもいいか?」
「ん? ああ、いいけど?」
「真田さん、あなた……今、おいくつだったかな?」
唐突な問いに、真田は一瞬きょとんとしたあと、首を傾げて答えた。
「えっ? なんだよ急に。俺は……27だけど?」
「そうか。……いや、ちょっと気になっていてな」
霧子は微笑みを浮かべながら、さらに一歩踏み込む。
「ところで──私たちが最初に出会ったあの廃工場。
あなたは、そこの“元社員”だったと話していた。……それは、間違いないか?」
「ああ、言ったな。間違いねぇよ。それが何か?」
「……実はな。その工場を運営していた会社は、十二年前に倒産している」
霧子の声は静かだった。
けれど、その言葉は研ぎ澄まされた刃のように真田の胸元へ向けられる。
「この情報を確認したとき、一つの疑問が浮かんだ。
──あなたは本当に、“社員”だったのだろうか……?」
一瞬、時間が止まったかのような沈黙が部屋全体を包んだ。
「……何が言いたいんだ?」
真田は霧子を睨みつけながら、机に置いた腕をわずかに震わせた。
不機嫌な気配が、あからさまに全身から滲み出ている。
「いや、気になってな……。
真田さんの年齢だと、仮に入社してすぐ辞めたとしても──どうしても計算が合わなくてな」
霧子はあくまで穏やかな声で言葉を繋ぐ。
まるで独り言のように、しかし確信を持って。
「──いや、待てよ。
中学を卒業してすぐ働き始めていたとすれば、辻褄は合うか……?」
「そう! そうだよ、俺は中卒なんだよ」
真田が急に声を上げた。
その語調には焦りがにじみ、言葉はやたらと早口だった。
「ガキの頃はヤンチャしてて、勉強なんて全然ダメでさ。
高校にも行けなくて、地元の工場に就職したんだよ。……ほら、不良で親に迷惑かけたし。
早く働いて、お袋や親父に恩返ししたかったんだ……。でも俺、ほんとバカだったからな……仕事もロクに覚えられなくて、クビになっちまってさ……」
まくし立てるような語り。
だが、霧子の瞳は一点の曇りもなく、その中の矛盾を見逃さなかった。
「──クビになった、か?」
霧子の声が、ピンと張りつめたように低くなる。
「妙だな。
最初にここを訪ねてきたとき、あなたはこう言った。
『前はあの工場で働いてたけど、倒産してさ』と──確かに、そう言っていたはずだ」
真田は、ぴたりと口を閉ざした。
目線を逸らし、下を向いたまま動かない。
机に置かれた手には、玉のような汗がにじんでいた。
霧子は、わずかに姿勢を正した。
「──私は本業こそ除霊師だが、一応“探偵”の端くれでもある。
調査というやつはな、得意分野なんだ」
その声は冷ややかで、しかし静かな確信に満ちていた。
霧子は真田の視線をまっすぐに見据え、研ぎ澄まされた刃のようなひと言を突きつける。
「……“真田 誠”さん。
あなたは一度、名前を変えているな?」
真田の肩が、ビクリと震えた。
「昔の名は──『安西 亮』。
“10年前の事件”の加害者のひとりにして、他の四人を束ねていたリーダー格。
朝比奈真昼さんを嬲り殺し、弟の柊夜くんの心を深く蝕んだ、あの忌まわしき事件の中心人物……。
それがあなたの、本当の姿だ。……違うか?」
霧子の声は、感情の一切を排したまま。
だが、その言葉は冷たく鋭い刃となって真田の虚構を貫いた。
真田は俯いたまま、数秒の沈黙を保っていた。
……そして、ゆっくりと顔を上げる。
その唇が、歪みに歪んで吊り上がっていく。
「ククク……クハハハハハ!!」
突然、爆発したような笑い声が室内に響き渡った。
「そうだよ、そうだとも!
俺があの女を壊した張本人、“安西亮”さ!」
その瞳は狂気に染まり、理性の皮膜を剥ぎ捨てた猛獣のようだった。
開き直った口調で、まるで誇らしげに、自らの正体を明かす。
「ははっ……名前どころか顔まで整形したってのにバレるとはな。すげぇよ、霧子さんよ。探偵の看板、伊達じゃねぇな。
いや〜、俺の過去なんてとっくに風化したと思ってたが……掘り返してくれるとは! 感動だぜ!」
彼の笑顔に、悔いは一片もない。
むしろ、正体を暴かれたことで抑えていた“何か”が解き放たれたようだった。
改稿箇所については以下のとおり
「ははっ……"まさか本当"にバレるとはな。すげぇよ、霧子さんよ。探偵の看板、伊達じゃねぇな。
いや〜、俺の過去なんてとっくに風化したと思ってたが……掘り返してくれるとは! 感動だぜ!」
→「ははっ……"名前どころか顔まで整形したっての"にバレるとはな。すげぇよ、霧子さんよ。探偵の看板、伊達じゃねぇな。
いや〜、俺の過去なんてとっくに風化したと思ってたが……掘り返してくれるとは! 感動だぜ!」




