10話 善悪の境界線
地名を設定した方が良いと思ったため改稿しました。
2025.7.31
「……禍祓の話をするつもりが、つい長くなってしまったな。
私の過去など、話す必要はなかったのかもしれない。
けれど──腹を割って話せば、少しは君も気が楽になるかと思ってな。
とりあえず、禍祓が危険な存在ではないということだけでも、伝わっていればいいが……」
霧子の語りは計算されたものだった。
ただ感情に任せて過去を語ったのではない。
柊夜に心の扉を開かせるため──自分の痛みを晒し、心を重ねることで、彼の中に巣食う復讐心を和らげたかったのだ。
このままでは、柊夜の魂は憎悪に呑まれ、そしてその憎しみから生まれた呪縛──生き霊“エグゼ”もまた、姉・真昼をこの世に縛りつけている。
それを断ち切れるのは、柊夜自身の気づきしかない。
「霧子さん……うぅ……大変だったんだね……。本当によく頑張ったね……。
一人でずっと、誰にも頼らず戦って……。家族まで殺されて、それでも……」
言葉の合間に、鼻をすする音が混じる。
霧子の語った凄惨な過去に、柊夜は強く心を揺さぶられていた。
彼女がようやく手に入れた“理解者”すら裏切った──そんな絶望の中でも、人を救う道を選んだ霧子の強さに、涙が止まらない。
「それでも、自分を救うより、他人を救う道を選んだんだよね……。
本当に……霧子さんは、強い……」
霧子の目元がふっとゆるむ。
誰にも言われたことのない──本当に、ただ“労われる”言葉。
長く胸の奥底に刺さったまま癒えなかった棘が、ようやく抜けた気がした。
「……ふふっ、柊夜くん──ありがとう」
ぽつりとこぼれたその言葉は、霧子が初めて「誰かに寄りかかった瞬間」だった。
「──あ、いや……ちょっと感情移入しすぎた。ごめんなさい。
もちろん、禍祓の話、ちゃんと聞いてたよ。
霧子さんの手元にある限り、あの刀は安全……そういうことだよね?」
「……ああ。その通りだ」
「……そっか」
霧子が静かにうなずくのを見て、柊夜の顔に一瞬迷いの影が走る。
だが、その迷いはすぐに苦い決意に変わる。
「たしかに……霧子さんの言う通り、今の禍祓は危険じゃない。
でも、それ以上に……俺、思い知らされたんだ。
大昔の怨念が宿った妖刀。その力を持ってしても、エグゼには敵わなかった……」
柊夜の額に、じわりと冷や汗が滲む。
「思い返せば、勝負にすらなってなかった。手も足も出ない──まさに、圧倒的だった。
その力の差は、ちょっと休んで戦術を練ったくらいで埋まるようなもんじゃない。
そんな相手に、また挑むなんて……ただの自殺行為だよ!」
「大丈夫だ」
霧子は言い切る。
その声音に、一切の迷いはなかった。
「昨日の戦いで、禍祓のすべてを出し切ったわけじゃない。
先程も話した通りあの刀は何重にも封印が施されている。
その内の一つ封印を解放することで使える"奥の手”がまだ残されている。
準備を整えさえすれば……勝機はある」
「ち、違うっ! いや、たとえそうでも……!」
柊夜の声が揺れた。
だが次の瞬間、強い言葉が飛び出す。
「それなら、なんで昨日は殺されかけた!?
なんで、俺の首を絞めるまで追い込まれた!?
もし本当に奥の手があったなら、なぜ使わなかった!?」
柊夜の叫びには、感情の爆発とともに、焦燥と苛立ちが入り混じっていた。
「出し惜しみなんてする意味が分からない。
──もういいじゃないか……別に、無差別に人を襲うわけじゃない。
奴らだけが死ぬ。それでエグゼが静かになるなら……それでいいじゃないか!」
──彼は言葉を重ねるたびに、
どこか“自分に言い聞かせている”ようでもあった。
「命をかけてまで止める必要なんて……もう、ないんだよ!」
霧子は静かに視線を落とし、短く答える。
「……あの時は、準備不足だっただけだ。
急報に応じて現場に向かった私には、封印を解くための下準備をする時間がなかった。
除霊というのは……事前の用意が勝敗を分ける。
私も、あの強さを侮っていた。だが次は違う。必ず、勝つ」
どれだけ言葉を尽くしても、霧子の覚悟は揺らがない。
昨日、完敗した相手に対してなお、彼女の瞳は光を失っていなかった。
いや──むしろ、その光はより強く、鮮烈に、闘志を宿していた。
「……チッ」
柊夜の口から、小さな舌打ちが漏れた。
それは無意識にこぼれた本音。
幸いにも、霧子の耳には届かなかった。
「ムッ!」
霧子が唐突に呻くような声を漏らし、難しい表情で手元を見下ろした。
「どうしたの?」
「いや……すまない。
大したことではない。いや、私にとっては重大なのだがな……。
実は、先ほど話し込んでいるうちに──気がつけば手元の料理をすべて平らげてしまっていた」
眉間に皺を寄せ、腹をさすっている。
一見、食べすぎでお腹が痛くなったようにも見えるが──
あれほどの量を短時間で完食しただけでも十分驚きだというのに、彼女の口からさらに予想を上回る一言が飛び出した。
「……正直に言おう。まだ、食べ足りない」
「えぇぇ……」
柊夜は口を開けたまま硬直するしかなかった。
「柊夜くん、もう一度キッチンを借りてもいいだろうか?
あの戦い──想像以上に精力を使っていたようだ。
私としたことが、まったくもって読み違えていた……」
「うん……ど、どうぞ……」
霧子はウェイトレス顔負けの手際で空いた皿を下げ、そのまま調理を始める。
本来ならツッコミを入れたくなるような展開だが、今の柊夜にその余裕はなかった。
「霧子さん……俺、分からないよ。
なんでそこまで、命を懸けて止めようとするんだ。
アイツらが死ぬのって、自業自得じゃないのか?
復讐を望むのって、そんなに間違ってるのかよ……?」
柊夜はテーブルの上に置かれたままの「禍祓」を手に取る。
「霧子さんは立派だよ。家族を殺されても、それでも前を向いて生きてる。
でも……みんながみんな、そんなふうに強く生きられるわけじゃない。
少なくとも、俺には──霧子さんみたいな強さは、ないよ」
そう言って、背後のクローゼットに手を伸ばす。
「──ごめんなさい」
手にした妖刀を、そのままクローゼットの奥へと放り込んだ。
「この刀があるから、霧子さんは立ち上がれる。
この妖刀があるから、霧子さんは“除霊しなきゃ”って思ってしまう。
でも──それがなければ、さすがの霧子さんだって無謀な戦いなんてしない……
勝ち目がないって分かれば、きっと止まってくれる……よね?」
柊夜の中に、罪悪感はない。
──けれど。
「……どうしてだろう。胸が、痛い」
*****
どっかのビルの一室──
俺、安西 亮は、ボケ~ッとテレビを眺めてた。
「昨夜、夕方ごろ── 東京都月野市で身元不明の男性の遺体が発見されました。
その後のDNA鑑定などから、栃木県在住、会社員・桐谷翼さんと判明。
遺体は激しく損傷しており、警察は事件・事故の両面から捜査を進めています──」
……やっぱ、死んだか。桐谷。
10年前に一緒にヤラかしたアイツが、とうとう報道されちまったってわけだ。
ふん、ざまぁねぇな。
けど、あいつが死んだおかげで──例の呪いの仕組み、少しだけ見えてきたぜ。
いっちょ、頭ん中まとめてやっか。
【その1】
捕まったら、マジで終わり。
監禁されて、死ぬまでひたすらボッコボコ。
橘も桐谷も「身元不明」「損傷激しい」とか言われてる時点で、常人の死に方じゃねぇってのは確定。
人を壊したツケが、今度は俺らに怪異ってカタチで戻ってきたってワケだ。
【その2】
DMがえげつねぇ。
捕まったヤツの“現状”が、定期的に送られてくる。
最初は意味わかんなかった。
でも二時間ちょい経つと、また来んの。しかも、どんどんエグくなってく。
で、画像には「死まであと〇日」って数字。
更新されるたび、カウントが一個ずつ減ってくってわけ。
タイミングは……そうだな、毎回二時間ちょいだし結構規則的。
ってことは、これも“ルール”で動いてんだな。
【その3】
監禁されてから死ぬまで、2日と……えぇ……桐谷が見つかったのはだいたい夕方くれぇだったか?
てことは二日と17〜20時間くらいか。
これは、桐谷の1枚目の画像が届いてから、死体の画像が来るまでの時間。
橘のときは初っ端から“グチャグチャ死体”の写真だったから、データとしては桐谷の方が有力だな。
このタイム感も次回以降、要チェックってとこだ。
【その4】
制裁内容、SNSで募ってるっぽい。
#加害者を許すな──とかいう物騒なタグ付きで、
「こんな罰がいいんじゃない?」とかリプが飛び交ってんの。
しかも、その中から選ばれたっぽい暴行の結果が、たまに投稿されてんだよな。
まるで公開処刑。どこの闇サイトだよって話だ。
あの霊女、マジで外道。鬼も泣いて逃げ出すレベルだろアレ。
【その5】
アカウントのアイコン、見覚えがあると思ったら──
10年前、あの女が持ってたノートに描いてあった、弟の描いた漫画のキャラだ。名前……たしか「夜の……なんちゃらモンのエグゼ」とかそんなの。
松野のバカが爆笑してたから覚えてる。
あの頃はまだガキだった弟の落書きが、今じゃ呪いの象徴かよ。
皮肉が効きすぎてて笑えねぇな。
【その6】
面白ぇことに──
誰かが捕まってる間、あの霊女、他の奴には手ぇ出してこねぇ。
つーことは、ひとり差し出しゃ他の連中はしばらく安泰ってこった。
んで、俺があいつら差し出して延命してるってワケよ。
「大切な仲間のために、自分が犠牲になる……。
あぁ、感動的だな。涙出らぁ。まさに青春友情ストーリーだ。なぁ、桐谷?」
そういう都合のいい駒を持った俺は、運がいいのか……ククッ。
てか、あんなヤベぇ画像ばっか上げてるアカウントがまだ凍結されてねぇの、どう考えてもおかしいだろ。
運営、マジで仕事しろって。
……まぁ、都合いいからこのままでいいけどよ。
さて。
桐谷が死んだし、次の駒を動かすとすっか。
「……久しぶりだな、松野。
俺のこと、まだ覚えてるか? 安西だよ──」




