ep5‐1.急に会いたくて
久しぶりに母の夢を見た。夢の中でしか母とわからない夢だ。
父と出会った時には身体が弱っており、危険を冒して子を産み、物心つく頃にはもういなかった。起きている時は思い出す事さえできない。眠っている今この時にだけ、不思議と鮮明に会える人。
目が覚めた瞬間、いつもアズールは涙を流していた。記憶に残らない切なさで。
昼時、無性に会いたくなって同盟本部まで足を運んだ。
今日はそっくりなあの2人はいない。受付の人も金髪黒眼のβ女性である。
同盟はαの出入りを禁止していない。でも受付で手続きをしても、基本的にαが立ち入れるの1階までだ。それ以上となれば更に許可がいる。
行動の制限は事故防止の為であるから受け入れるしかない。
なぜなら本部の3階から上は居住エリア。3階はβや一時宿泊者向けで、4・5階はΩ専用になっていた。発情期の避難宿泊もでき、これには4・5階の空部屋を使う。
用件を伝えて呼び出して貰っている間、診療所のほうから見知らぬ男が歩いてくるのが見えた。彼はアズールに気づくなり近づいてくる。
「こんにちは。貴方が噂の騎士さん?」
「はい。じゃなくて、私噂になってるんですか」
どんな噂なのか。なんだか怖いような気がしてしまう。
だが心配はいらなかった。ハルトが名乗ったので同様に名乗り、軽い世間話をする。
「君は以前会った騎士さんより礼儀正しいですね」
「他にも出入りしている方が……あっ」
聞こうとしたが同僚の存在を思い出し合点がいく。
礼儀正しい、という言葉が出てくるのがちょっと不安だけど。さすがに問題を起こしているとは思いたくない。しかし万が一失礼な態度をとっていた場合は、さりげなく注意を促して方がいいだろう。おずおずと問いかけてみる。
「大丈夫ですよ。ほんのちょっと受付の子に熱心でね」
「あはは、可愛いって言ってましたから」
「ええ。ただ、ちょっと熱心過ぎて迷惑しているそうなので……」
「なるほど。やりすぎないよう注意を促しておきます」
「そうして頂けると」
話を聞いて思い当たる節があった。マリンパークでの行動はつまり……。
他人事でも居たたまれなくなる。口説くだけじゃなかったのか。騎士たるもの、否人として、話しかけもせず隠れて見ているなど許せない。
互いの信用問題にも関わるのできちんと伝えておかなければ――。
「待たせた。ハルトさんも一緒だったのか」
「ゼノンさん♪」
「はい。楽しくお話してました」
笑顔で話す彼らの姿を見て随分親しそうだなと感じる。本日も服装はハイネックで首輪の有無は見えなかった。
嫉妬してもおかしくない状況だがそんな気持ちは湧かない。匂いが違うというか。本能的な部分が脅威にはならない、と感じていたのかもしれなかった。当人は感情の所在について深く考えてもいないのだが……。
(今日もゼノンさんは美しいな)
姿を見ているだけで元気が貰える。癒された気分だ。
「じゃ、行くか」
「はい!」
ハルトと別れ、2人は外へと繰り出す。許される距離感で。
車は使わず徒歩を選択してどこで食事をしようかと話した。短い時間とはいえ、彼とのお出かけは楽しい。気持ちが晴れやかになる。
「突然呼び出してすみません」
「別に構わねぇよ。ちょうど飯時だったし」
他愛のない話をする。少しでも相手の情報が欲しい欲が出た。
歳は幾つか。普段どうして過ごすや、趣味など。応えてくれる時もあるしない時もある。年齢は意外にも同じだった。意外というのは変だが料理は結構するらしい。
「ゼノンさんの手料理食べてみたいです」
「バカッ。男同士で何を……いや。そーいう事は恋人に言えって」
(恋人……)
つい妄想しかけた。恋人という言葉は案外刺激が強い。
出会い頭に一目惚れしたが、これが一時の想いじゃないとは断言できなかった。この感情が恋愛感情なのかどうかは急がず確かめて行きたいと思う。
会話を続けながら店を選び入る。今日はゼノンのオススメにした。
「こういう店は初めてです」
「ファストフード食べた事ないの。もしかして良いとこの坊ちゃん?」
「恵まれてはいましたが貴族というほどでは」
「あんま変わんねーだろ」
「そうなんでしょうか?」
「さあ、俺に聞かれても」
ほら、頼めよと促され、不慣れで迷いながら選ぶ。
ゼノンが言うには故郷で食べた味とは違うがなかなかイケる、とのこと。流れで「故郷はどこなんですか」と質問したら僅かに沈黙して――。
「俺、漂流者なんだわ」
「あ……これは辛い事を」
漂流者という事はこの世界に肉親は1人もいない。失言したと反省する。
「んな顔すんなって。3年も前の話だぜ?」
「3年も。大変だったでしょう」
「まあな。基礎知識とか全然なかったし」
明るく笑っていうが当時は辛かっただろう。知らない場所に1人、頼れる人もいない。普通の生活をするのにどんな苦労があったか。
完全な理解にまで至らずともその大変さは想像できた。いったいどれほど――。
「今からでも、何か困った事があったら遠慮なく頼ってくださいね」
「お、おう。あればな……って」
「ん?」
「口にソースついてる。たく、子供みたいだな」
齧りつくだけの物に子供っぽいと言われ、困惑するアズールに、じっとしてろと言いゼノンがナプキンを持って接近。思いがけない距離に胸が高鳴った。
伸ばされる手が一瞬硬直したがさっと手早く拭う。同時に恥らってバツが悪そうに手を引っ込める。彼自身、己の行動が信じられない様子で短い間視線を反らす。
(照れてる顔、可愛い)
至福の時間を堪能して店を出て、それぞれの拠点に戻ろうとした時である。
「危険生物が出たぞッ!」
「に、逃げろー!!」
悲鳴が響き通りの向こうから人々が逃げてきた。
危険生物、野外から不定期に襲来する存在。獣の姿をしたものが多く、群れてくる事は少ないが狂暴で身体能力が高い。騎士団の対処案件の1つである。
アズールは路上に設置された緊急ポストに駆け寄り、騎士証を差し込んで伝言を打ち込む。騎士証はコードカードが内蔵されており基地にのみ情報伝達できる。
「私はこれから避難を促しつつ現場に向かいます。ゼノンさんは逃げて」
「バカ言え。今お前、剣も銃も持ってねーだろ」
騎士団の武装たる剣や銃の弾丸は思念石で作られていた。
これは異形や危険生物へ対抗するのに必須で休憩時の携帯は許されていない。また剣と違い、銃は対人相手に用いられる場合がありその際は通常の弾丸を使う。
思念石=スピット鉱石は、それぞれに固有効果を持ち、加工により特定の機能付加ができる他、異能に反応する物があると確認されていた。
「武器はありませんが異能は使えますから大丈夫」
走り出しながら視線は進路先に据えて告げる。後ろをついてくる気配があった。
「舐めんなよ。優秀な奴でも1人で相手獲れるもんじゃねーのは知ってる」
「撃退は厳しくとも時間稼ぎくらいはできますよ」
「身命を賭してとかスカした事考えてんじゃねーだろな。死んだら守れるものも守れねーぞ!」
「貴方こそ、現役じゃなく民間人なんですから大人しくして下さい!」
言い争っている間も避難誘導はしてアズールは突き進んだ。
引き下がらないゼノンの強情さにヤキモキしてしまう。なんとか下がらせようと考えている内に現場へとたどり着いてしまった。
「ギャアァオオォ――ッ」
咆哮を上げ、周囲を破壊しながら移動する大型の獣。
創造物の中でしか見ないような複数の特徴が混ざる姿におぞましさを感じる。爪の生えた四肢で地を抉り、長い尾が鞭の如く街灯や街路樹をへし折っていく。
見上げるほどに大きな怪物の前には逃げ遅れた市民がいた。
「きゃああぁぁぁッ」
無作為に振り下ろされた鋭い爪が迫り悲鳴を上げる女性。
切り裂かれる、と死を覚悟した彼女を寸でのところでアズールが助ける。動く影に気づき獣が追撃せんと動いた瞬間、氷刃が突き刺さり四肢を僅かの間凍結した。
「ちっ、刺さりが甘かったか」
あるいは集中力が足りず思念が弱かったかもしれない。
しかし距離を稼ぐには十分だった。今の硬直時間で女性を安全圏まで逃がす。攻撃を受け標的がゼノンに移る。眼前でまっすぐ突進してくるのが見えるが彼の動きが若干鈍い。
様子がおかしい、危ないと感じて即座に異能を放つ。牽制の意味を込めて派手に炎壁が敵の行く手を阻んだ。獣が足を止めた。視界から外れた隙に各自移動する。
「迷惑かけた。ありがとな」
「こちらこそ助かりました」
物陰に隠れて状況を確認しつつ話す。まだ油断ならない状況だ。
「どうすっかな。この状況」
「ゼノンさん、武器は?」
「護身用のナイフが一応。けど……」
問われたゼノンが許可証と共にナイフの有無を示す。
確認して携帯の有無は問題ない。だが一般のナイフで対抗するには異能との併用が必須だろう。技量が必要なので、武器を持たず異能だけで対抗する者もいる。
この世界では異形や危険生物の存在がある故に、条件付きで護身武器の携帯が許されていた。持てる物にも決まりがある。更に騎士団へ携帯の申請をして許可証を貰う必要があった。
当然ながら許可証の有無を問わず、対人に用いれば厳しく取り締まられる。防衛基準を満たしていない限り罰則は免れない。
「貸して――」
(いや、それでは彼が無防備になってしまう。私なら)
訓練を積んだ身である自負が別の方法を模索させた。
隠れて数十秒、いつまでも身を潜めている訳にいかない。獣が進行し続ける限り被害は拡大してしまう。それは阻止せねばならない事態だった。
(物陰に潜伏しつつ移動を続け、異能で敵の注意を惹きつければ)
覚悟を決めて動くタイミングを計っている時――。
「おい、こいつを使え」
「しかしっ」
数秒前の言葉を聞いていたのか。ゼノンがナイフを鞘ごと投げてよこす。
彼もまた飛び出すタイミングを狙っていた。しかし武器なしでは危険だ。受け取りはしたものの迷いが生じる。そんなアズールの心情を察してか、彼は言う。
「ぶっちゃけるとな、今足の感覚鈍いんだ。走れなくはないけど」
「ゼノンさん……」
「だから優秀な前衛が欲しい。頼むぜ、騎士さん」
静かに言葉を受け取り、すぅと呼吸を整えた。
「――はい!」
騎士団の到着まで今少しかかるだろう。2人は時間を稼ぐ為に打って出る。
先行してアズールが、次いでゼノンが飛び出す。敵が気づくまでに一撃。まずナイフを持たぬ手で炎珠を放つ。反応して振り向くまでに物陰へ入り、足を止めず接近を試みた。
(狙うは足だ。敵の機動力を断つ)
別方向から氷の援護。獣が本能的に接近する影に気づき火炎を吐く。
薙ぎ払うかの如く吐き出された炎は範囲が広い。これは命中する。防ぐべきか。だが防御の姿勢をとれば足が止まり危険だ。
「構うな進め!」
遠くからゼノンの声が聞こえた。アズールは迷わず突き進む。
火炎は、命中の寸前で水の盾に防がれる。完全には防ぎきれない。でも一部は蒸発し、火力が落ちる中、水の盾が完全消滅するまでに範囲外へと駆け抜けた。進路方向に炎が反れなかった辺り彼の技量の高さを裏づけている。
足元まで到達。駆ける最中に雷電を纏わせたナイフで突き刺す。
「ギャアッ、アアァァァー!!」
切り口から一気に電流を流し込む。感電による一時的な麻痺で動きを封じる。
油断せず距離をとった際に敵の足元が凍てつく。いつの間にか空気中の水分を集めていたらしい。今度は拘束ではなく連携。身体の自由が利かず、崩れた体勢を支えきれずに獣が転倒。
そこに騎士団が到着した。一気に体制が整っていく。息をつく暇もなく、迅速に危険生物へ対処していき無事討伐されるのであった。