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ep7.初発情と決意のゆく先へ

本作はフィクションです。現実の症状・生態等と異なる場合があります。

暴力的・不快と感じられる描写や表現を含みます。表現には気を遣っておりますが、自己責任で読むかを判断してください。また今回も長いです。

 危険生物との激戦の後、いつも通りな騎士団の基地・内部。

 ゼノンは荷物を運ぶ傍らでふと聞き覚えのある声に目を向ける。


「大変、失礼したであります!」

「なんだありゃ」


 視界に入ったのは恐縮した様子のマルクだ。言葉遣いがおかしい。

 つい足を止めてしまい、そうこうする間に解放された彼と目が合う。途端に表情が強張り、一瞬の硬直の後で苦々しい顔のまま歩み寄ってきた。


「今の見たのか? 聞いたのか!?」

「えっと……」


 あまりの希薄に言い淀んでしまう。そんなに不味かったのか。

 どう答えたものかと考えていた時、あらぬ方向から気の抜けた声がかかる。


「なんだ久しぶりに出たのか」

「久しぶりって……」

「ああ、緊張した時とかに出るアレだろ? 訓練生ん時はしょっちゅうだったぜ」


 思いがけない一面にゼノンは目を丸くした。

 睨まれた男がそろ~りと退散していく。しかし逃がす気はないらしく――。


「待てこら。お前も今のは忘れろよ、絶対忘れろ!」


 言うや否や2人は足早に去って行った。1人立ち尽くす。

 忘れろとは言われたが逆に印象が強まる。しばらくは忘れられなそう。


(意外と可愛いトコあるんだな)


 正直にいうと複雑な気持ちだ。最初はあんなにいけ好かなかったのに、と思いつつ荷物を抱え直してありき出した。



 後日、もうじき騎士団に入って1年になろうという頃。

 外は朝から雨が降り続いている。ゼノンは窓口で特区の人につき添われた旅行者と対峙していた。旅行者は随分と華奢な体形に可愛い容姿をした男性だ。首輪(チョーカー)をつけている。


「はい、確かに承りました。すぐ対応できるよう手配します」

「よ……よろしくお願いします」


 話を聞きつつ書類の提出を終え、軽く頭を下げる男に柔らかい表情で応えた。


「よかったわね。騎士さんもありがと、貴方みたいな子がいてくれて助かったわ」


 つき添っていた男が礼の後でそっと耳打ちしてきた。

 その内容に努めて平静を保つ。去って行く2人を見送り、書類を持って報告に行く。内容は傍から見れば些細な、だけど本人には深刻な迷惑行為だ。Ω相手に手癖の悪い奴がいるらしい。

 これはパトロール時の注意と強化に繋がる。被害に遭った場所が把握できて助かった。


(最近この手の指名が増えたな)


 ゼノンは報告を済ませ、いつもの業務に戻っていく。

 物が雑多に並ぶ部屋で雑用をしながらふと考える。相変わらずΩの騎士団への不信と警戒が根強い事を……。今回は被害者が外部からの旅行者だってそうだ。耳打ちされた言葉を思い出す。


(俺がいるから相談する気になった、か)


 あの2人に接点がないのは雰囲気でわかる。きっと親切だったのだ。

 頭で理解してても抗えない心情が邪魔をしていた。そういう事なんだと思う。気持ちがわからないいでもない。きっと現代の価値観がなければ――。


「にしても熱いな」


 雨で蒸し暑いのか。いや、異世界だし数時間前まで少し肌寒かった。


「風邪でも引いたか? 勘弁してくれよ~」


 荷の詰まった棚相手に呟いていると扉が開く。

 視線を向けるとマルクが立っていた。声を掛けようとして止める。様子がおかしい。そう感じて怪訝に眉根を寄せて歩み寄ろうとした時、身体に違和感を感じた。

 直後、マルクが勢いよく迫ってきて掴みかかる。手は震えていたが力強い。


「んぐ――ッ」

「お、い……離せよ」


 嘘だろ、と思う。アイツがこんな、と。

 相手の腕を掴み抵抗した。その時鼻孔を擽る香りに気づく。


(フェロモン!? 段々強く、そういう事か)


 ――初発情。抑制剤はちゃんと飲んでる。でも抑えきれない。

 自覚した途端、己の身に降りかかる不調をより強く感じた。徐々に感覚と恐怖が浸食していく。粗い息遣い。問答無用で伸びる手。近づけられる顔、濡れた感触。悲鳴が喉の奥につっかえる。


(怖い)

「触るな、来るなよ!」


 まだ服は脱がされてないが時間の問題だ。でも身体が――。


(逃げねぇと。でも足が……)


 今己の身体はどんな状態なのか。ゼノンは錯乱状態に陥っていた。

 性的欲求に対し、望んでいるのか、拒んでいるのか。この感情がどこまで真実なのかも判別できない。自分が自分でないようで恐ろしく気持ち悪かった。


「ゴホッ、ゲホッ……う、あぁ……」


 最悪なことに事件直後の症状までぶり返す。否、悪化と言うべきか。

 身体の高揚に比例して酷くなっていく。不調から身体を動かすのも辛くなっていき、抵抗が弱くなっていくのにマルクは止まらなかった。ついにはその手がパンツに伸びて――。


「いっ、やぁ……許して」


 今のゼノンにこれが逆効果だとはわからない。

 Ωの発情とは難儀なものだ。拒絶さえも艶めかしく見せてしまう。僅かに残った理性さえ本能が塗りつぶしてしまうほどに……。

 遠くから足音が近づいて来る。そして扉の向こうに1人の男が姿を現した。しかし当事者らは気づかない。


「な、何やってるの!?」


 尋常ではない空気を感じて目撃者は中に踏み入ってきた。

 明らかに正気じゃないマルクを後ろから引っぺがす。ぼやける視界の中、ゼノンが見たのはアレックスであった。顔をしかめ鼻と口を手で押えながら離れていく。


「誰か医者を呼んでッ。発情事件だ!」


 発情が起きた時、αやβは不用意に近づいてはならない。二次被害が起きる。

 アレックスは近づく事ができず、声を掛けてから拡散を防ぐために扉を閉めた。鍵はかけていない。代わりに風の異能で簡易的な障壁を施す。あの状態で残していく事に胸を痛めながら、取り押さえたマルクを連れて移動した。


 すぐさま対策が取られ、程なくしてハルトが基地にやってくる。


「適切な対応をありがとうございます」

「こちらこそ対応が遅れてすみません。お大事になさって下さい」

「伝えておきます」


 手短に応対して車に乗り込み発進させた。彼はΩフェロモンの影響を受けにくいが、車内を含めきちんと対策して来ている。

 ゼノンは意識が混濁した状態で横たわっていた。時より苦し気な声を漏らして――。



      ☂  ☀  ☂  ☀  ☂  ☀  ☂  ☀



 熱い、苦しい、気持ち悪い。身体も心も痛んで混乱する。

 鏡に映った姿が気色悪くて目を反らす。我が身の現実を見たくなかった。あの時の幻影がふとした時に襲ってくる。漠然とした恐怖に気が休まらない。散々暴れて、藻掻いて――。

 発情ってこんなに辛いものなのか。世のΩは皆、この感覚を味わっているのかと思う。



 3日目、症状が和らぐのに合わせて冷静さが戻ってくる。

 意識がはっきりしてきて最初に思ったこと。それは絶望だった。いや、落胆だったかもしれない。あまりにも衝撃的で、実感と放心が混ざったような心地で薄暗い部屋の中膝を抱える。


「帰りたい……」


 久しぶりに零れた言葉だ。半年か、1年かが経ってから言わなくなった。


「父さん、母さん、ビート。俺……心が折れそうだよ」


 あちらに残してきた両親と弟を思う。膝の中に顔を埋めて肩を揺らす。

 厳しくも優しい両親。懐いてくる歳の離れた弟。今、無性に会いたくて仕方ない。


 ――コンコンコンッと扉をノックする音が響く。


 ゼノンは顔を上げる。続いてハルトの声が扉越しに聞こえた。

 少し遅れて立ち上がり扉に向かう。心も身体も重かった。俯きそうになる頭をどうにか持ち上げてドアノブに手をかけ開ける。

 そこには軽食が乗ったトレーを持って立つ彼の姿があった。


「体調はどうですか? ご飯食べられそう?」

「ハルトさん、すみません。迷惑かけて……」


 言ってから後悔する。ここは感謝を伝えるところだったか?


「いいえ。迷惑じゃありません」

「…………」


 食事を受け取ったものの気まずい。居たたまれない心地で沈黙した。

 ハルトは部屋が薄暗いことに気づきながら穏やかに言う。


「なんでも言ってくれて良いんですよ」

「――八つ当たりでも?」

「はい」


 一言から包容力が伝わってくる。

 それから彼はポケットから数通の手紙を取り出す。差し出して……。


「貴方宛てに手紙が来てました。どうぞ」


 ゼノンはトレーを傍のタンスの上に置いてから手紙を受け取った。

 差出人を確認すると1通は騎士団、他はアレックスとマルクだ。それぞれ雰囲気の違った封筒や蝋印で性格や立場が表れている。

 手元を凝視している間に、用事を済ませたハルトが立ち去ろうと背を向けた。気づいて呼び止め、一瞬言葉に詰まりながら口を開く。


「いろいろ……ありがとう」

「どういたしまして」


 柔らかく微笑む彼にぎこちない笑みで応え部屋に戻る。

 机に料理と手紙を置き、手を合わせ感謝の意を示してから食事をした。そんなに食欲はなかったがせっかく作ってくれたものだ。冷めるのは嫌だし、手をつけないのはもっと嫌だった。


「ふぅ、ごちそうさま」


 一呼吸おいてゼノンは手紙のほうに手を伸ばす。


「まずは騎士団……」


 自分に言い聞かせるように言う。開封して中に目を通した。

 読み進める内に表情が険しくなる。終わると深い息を吐く。座っている椅子の背もたれに体重を預けた。沈黙したまま十数秒、今度はアレックスの手紙を読む。

 綴られていた言葉、一文字ずつに目を向けて次第に涙が滲んだ。零れ落ちる前に拭う。最後にマルクの物が残った。しかし、一度伸ばしかけた手はふと止まる。


「…………ちっ」


 手を引っ込めて席を立つ。ベッドの上に身を投げ顔を埋めた。

 握った拳を叩きつける。一度、もう一度、もう一度、と何度も叩く。それでも気持ちが収まらなくて。身を翻し手探りで掴んだ枕を放り投げた。枕は軽い音を立てて壁に激突。そのまま床に落ちる。

 力なくベッドに身を埋めたまま、腕で目元を隠し唇をきつく引き結ぶ。



 数時間後、すっかり暗くなった室内でむくりと身体を起こす。

 体調はだいぶ回復していた。前よりも確かな足取りで部屋の灯りをつけに行く。

 振り向くと、机の上には片づけ忘れた食器と手紙。嫌でも目に入る未開封のソレに冷えた視線を注ぐ。


 その場から動けず、一度視線を反らし、終いには自棄気味に後ろ髪を掻きながら歩み寄って手に取る。

 ごくりと固唾を飲んで封を解き、恐る恐る文面に視線を滑らせた。


「――――ッ」


 思わず絶句してしまう。良い意味でも、悪い意味でも……。


「はぁ……」


 手紙を置き、窓辺まで移動してスッとカーテンを開ける。

 揺れる瞳で星々の瞬く夜空を見上げた。眺めている内に瞳が定まっていく。


 視線を部屋に戻して手紙に一瞥をやり、机の上に置かれたままのトレーを持つ。そして部屋を出た。階段を下りて、台所まで行き食器を洗い始める。

 そこにハルトが顔を出す。彼は先程と変わらず穏やかな表情だ。


「ちょっとだけ元気になったみたいですね」

「はい。――あの、俺決めたんだ」


 まず最初に話す人は決まっていた。

 最初の発情期は様々なものをもたらし終わったのである。



      ☂  ☀  ☂  ☀  ☂  ☀  ☂  ☀



 朝、妙な違和感を覚えて目が覚めた。


「うげっ」


 その正体を確かめて渋面になる。生理(アレ)がきたのだ。

 下腹部にじわじわと居座る気持ち悪さ。いざ自分の身に起こると衝撃だった。量が違えば事件現場だと思ってしまうほどに……。

 とにかく洗わねばと朝から慌ただしく動く。こういう時、経験者の存在はとても助かる。


「とりあえずコレ使って下さい」

「ありがとう」


 用意がいい。渡された物を有難く受け取った。


「生理痛はありますか? 気持ち悪いとか、痛みが酷いとかは?」

「いや、今んとこ何も……」


 絶好調かと聞かれれば首を傾げたくはなる。

 片づけや準備を終え、その日はフェロモンの様子を見るため家で休んだ。



 後日、ゼノンは騎士団へと向かうべく外を歩く。

 一歩踏み出した瞬間から感覚の変化を感じていた。重い。同時に早足になる。

 基地に着くと更に感覚は増した。これまで以上に感じる緊張感と恐怖心。意識から逃れたくて、まっすぐ前だけを見て進む。目指すは騎士団長室だ。


 部屋の前までくるとノックをする。

 返答を待ち「失礼します」と言ってから入室した。

 騎士団長が執務机の奥で待ち構えている。緊張が高まり、一歩ずつ踏みしめながら適切な位置まで行く。


「用件は承知しているね」

「はい。この度は私の考えが足りず、ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません」


 厳かな空気の中で話は進む。内容は言わずもがなだ。


「状況を鑑みて君には選択権がある」


 頭に「一応の」がつくであろう雰囲気と声音であった。

 選択肢は2つ。騎士団を辞めるか、残って別の罰を受けるか。どちらを選ぶかと聞かれる。ゼノンは一拍置いてから正面を見据えて口を開く。


「誠に勝手ながら辞職させて頂きたく思います」

「わかった。そちらの方向で手続きを進めよう」


 自ら申し出たものの選択肢はないようなものだ。

 退室した後は通常業務に向かう。今まで通りとはいかないが、慣れた作業をこなしつつ次の事を考えていた。時間はそれほどない。


(まずは当面のバイト探しだな。後はこれまでの奴に声かけて……)


 レイや隠家など学びを得るための心当たりはある。連携できればもっといい。

 過去・現在・未来すべての関りを使って、仲介や開発など幅広く支援できる組織を目指す。騎士団にも届かない人の声が届く場所を作りたい。


「柄じゃねーけどやるっきゃねえよな!」


 思わず口に出してふと周囲に目を向けた。どこか怯えた様子で、だ。

 発情期を迎えてより鮮明に見えるようになったもの。否、感じ方というべきだろう。いつ襲って来るかわからない猛獣の巣窟を1人歩く恐ろしさ。力をつけても敵わなかった。

 我が身で経験したからわかる。どんなに己を鍛えても限界があると知ったのだ。


「あーくそ、なんで気づかなかったんだ。こんな簡単な事に」

(防犯グッズ、向こうにもあっただろ)


 思慮の足りなさに頭を抱えたい気分になった。

 不自然なゼノンの様子を見ていた男が心配げに声を掛けてくる。


「君、大丈夫?」

「は、はい。なんでもないです」


 反射的に身構え、振り向き平静を取り繕いながら言う。

 なおも心配している様子の男に軽く会釈して足早に立ち去った。心臓が激しく鼓動を打つ。それを直に感じつつ心の内に宿った決意に胸を膨らませる。

 少しでも過ごしやすくしていくために、誰かを信じて生きていけるように――。


「よし、やるぞー!」


 鼓舞の意味を込めて声に出し、ひたすら前を向いて歩き出した。

 この後、いろいろな事を経て、彼の手により「同盟(ギルド)」が特区に創設されるのだ。



                      

                              過去編 ‐完‐

最後まで読んで頂き、誠にありがとうございます!

これにて「運命の君に微笑んで」は完結となりました。かなりざっくり進めてしまいましたが、お楽しみいただけたなら幸いです。

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