ep4‐1.旅人と隠家
発情期じゃなくても抑制剤を飲むΩは普通にいる。
特にαとの接触が多い場合はフェロモンを調整するために。
加えてゼノンは後天性で、現在身体の変化途上にあった。この期間中の後天性Ωはフェロモンの強弱が不安定だ。初発情と初潮を終えれば安定するが、それがいつ来るのかという不安は常にある。
(早ければ1年って言われてたけど全然だし。でもフェロモンは出てるっぽいからなぁ)
思わずため息が出た。外は雨だ。余計に憂鬱な気分になる。こんな事を考えてしまうのは、きっと天気の所為だろう。
「雨はまだ嫌い?」
ぼんやりと空を眺めていた時に声がかかった。アレックスだ。
「そうすね。嫌いっていうか、苦手です」
この人はゼノンの事情を知っている。世話にもなった。
だからか比較的に自然体で話せる相手だ。2人で空を見ながら話す。
「体調は平気?」
「前ほどじゃないです。今も体調は悪くないんで」
「よかった。何かあったらちゃんと頼りなよ」
「はい。心配してくれてありがとう」
1つの機会と思い、彼に時間のある時で構わないと個別指導を頼む。
快い返事を受け取った後、休憩を終えて各々の仕事に戻って行く。気持ちは晴れないままだが、意識的に引き上げて勤めに励んだ。
勤務外にゼノンとアレックスは修練場で対面していた。
個別指導といっても訓練とそう変わらない。行き詰ったところの相談に乗って貰う。時間が限られているので異能のほうを重点的に教わる。
「精神状態の把握は異能の基本だよ。体調が悪い時は無理に使わないほうがいい」
「雑念は捨てろと教わりました」
「うん、それはある。でも怪我した時とかはほぼ確実に精度落ちるよ」
「あーわかります」
苦痛に意識を搔き乱されるあの感覚を思い出す。
今も雨音を風の結界で防いでくれていた。βの中でも彼は優秀だ。
「さあ、もう一度」
「はい」
ちょっと話が脱線したが引き続き自主練を続ける。
そこへ2人の騎士がやってきた。修練場に人影がいるのに気づき声を掛ける。どちらもβで親しい仲じゃないが、熱心なゼノンの行動に感銘を受けた様子だ。通りすがりに些細な助言をして去って行く。
最初の頃は水を操るだけで大変だったが、今では氷も少しずつ出せるようになってきていた。
「くっ……氷難い。全然出せねえ」
「うーん。水の時も思ったけど、もっと周りの物を利用したらどうかな」
「周りですか?」
「そう、ボクも時々やるんだけどね。力の弱い人や消耗を減らすのにいいんだ」
(そっか。今まで思念って認識が強くて気づかなかった)
念力で物を動かす、みたいな事ができてもおかしくない。
「でもどうやって。遠隔で物を浮かしたりとかやったことない」
「最初は直接触れた物に感応するところからかな。少しずつ範囲を広げて行くんだよ」
「難しそうだなぁ」
「コツさえ掴めば便利だよ。特に水や風はない場所のほうが少ないから。ボクは遠くに声を飛ばす感覚でやってる」
実体験を交えながらアレックスは丁寧に教えていく。
容器に水を用意して特訓を重ねる。扱える物は異能と同じだ。感応しやすいものという事だろう。教わった通りに最初は直接手をつけて行った。
当然ながらすぐに成果は出ない。結局、その日は満足に動かせず解散する。
☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀
当番の日、ゼノンはエプロンを着け台所に立っていた。
もうすぐ夕飯時だ。手際よく料理をしていく。今日は洗濯や掃除など殆どの家事を引き受けた。支度が整う頃、ハルトが郵便物を持ち部屋に入ってくる。
「ゼノン君宛ての手紙が来てましたよ」
「ありがとう」
手を拭い手紙を受け取った。随分と上品な封筒だ。
差出人の名前を確認して納得する。言葉の通りアランが報せを寄越した。
「いつの間に知り会ったんですか?」
「この前、買い物の時にちょっと……」
問いかけに応じながら中身を目で追っていく。
そこには「先日の件を受けるが王都まで来て欲しい」と書かれていた。更に幾つか条件という名目のお願いが書かれていて――。
数日後、特区駅前。現在、待ち合わせの約束をした人物を待っている。
泊りを想定した荷物を持ち待つこと数分。1台の車が停まりレイが降りてきた。今回の同行者であり、条件に含まれていた人物だ。本日の少年の装いは庶民風で合わせた感じ。
「お待たせしました」
「よう。悪いな、つき合わせて」
「いえ、こちらも兄から指令を受けてますから」
「指令って……」
いろいろ格好つけたいお年頃なのかもしれない。
――などと思うが、ゼノンも大概まだお年頃の域だ。ちょっぴり大人な気分というだけである。挨拶を済ませた2人は並んで駅に入り汽車に乗った。
(そういえば、この世界の乗り物って排気ガス出ないんだよな)
座席に座って揺られながら今回の小旅行について話す。
「頼まれ事ぐらいは覚悟してたがまさかの内容だったな」
「大丈夫、ちゃんと準備して来ましたので」
「任せるよ」
単刀直入にいうと、王都までまっすぐに向かわない。
数日かかる予定で約束の日までの時間割を見積もってきた。ただ道中に関する部分はレイに任せきりで、そこがちょっと気が引ける。
でもスマホやネットがない現状だと、1年と少しの知識量じゃこうならざるを得ないのだ。覚える事が多過ぎて時間も余裕も足りない。
(難しい事はしゃーない。俺は護衛をきっちりやればいい)
1人でウロウロする恐ろしさは漂流初日で思い知っていた。
危険がなくなる訳じゃないが幾分マシだろう。伊達に訓練は詰んでないのだ。
「いろいろと勉強させて貰うな」
「はい。次で下ります」
「おう」
汽車を下りて町内に出る。早速、頼もしい友人が先導してくれた。
「まずは隠家を探します」
「なんだそれ?」
「暗黙の了解で結ばれた店の事でΩと情報が集まる場所です」
それはΩでも安心して過ごせる空間作りを試みている場所だ。
望まぬ行為を強要してはならない、というルールが根づくまさに隠れ家。どこも個室があり、一時的な羽休めには適している。
しかも目隠紋が施されている所も少なくない。これは証を持つ者以外には見つけられないというものだ。完全な会員制とでもいうべきか。
(特定の効果を持つ紋様と証か。それに隠家)
「そんな店があるなんてな。知らなかったぜ」
「いずれも大々的に宣伝しませんから。けれど無いと困りますよ。Ω禁制の店や施設は他所だと多いですし、宿泊も番がいなければ断れたり……」
例えばあの店がそうだ、とレイは示しながら教える。
知らなければ気づかないような模様が施設の扉や大窓に張られていた。2、3種類あるのは禁制や限定的だが可など微妙な違いがあるためだろう。
しかし中には目立った標識がなく、店内に入ってみないとわからない所もある。
「マジか」
(旅行どころか、外食も遊びに行くのも迂闊にできねえのかよ)
余計な行動を起こさず家にいろ、と命令されている気がして気分が悪い。
必要な対応と頭で理解はできても納得はできなかった。それだけ模様つきの店や施設が多過ぎる。特区の外がこれだけ不便な環境だとは……。
愕然とするゼノンにレイは苦笑いを浮かべる。自分にも経験があったからだ。
駅前からそう遠くない距離に隠家はひっそりと佇む。
落ち着いた雰囲気の漂う喫茶店。ジャズ音楽が流れ、Ω客が多い店内は一種の安らぎ空間と化していた。騒々しさとは無縁で皆の表情も柔らかい。
(緊張した感じも、警戒する視線も感じないな)
数少ないここはまさにオアシス。なんとなく同胞だと感じているのだろう。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。旅行中なんですが荷物の一時預かりをお願いします」
「かしこまりました。こちらに記入を」
「はい。後こちらの方に隠家証を発行して貰えますか」
店の雰囲気にピッタリ合う店長がゼノンを見る。
「そちらは新規さんでしたか。ようこそ隠家へ」
「どうも」
店長が証の所望を本人に問う。今後必要になる機会があるかもしれない。断る理由はなかったので頷く。審査と手続きを済ませて隠家証を手に入れた。
動くのに不便な荷物を預け身軽になると、手始めに店内にいるΩ客へ向かっていく。
「お寛ぎ中失礼します。地位向上のため皆様の率直な意見を集めているのですが、アンケートにご協力願えないでしょうか?」
声を掛けられた客達は訝しむ。年若い2人が何をと思ったのだろう。
けれど真剣な様子で用紙を差し出してくる青少年らに、感ずるところがあったらしい。全員ではないが応じてくれる人々がいた。強要はせず集められるだけ調書していく。無論、感謝の意を忘れずに。
「次は町の中で探しましょう」
「時間までにどんだけ集まるか。頑張ろうぜ」
宿泊予定は別の町だ。汽車の時刻までにできるだけ集めたい。
アンケートの内容はざっくり、現在の状況と生活環境、騎士団について、施設や店などその他・要望などである。
ゼノン達に頼むのは単純な話で、相手がβやαだと警戒や遠慮から素直な意見を書いてくれないから。また怯んで逃げてしまう場合があった。心理的な部分や世間体から、元々Ω人口が少ないのに加えて情報を収集し辛いのだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「まあ、頑張って……」
町中を歩き回り、見かける人へ手当たり次第に頼む。
「そろそろ時間危ないぞ」
「はい。引き上げましょう」
再び隠家に行って荷物を引き取り汽車に乗る。
下車した後は予約した宿でチェックインして自由に過ごす。
翌日、宿を出発した2人はアンケートを集めようと歩いていた。
しかし時間帯が悪いのか。人が少なく数が集まらない。長く滞在できないので多少は仕方がないと諦める。そこへ不穏な話し声、いや口論が聞こえてきた。
「うちの常連さんにつき纏うの止めてくんない」
「はあ? 言いがかりはよしてくれよ。ちょっと声かけただけだろ」
「ちょっとにしちゃ、えらく強引に引っ張って行く気に見えたけど」
気になって様子を見に行くと、10代の少年達が2、30代の男に絡まれている。
堂々と立ち意義を申し立てているのは眼が冴える美貌の少年。プラチナブロンドの髪と青い瞳に華奢な体躯。もう1人は小柄で気が弱そうな可愛い系の容姿。明るい茶髪と空色の瞳。
「だから誤解だって。あそこの店で話そうって誘っただけだよね?」
「ぼ、ぼくは嫌だって……ごめんなさい」
「酷いな。抵抗なんてしてなかったじゃないか」
「がっつりしてたでしょ。それとも何、引きずって連れて行くのは無抵抗とみなされる訳?」
なかなか降参しない少年達に男が痺れをきらす。
ゼノンはレイに一言詫びを入れて割って入る。見捨てられなかったのだ。
「おい、おっさん。その辺にしとかないと人呼ぶぞ」
「ちっ……あのさ、人の都合に首を突っ込まないでくれないかな」
乱入してきた2人組に振り向く。最初は取り繕う言動をしていたが、現れたのがΩと気づくなり態度が目に見えて一変した。自分が上位者とでもいうかの如く威圧的に振舞う。
だが負けず堂々たる姿勢で対応する。最後には言い負かされて男が歩き去って行く。
「助太刀ありがと」
「ありがとうございました」




