ep2.初めての遭遇
異世界での日常は唐突に侵略される。異形の出現だ。
通報を受け、準騎士らも騎士と同行する形で任務についていた。少人数ながら班で分かれて各所へと向かう。ゼノンは話に聞いていた異形と初めて対峙する。
『Д〆φ♯゛ДЩБ゛Λ±ー!』
敵の雄叫びに息をつめ身体が硬直してしまう。
頭の中は真っ白だった。人ならざる者が現実に存在する事実が受け入れ難い。信じられないと思考が拒否反応を起こす。
「我々が前に出る。準騎士諸君は支援を」
『§§∂。БЫ♯ΙΠΦΨ〈〆、♯Э±ζ〆ξЭ』
理解不明な音声が異形から発せられ混乱を煽る。
「異能を最大限に活用し対処しろ。……おい、そこ何しとる」
「――ッ」
「聞いてるのか。動け、騎士たる使命を果たせ!」
「あ、ああ……」
ようやく理解が追いつき武器に手を置く。だが動けない。
不気味で、現実離れした敵に怯む。その隙を敵は的確に読み取った。1人だけ動かない人間を標的として判断したのだ。動きの悪い者は他にもいたのに……。
『θθЙΛη、Λ∞%゛』
『δЖφ♯゛ЩЁΙΠΓ§゛§θζЖ。ДΓ♯゛ΦЙ♯〈∂‰』
(敵の動きが変わった? やられる)
複数体の異形が一斉にゼノンを狙い襲い掛かる。
数が多くとても対処できない。咄嗟に異能を使おうとも考えたが不発した。精神状態が安定しないからか。動揺がまんま現れてしまう。
死の瀬戸際、この危機的な状況においても、身体は生存本能を発揮してくれなかった。敵の凶刃に倒れんとする間際で風が吹き抜ける。迫り来る影を切り刻む。
「た、すかった」
「ゼノン君。大丈夫!?」
「ありがとう、ございます」
駆けつけたのはアレックスであった。他にも数名の騎士がいる。
どうやら応援みたいだ。まだ交戦状態の部隊を掩護するよう展開していく。おかげで現場での戦いは程なく終結するが、初の実戦は情けないまでの無様を晒した。
☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀
散々な結果を残し、心構えが足りないと叱責を受けてから数日が経つ。
足りない基礎分を補うため元より多かった訓練は更に増えていた。指導は厳しく成果はなかなか出ない。もはや当たり前となった日々を繰り返す。
雑用と鍛錬が1日の大半を占め、しばらくは帰宅と同時にベッドに倒れ込む。
また身体が慣れてきた頃、ゼノンは一時休んでいた早朝ランニングを再開する。
これももう日課だ。後に差支えぬよう軽めだが、漂流する前は今ほど熱心じゃなかった。少しでも鍛えて行かないと命に関わる。あの頃とは環境が違う、という実感が突き動かす。
「無理してない?」
「平気、もう慣れたから」
心配しないで、とハルトに伝える。でも彼の表情は晴れない。
「今日からまたいろいろ手伝うよ」
「でも……」
「ハルトさんは心配し過ぎ。俺結構タフだぜ?」
「わかった。だけど何かあれば言うように」
「はい。じゃあ、行って来ます」
「行ってらっしゃい」
親のように案じてくれる思いに感謝しつつ家を出た。
余裕をもって職場に着きいつもの仕事に勤しむ。時間が許す限り、勉学と鍛錬に励んだ。いつまでも足手まといでいる訳にはいかない。先の失敗で風当たりは強くなっている。
でも目を、耳を傾けている余裕はなかった。とにかく必死で……。
「あれ、俺の荷物」
収納していた筈の棚にない。きちんと個別に分かれているのに。
脳裏に古典的な発想が浮かぶ。まさかと思いつつ、急いで心当たりを探す。
(マジか)
腹がキュッと締まった心地がして気が重くなる。予想が現実となっていた。
視界に映るのはゴミ箱に捨てられた自分の荷物。学習用に使っていた手帳は一部の頁が破られていた。持ち去られたのではなく、散り散りにされ捨てられている。
誰がこれほど幼稚な所業をしたのか。理解に苦しみながら荷物を回収した。
(誰がこんな事を……。まさかマルクが、いやでも)
いけ好かない野郎だがマルクの仕業とは考えたくない。
まだ幾分も知らないとはいえ先日の出来事がある。そうあれは、訓練で模擬試合をした時だ。
――身の程をわからせてやる。さあ、剣を取れ!
上から目線で勇ましく勝負を挑んできた。
所作から相当の自信が見て取れ、実際彼は強くゼノンは惨敗したのである。勝利して機嫌を良くしたマルクは見事なまでの煽り文句まで言ったのだ。
(滅茶苦茶にウザかったぜ。絶対いつか負かす。ん?)
なんとなく手帳を流し見ると覚えのない頁に一文が――。
「力なき者は去れ、か」
有りがちな弄り文句だ。騎士を止めろという意味か。
一文が書かれた頁を破り捨てる。胸は痛むがへこたれる気はない。こんなものは実力を着ければ減るだろう。
「燃えてきた」
ぼそっと呟き、ゼノンは荷物をまとめて基地を退出した。
帰り道、基地を出てすぐの場所で気になる2人組を見かける。
遠慮した様子で時々基地へと目を向けて話す。周囲を気にしてか声は潜められていた。内容は聞き取れなかったが、おおよその推測はできる。
(入り辛いって感じだな)
どちらもΩのようだ。結局中に入ることはなく歩き去って行く。
ゼノンは気に留めながらも帰路につく。ちょっと思うところがあり寄り道をした。研究施設の入り口付近で待ち伏せをする。アポなしだから会えずとも文句は言えない。
だが、運よく目当ての人物が建物から出てくるのが見えた。門前で呼び止める。
「突然声を掛けられて驚いたよ。ちょっぴり久しぶりじゃない?」
「そんなでもねーだろ。悪いな、いきなり」
「全然いいよ」
声を掛けた時、男は意表をつかれた顔で振り返った。
一瞬だけ不審げな表情をしたけど知る顔だと気づき警戒を解く。彼とは治験バイトの時に知り合ったのだ。そして今、場所を移して話をしている最中である。説明して少しだけ時間を貰う。
「言っとくけど異能の技量は平凡だからね」
「わかってる」
現状では自分ほうが下手だ、と素直に打ち明ける。
「Ωの伸びしろは測り辛い。正直どこまで上達するか」
「知ってるけど負けたくねえんだ」
「うん。悔しいよね。騎士団で活躍するにはさ」
男は理解を示して異能の特訓につき合ってくれた。
長くはない時間だったが、自分の知らない視点を知れてよかったと思う。別れた後はまっすぐ帰宅してハルトと話し、食事や風呂を済ませ、自室で失われた頁を保管するために筆記具を手に取る。
さすがに時間がかかって普段より就寝時間が遅くなってしまった。
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一方でその頃、某町にある騎士団の基地では――。
「ほら見て。あそこ」
「本当、超イケメンじゃん」
「アズール君って言うんだって」
「キャアァー! アズール君こっち向いてぇ」
用もないのに基地やその周囲で待ち伏せする女達。
この町での騎士は職務と別にアイドル性が高いことで有名だ。他にも煌びやかな容姿をしたα騎士が幾人もおり、町民の中には彼らを愛でるファンが少なからずいた。彼・彼女達は新たに来た美形の騎士や準騎士に敏感である。目立てば即記憶されるのだ。
「申し訳ありませんが今は仕事中なので。ご用の際は窓口にお願いします」
また甲高い悲鳴が上がり集まったファン達が色めき立つ。
「彼、本当にモテるなぁ」
「この短期間でまたファン増えてない?」
「一挙一動にいちいち歓声上がっちゃってるよ~」
私の王子様、と言わんばかりの反応に同僚や先輩達が苦笑いした。
しかも彼らの間で「クローヴナイト」とかいう妙な序列、というか人気投票みたいなものが流行っている。その中にアズールは早くも入っていた。四天王の4人目という位置づけで。
「あはは……困りました」
何を言っても、何をしても喜ばせてしまう。粘着質なファン達。
「αって容姿映えする人多いけどさ」
「人気過ぎるのも問題だよな」
ファンの対応に追われる人気者。助けに入るが苦情が殺到して飲まれる者。
集団から発せられる熱意に気圧され、遠巻きに眺める人々は当事者らに同情するしかなかった。
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未熟ながらも順調に経験を積んでいく。マルクにはまだ勝てないが、他の者相手なら勝率が上がって来ていた。異能を絡めた戦闘は力比べになるほど厳しい。
特にα相手だと顕著に能力差が出る。しかし決して異能の優劣だけじゃないのも知っていた。理由は幾度となく勝負してきた好敵手の存在だ。
「無様に連敗記録を更新しに来たのかい」
「今日こそは勝つ!」
マルクの異能は無系で攻撃向きじゃない。純粋に剣の腕がよかった。
最初は満足に扱う事さえできなかった剣。銃もだが、現在はだいぶ見れるようになってきたと思う。自分なりの手ごたえや実感が確かにある。
(異能とか関係ねえ。不利な事なんて1つもッ)
思念を纏わせる程度で、戦闘に殆ど異能を絡めてこないマルク相手にまず1勝したい。勘だが準騎士の中では一番武人としての格が高いだろう。
全力で食らいついていく。相手も己のプライドを賭けて本気だ。しかし――。
「そこまで! 勝者、マルク・ヒューバート」
「ふん。当然の結果さ」
多少乱れた呼吸をしつつ満足げに胸を張り言う。
「また、負けた」
「悔しいか? 大口叩いてもΩは所詮そんなものだよ」
(気に病むなとでもいう気か。バカにしやがって)
苦しい息を吐きながら、せめてもの抵抗にと睨み返す。
悔しいが何も言えない。ただ眼力で悪あがきするしかなく己の無力が情けなかった。異能で勝てないのに、肉体勝負でさえこの有様じゃ……。
不甲斐なさ過ぎて、涙が出そうになるのを堪えるため唇を噛む。
「やっぱりΩは大人しく守られてりゃいいんだよなぁ」
「出しゃばり過ぎ」
「あいつも顔は結構綺麗だしさ。もうちょっと愛想良くしてれば……」
「おいおい言ってやるなよ」
嘲笑交じりに不満や罵倒をする者。更には――。
「今からでも遅くない。騎士は君のようなΩには危な過ぎる。やめときなって」
「そうそう。騎士は実力が試されるから、オレらみたいに優秀じゃないと」
「無理せず番でも持ってさ。分相応な暮らし方をしたほうが幸せだよ?」
惨敗するといつもこれだ。周囲が好き放題に囁く。
きっとゼノンが一般市民なら、ここまでは言わなかっただろう。仮にも騎士だ。
「こら、負けた連中が便乗するな。見苦しい」
声を発したのはマルクだ。思わず見てしまう。
「お前だって言ってたろ」
「自分は勝ったんだから良いんだよ」
一瞬の静けさの後、誰かが抗議してたのをバッサリと切り捨てる。
屁理屈じみた言葉で強引に場を鎮めた。悲しいような、恥ずかしいような、怒りたいような。なんとも複雑な気持ちにさせられる。気まずい空気が流れる中で訓練時間は過ぎて行った。




