ep8‐2.心に触れて
本作はフィクションです。現実の症状・生態等とは異なる場合がございます。
オメガバースは自由度の高い要素とされ、設定・作中表現には著者の解釈を多分に含みます。読むか否かは自己責任でお読みください。
「大変見苦しいところをお見せしました」
「今の声はひょっとして……」
「兄です。一番歳の近い」
騎士としては優秀な人なんですが……と悩ましい表情すら絵になる青年。
「賑やかそうなご家庭ですね」
「たがが外れると手に負えないのがたまにキズですけど」
口ではああ言っているが好感が滲み出ていて微笑ましい。
ちょうどいい邪魔が入ったおかげで彼の怒りは収まった様子だ。穏やかな調子を取り戻し、手に持ったフリスビーを丁寧に拭っている。そこへゼノンが歩きてきた。
「邪魔するぜ」
「リーダー。どうしました?」
「うん。ちょっと顔貸してくれ」
前半の一言はレイに、後半の一言はアズールに言う。
声からゼノンの緊張が伝わってきて神妙な面持ちで頷く。2人は場所を移した。
木々に囲まれた道を進み、落ち着いて話せる場所を選ぶ。
キャンプ地からそう離れていない距離に絶好の場所を見つける。視界が開けていて眺めがいい。でも他に人がいない穴場だ。
「ここなら……」
周囲の様子を探り、背を向けたままの彼に思い切った声がかかる。
「あの! 私」
「ウザい態度取って悪かった」
「そ、そんな全然気にしてないですし」
「いいや、言わせてくれ。助けて貰ったのに酷かったよな。本当すまん!」
「ゼノンさん」
「あと遅くなっちまったが、助けてくれてありがとう」
真摯な態度で、少々頬を赤らめてゼノンは言う。
アズールは感極まりそうになるのを堪えて応じた。心中の不安を払拭できた開放感と安堵がそうさせたのだろう。いや、まだ終わってはいない。
座るのに良さげな物を見つけて腰かける。話をしようと告げて。すぐには口を開かないで気持ちを整えてから話し出す。
「俺、話さなきゃいけない事があるんだ」
「私も。まず謝らないと」
「謝るって何を?」
「襲撃事件の後、実は勝手に貴方の過去を調べてしまったんです」
プライベートに踏み込んだ行為を謝罪した。
咎めは来ない。むしろ話が早いといった風にゼノンが語り始める。
「じゃあ事件のとこは省く。……俺の発情見たよな」
「はい。ビックリしました」
「うん。見ての通り、俺、他の奴と違うんだ。発情期不全症でさ」
発情期不全症、これは通常の発情期と異なる症状が出て性行為の障害となるもの。もちろん症状には個人差があった。
勘違いしないで欲しいのは、通常の発情期にある性的欲求の増強やフェロモンはちゃんと現れる。
しかしトラウマ等が原因で、本能と理性・自己防衛が激しく反発してしまう。
これによって様々な体調不良を起こすのだ。性欲がトリガーと思われ、トラウマを誘発し増すほどに悪化する苦痛を伴う。
「俺の場合は発熱と倦怠感、あと吐き気。フラッシュバックがあって酷い時は頭痛もする」
「後遺症……2度の事件が原因、ですよね」
「まあ発症は1度目からだ。初発情の時、アレで悪化したのは事実だけど」
「………………」
「時期にもよるがαに触られると悪寒がする時もあって。雨の日は調子でないし、ストレスとかで左足が痛んだり。毎回じゃないぞ」
運命の番がこんなんは重いだろ、と自嘲して言った。
「発情期の事、もっと早く伝えるつもりだった。事故が起こる前に」
「そうだったんですか」
「ああ。間抜けにも捕まって、言いそびれて辛い思いさせた」
「貴方は悪くない。悪いのは悪漢達じゃないですか。押し倒したのも私の自制心が軟弱だっただけ」
「最後のは余計だろ。でも、気が楽になったよ」
相手の顔を覗き込むように見て柔らかく言う。
家族の話をちょっとだけ話すが、どちらか言えば異世界に来てからの内容が多めだ。
区切りがついたのを感じ、今度はアズールが知って欲しいと語り出す。気が引けながらもゼノンは静かに頷いて受け止める意思を示した。太陽が傾いていく。
「私は母が生きた証なんです。母はΩで、父とはSD案件で出会いました」
SD案件と聞いた瞬間に息を飲む気配がする。
「騎士だった父と事件後に結婚して。でも母の身体は既に弱っていたんです。子供を産むのだって命懸けだったに違いない。だけど何かを残したいと言ったそうで」
「ならお前の母さんは……」
「物心つく前に亡くなりました。父は生涯1人を貫くみたい」
愛する人の事情があってか、起こさない頃から性教育は厳しかったという。
珍しい後天性の知識、更には今しがた聞いた発情期不全症の情報も知っていたらしい。記憶には残っていないが父親から母親の話をよく聞いた。共に過ごした短く儚い思い出を。
「子供心に切なかったけど私は母の話が大好きだった。夢も見て」
「大変なんだろうな。俺は片親がいない経験ないから想像も難しい」
でも漂流者として、この世界に家族がいない感覚はわかる。これが近いか?
「騎士を目指したのも、父への憧れと母のような人を減らしたいと思ったから」
「へえ、立派じゃん」
打ち明け合った2人は沈黙したまま景色を眺めた。
赤から青へ、所々緑や黄色が混じる美しい空模様。まだ明るさを残した山中に並んで座っている。ゆっくりと時間が過ぎて行く。
ゼノンは傍らに置かれた手を盗み見て、何気ない素振りでそっと触れてみた。暖かい感触に震えて強張った様子が伝わってくる。アズールは勢いよく振り向く。
「……確認」
「平気?」
「ん~嫌じゃない、みたい」
自分でも意外だと思ってる事を小さな声で呟いていた。
みるみると赤くなっていく頬を止められない。不器用な所作だったけど、自ら触れてきてくれた事実にアズールがはにかんだ笑みを浮かべる。
「私から触っても?」
「……いいぜ」
傷つけないように頬や髪に触れてきた。ゼノンは擽ったそうに眼を細める。
「悪寒や不快な感じはしませんか」
「緊張はしてる」
「よかった。これからは触れるんですね」
「お、おぅ……あんま過度なのは止めろよ。あと人目とか……」
「えぇ~誰も気にしないですって。珍しくないんですから」
「他は良くても俺が気にするんだっつーの!」
異世界の事情は承知しているが、だからといって10年以上も培ってきた感覚は簡単に消えない。元々そういう性癖はなかったのだ。撫でられている今の状況だって気恥ずかしかった。
「――って、いつまで撫でてんだ。離せ」
「残念。もうちょっと触れていたかったのに……」
(こ、これは、今更なしにしたら余計反動か何かで爆発しそうだな)
自らお触りを解禁してしまったので今更取り下げられない。
ゼノンは覚悟を決めた。次も不快感が出ないと保証はないが頑張ろう。踏ん張れ、俺、と自己暗示するかの如く己を励ます。慣れればきっと大丈夫と信じるしかない彼である。
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真っ暗になる前に皆の元へ戻った2人。既に食事の準備が始まっていた。
持ち込んだ食材や釣った魚をバーベキューで頂く。庶民派なゼノンとアレックスは、手際よく丁寧に料理を作って、性格が現れた大胆な作り方を披露するルカ。
そして、なぜか来た時より1人多い。灰色の髪と碧眼の眉目麗しい男がいた。
「なんでクリフさんがここにいるんだ?」
この人は管轄が違うし、更にいえば現在は隣町在住だ。ついでに言うとクリフはレイの3人いる兄の一番下。更に補足すれば長兄がアラン、次兄がエミルという。
しれっと混ざっている理由が知りたい。隣とはいえ結構な距離がある。
「や~ん。気づいちゃった♥」
「締まらない態度は禁止。初対面の方もいるんですよ」
品位を疑われると兄に厳しいツッコミを入れるレイ。ついでに事情を補足した。
足元では彼が連れて来た愛犬がわふわふと餌を食べている。贅沢な事に肉を始め、野菜や果物などをバランスよく盛りつけられ見栄えのいい食事だ。量もちゃんと計算済みらしい。
(犬連れでキャンプに来たのか、この人)
とても不純な目的を持っていそうだ、とゼノンは瞬時に理解する。
楽しく食事を終えて一息ついた頃。ごく自然な態度でこんな言葉を口にしてきた。
「別にレイに会うだけが理由じゃないさ。近々、合同任務が起きそうなんだ」
「合同任務、いよいよですか」
「うん。実行はもう少し先かもね。後日、同盟にも依頼がくるんじゃないかなぁ」
「はあ!? どうして同盟にまで」
「もちろん僕が嘆願して通ったからさ」
えへっといった具合にお茶目なウィンクをする男。周囲は反応に困ってしまう。
お気楽とも感じられる雰囲気で言うクリフ。同盟を率いる者として必ずしも引き受けるとは限らない。そう伝えるのだが……。
「君は引き受けると思う。内容が内容だからね」
「………………」
含みのある発言に騎士らの様子をそっと伺う。こちらも意味深な表情だ。
「さぁさ、真面目な話はここまで。今はのんびり行こう」
「自分でふっといて」
「ふふ~ん。聞こえな~い」
なんやかんやで、強引に切り替えられてキャンプの一時が戻ってくる。
夜はまだまだ。狂わされた調子を変えるべく川辺で花火をやる事になった。随分と用意周到で、それぞれ思い思いに鮮やかな火の華を愛でる。
アズールが一緒にやろうとゼノンを誘う。向かい合うように並んで花火を眺めた。
「綺麗ですね」
「そうだな」
近くで騒ぐ面々の声が気にならないくらい没頭して彼を見ていた。
不用意に近づかないが、昨日までよりも距離感が近く感じられる。それが嬉しいと思う。緑豊かな空間で満喫した時間は、確かに彼らの心を一歩近づけたのであった。
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