ep8‐1.すれ違う心
数日後、河川敷でアズールは多数の異形を追っていた。
突如開く時空の裂け目から出現するのが異形だ。奴らは不定形のスライム状で基本的に人型をしている。真似ているのは形状のみで顔や衣服の類はない。また虫の特徴を部分的に持つ場合も……。
また奴らと一緒に巣核と呼ばれる鉱物質の物体が出現したりする。巣核からはアストラ鉱石が他より多く獲得可能という利点があった。
(今回の個体は素早い。人の多い場所へ行く前に倒さなければ――)
奴らは危険生物と違い必ず複数体出現する。1個体は大して強くないが、数十体が一度に現れる事も珍しくないので厄介だ。なので現在、各所へ手分けし対応していた。
『♯ΦθΙ。ΦЭΙγΦ、ЖЯΙ』
「知ってると思うけど、異形には異能中心で当たってよ」
「はい」
アレックスが風の力で敵の移動を妨害しのその隙に炎や雷を放つ。
(はっ、この香りは)
『§ЖΛ〆。ΓБЛ゛Φ±Ъγ±ΔЭ!』
風に乗って微かに鼻をつくフェロモン。条件反射で風上に意識が向く。
数の多さから元より手こずっていたところに隙が生まれる。敵が狙って襲う。だが奴らを阻もうと風が吹き、それに乗って冷気が細かい粒を作って凍てつかせた。凍った異形が音を立てて崩れていく。
風花舞う旋風の向こうにゼノンの姿が見えた。距離があっても見間違えない。
「ゼノンさん! よかった、回復したんですね」
「――――ッ」
駆け寄ろうとしたが後退った彼の様子に止める。
「貴方を傷つけるような事をしてすみません。でも聞いて下さい」
「…………」
「あの日、私は貴方の危機を知って探してました。助けたくて」
居ても立っても居られなかったのだと紳士に告げる。そして――。
「私は貴方と手を取り合いたい。この気持ちは本当なんです!」
本気で叫んだ言葉に、ゼノンは何かを言いかけ口を閉ざす。
アズールが心配そうに手を伸ばした。しかし彼の動きに反応し、怯えるように走り去ってしまう。近づく余地を与えず行ってしまった事にショックを受ける。
一連の様子を応援に駆けつけたマルクが複雑な面持ちで目撃していた。
河川敷から、あいつから逃げ出して静かな場所に行く。
落ち着きたくて、人目の気にならない所まで足を止めない。たどり着く頃には肩で息をしていた。呼吸を整えながら胸に手をやりギュッと握る。
(つい逃げて来ちまった)
会った時に伝えなければいけない、と思っていた。
見つけたのは偶然で、危ないと感じた時には力を使っていて……。
でも顔を合わせた途端震えた。怖くて仕方がなかったのだ。数日前の出来事が思い起こされて、あれ以上近づかれていたら。そうしたら、また傷つけていたかもしれない。
(それは今もか)
なかなか矛盾していると思う。怯える感情と彼を傷つけた罪悪感。
(俺は嫌いなのか? 好きなのか? どっちなんだよ)
「ははっ……カッコ悪いよな」
最初の頃と何も変わってない。戦える力を得ても逃げるだけなんて。カッコ悪すぎて全然男らしくないと思った。
異形の対応に追われ各地を回っていく。身体構造から小さな隙間さえ通り抜けられる未知の存在。放置すると人を襲うので取り逃がすと危険だ。
憂いがあれど任務に支障をきたす訳にはいかない。同業や民間人の情報をこまめに収集し、次の地点へと向かい討伐。更に次へと急行する途中で角を曲がってきた男女と出くわす。
「うわ、また貴方ですか」
「ボクらもいるよ~」
心底鬱陶しそうな顔をするレイに自己主張をしたアレックス。
「よ、お疲れさん」
「どうも。申し訳ありませんが今立て込んでまして」
「知ってる。異形騒ぎだろ、な?」
「煩くて仕方ないですよ」
さり気なく睨まれ、居たたまれなくなり目を背けるマルク。
けれどレイの様子は急変する。頭上で鳥の鳴き声が響いた瞬間に。驚き空を仰ぎ見て、すぐ血相を変えた表情で隣のルカに耳打ちした。彼女の顔色も変わる。
立ち去ろうとする2人に「どうしたのか」と尋ねた。応じたのはルカだ。
「本部の近くに異形が出たんだ。行かないと」
「だったら我々も向かったほうがいいね」
アズールが応じるよりも早くアレックスが言う。
再度レイの鋭い視線が向けられた。それを傍らの姉貴分が制する。
「頭を冷やしな。この場合は本職に頼るべきだ」
「――はい」
「そうと決まればこっち。レイ、いいね?」
「気は進みませんが仕方ありません」
指で人を避けろ路地に入るよう合図。素直に指示に従う。
路地に張ってすぐコイン大のリングを1人ずつ渡される。シンプルなデザインだが何か刻んであった。思念石でできているようだ。失くさないよう注意を受ける。
「では、行きます」
視界が歪み、次の瞬間には本部前に立っていた。だが異形の姿はない。
「標的はどこに?」
「焦らないで下さい。……あっちです」
迷わず走り出したレイについていく。やがて喧騒が聞こえてきた。
大勢の人が逃げ惑い騒いでいる。中には犬や猫などを含みパニックになっていた。様々な音が飛び交う。傍らの青年はそれが不快らしく顔を歪める。
(状況から察するに、レイ君の異能は移動と聴覚系の感知みたいですね)
相当に便利な力だ。無系の中でも重宝される移動系。更に聴覚系の探知は動物の言葉さえ理解すると聞く。その両方を併せ持つなど強力過ぎやしないか。
分析は程々にして人々を襲う存在の対処にあたる。複数体いるが協力し合えばなんとかなるだろう。同盟の2人には避難誘導を頼み敵へと向かって行く。
「頼りにしてるよ。騎士さん達」
そう言いつつも彼女は応戦する気満々だ。
誘導する片手間に、否、迎え撃つ片手間に誘導している。
『θ〆Φ。∮ЯΔ、∮ЯΔ』
「ルカ姐、前に出過ぎないで」
戦況をみて危うい仲間を移動させ、外れた異能を方向転換させたりした。
炎や氷といった形で具現化した力も移動させられるらしい。敵が破壊した物をぶつけて動きを止める等、なかなかに機転が利く。
(凄い集中力だ。視野が広くて対応も早い)
援護として非常に頼りになる、とアズールは彼を高く評価した。
無系の異能持ちは力の方向性から支援を得意とする場合が多い。実際その通りで、有効打を持たないマルクは単独だと厳しそうだ。攻撃はほぼ思念石の武装頼りである。
うまく連携し、助け合いながら無事に討伐を果たす。残党の有無と事後処理をしている時――。
「レイ、ルカ、皆無事か! ……あっ」
やってきたゼノンは騎士達の顔を認め足を止めた。気まずそうに距離を……。
「待って、逃げないで」
「え……と、その。悪い」
ぎこちなく仲間を守った事に対し礼を言ってくれる。
今はそれだけで嬉しかった。今度は踏み留まっていてくれるのも。
「あー面倒くさ。よーし、皆でキャンプ行こう!」
「はい!?」
「ちょっ、どーいう展開だよソレ」
「突然何を言い出すんですか」
「いいね。ボクも参加していい? マルク君もどう」
「自分は遠慮します」
ゼノンの肩を抱き脈絡なく言い出したルカに何人かが抗議した。
しかし問答無用とばかりに計画を強行してしまう。長々と抗う気力を失い、流されるまま日程を決められこの日は別れたのであった。
☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀
約束の日、山岳へキャンプにやってくる。2人は未だ気まずいまま。
そんな彼らにとっては他の誰かがいる状況は有難かった。中でもルカとアレックスの存在が大きい。提案した張本人と唯一賛成したコンビは、率先して動き役割を各々に振り分けていく。
おおかたの準備が終わると各自で寛ぎ始める。持参したハンモックで昼寝中のルカ、釣り道具を持って川に行くアレックス。そして、なぜかフリスビーを持ち去っていくレイとアズール。
殆どが出払った後、ゼノンは寝ている筈のルカに声を掛けられた。
「気分は晴れそう?」
「……まだ」
彼女はハンモックに寝転がったままだ。顔を合わせるでもなく話す。
「いい感じにレイが連れ出してくれたし、今なら話聞けるけど」
(やっぱそういう事か)
「じゃあ、お言葉に甘えていい?」
「どうぞどうそ」
好意に甘えて心の内に蔓延るモヤモヤを吐露した。
途中で挟まず静かに耳を傾けてくれる。聞き終わっても、個人の気持ちを否定せず導くように問いかけながら言葉を紡ぐ。こういう時、彼女のほうが大人な雰囲気だと日頃から思う。
「なんかルカのほうが恋愛うまそーだな」
「ぜーんぜん。これでもアタシ、1回フラれてるんだよ。Ωのクセにエロくないって」
「うわっ、最悪のフリ文句。Ωのとこ強調してんのが特に」
告白を断った野郎は見る目がないなと本気で思った。
偏見の混じる嫌味なフリ方には言葉を選べと言いたい。大体エロくないなんて嘘だろう。匂い立つ美しさ全開なレイと並び立つくらいだ。クールジャンルだが、それはそれで色気があるんじゃないか?
(改めて俺の周り美形率高いんだよなぁ)
すっかり慣れたが事実そうだ。故に平凡代表なアレックスや、綺麗だが控えめのハルトは見ている分には落ち着く。
「ちょっと余裕出てきたな」
「あ……言われてみれば」
いろいろ悪いな、と言えばルカは気にした風もなく首を振る。
「いいさ。好き嫌い問題はβ以上に複雑だから」
疑う余地なく納得してしまった。バース性が絡んだ感情はややこしい。
発情期や運命の番があるおかげで真実の愛なのかミスリードしてしまう。衝動や習性に突き動かされているだけで、自分の気持ちが違う所にあるんじゃないかと。
「焦らずゆっくり探ればいい。で、話せ。あるんだろ?」
「――おう。ありがと」
心を重くしていた余計な荷物が取れ清々しい心地になる。
整理のつかない部分が完全になくなったじゃない。でも前に進もうと勇気づけられた。
一方その頃、やや挑戦的に連れ出されたアズールは――。
意味がわからずフリスビーの相手をやらされていた。しばらくは黙々と投げ合っていたのだが、数回目を投げた辺りでレイが口を開く。
「あの人を押し倒したって本当ですか」
「誰からそれを!?」
シュバッと先程までより力強くフリスビーが飛んでくる。けど彼は無言だ。
いったい誰から。あの現場にいたルカは決定的瞬間を見ていない筈。ならばハルトか、本人か。
「お、怒ってます……よね」
「別に」
返してすぐ鋭い一投が来た。言葉と態度が違う。
(ゼノンさんを傷つけた事は事実だから弁解のしようが……)
レイに許される必要ないのだが、近隣関係が悪いのは後々困りそうだ。
果たして無視していいのか。障害となり得る芽は摘んでおくべきかと悩む。厄介なのは目の前の青年はゼノンと一緒にいる事が多い。何度か顔を合わせている間に知ったのである。
「ワンッ!」
「え?」
攻撃ともとれる強烈な投げを何度か受けていた時だ。
これでもくらえとばかりに放られたフリスビーを横から攫う影があった。
(犬? 犬種はロールウィッグレトリバーっぽい)
毛艶が良いほどクルンと巻く長毛が特徴的な大型犬だ。黄金色が眩しい。
「…………ちょっと失礼します。フランシスおいで」
「フッフッ」
フリスビーを加えたままの犬を連れて茂みのほうへ歩いていく。
一拍をおいて茂みのほうから悲痛な叫びが聞こえてきた。若い男の声だ。
「許して。お兄ちゃんはただ心配で! つい出来心で!!」
「恥ずかしいので止めてください。ストーカーの真似事までして」
「そんな言い方をするなんて酷い! これは実地での潜伏調査だよ」
「カッコつけた言い方してもダメです」
「怖いよレイ。フラン、連れてきてやったろ~助けてくれ~」
「クゥン?」
「薄情者ぉ――ッ」
再び絶叫が辺りに響き渡る。アズールは唖然とするしかなかった。たっぷり時間をおいてレイが戻ってくる。




