ep7‐3.苦悶は続き……
本作はフィクションです。現実の症状・生態等とは異なる場合がございます。
オメガバースは自由度の高い要素とされ、設定・作中表現には著者の解釈を多分に含みます。読むか否かは自己責任でお読みください。
アズールは撃退した悪漢らを常備の対念錠と細鋼糸で拘束する。
油断なくきっちり対処した後は、張り詰めた気配を和らげて身を翻す。壁に背を預けていたゼノンがずるするとへたり込んだ。慌てて駆け寄った時にふわりとフェロモンが漂ってきた。
いつもと違う感覚にはっと気づくアズール。意識に侵入して欲求を刺激してくる香り。
「はぁ、はぁ……」
「ゼノンさん。貴方っ」
駆け寄ろうとした彼の意識がぐわりと揺らぐ。
何度か打つ寄せる波に身体が支配され、動いて――。
「やっ……」
「――――ッ」
耳に届いたか細い声で、どうにかアズールの理性を身体の支配を取り戻す。
気がつけば押し倒していた。まさにそんな状況だ。完全に許された距離を超えてしまう。ゼノンは身体を強張らせ、目は見開いたまま震えている。
容赦なくぶっ飛ばす、と言っていた男の抵抗はない。
しばし膠着していたが、再び鼻孔を擽る香りで急ぎ離れたのはアズールだ。
止まっていた時が動き出すように咳き込む声が響く。苦し気に瞼を閉じ、不規則な呼吸をして、うめき声を上げながら身体を抱える。目に見えてゼノンの様子が急激に変化した。
「ヒィィ、ハァ……」
「いけない。どうすれば」
急病患者の如く倒れたままの彼に困惑してしまう。
助けようにも近づけばまた襲いかねなかった。理性が持つかどうか、わからない。今も必死に耐え抗いながら最善の方法を考える。
「おい、お前まさか――」
雨で視界が悪い中、道の先から知った声が聞こえた。足音が近づく。
「ルカさん」
駆けつけた彼女は周囲を見て状況を察する。
一度リーダーである彼の元へ寄り、次いでアズールの元に来て問う。
「誘発情はまだしてないな。抑制剤は?」
「今日は、飲んでます」
「わかった。悪いが念のため押えとく。理性飛ばすなよ」
ルカは地面に手を当て深呼吸した。すると石砂人形が生えてくる。
石砂人形は飛びかからぬよう身体を抑え抱えた。術者の制御能力が足りないからか、力加減がきつめでやや苦しくもある。
「まったくレイがいない時に」
「あの、アレックスさんに連絡を。悪漢を野放しにはっ」
「……それもそうだね」
彼女は自身で雨避けになりながら手早く伝言を書く。
水を反発する袋にそれを入れ、子犬型の石砂人形を繰り出して加えさせた。2体目の形が歪で小さいのはキャパオーバーだからか。
「行け」
子犬人形は仕草だけで鳴き駆けて行く。できる事はやった。
そう判断し、ルカはゼノンを背負って歩き出す。人形は彼女の後に続いた。熱が上がっていく患者の体温を背に受けながら同盟本部へと急ぐ。
☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀
無事に同盟本部へとたどり着く。ルカが彼を自室まで運んだ。
1階のエントランスロビーで気持ちを落ち着ける。傍らには治療を終えたハルトがつき添っていた。彼は元Ωだった為に一般のβよりフェロモンに耐性がある。
容体を聞くアズールに彼は大丈夫だと伝えた。発情期が始まっただけだと。
「発情期にしては尋常じゃなかったですよ」
「気になるでしょうが、彼の場合は事情が特殊とだけ伝えておきます」
「そんな……」
「僕も心苦しいです。でも彼が望んでいるかわからないので」
これ以上は聞ける状況じゃなかった。話題を変えるように――。
「よく我慢しましたね。運命の番なのに」
「はい。――え、どうしてそれを!?」
運命の番に関して、自覚はあれど誰にも話していない筈である。
(もしやゼノンさんが?)
「ふふ、違いますよ。あの子のちぐはぐな反応を見てれば明白でしょう」
そういうものなのか。他を知らないので比較しようがなかった。
彼は気の毒そうな顔をして、なかなか踏み留まれるものじゃないと言う。
「念のため、効果が切れる頃をみて抑制剤を飲んでおいて下さい」
頷いて応じ、呼吸を整えてから事情を話す。
気持ちは沈んでいた。事情を話し終え、しばしの沈黙の後にハルトが口を開く。
「貴方は3年前の事件については知っていますか?」
「3年前? いいえ、知りません。あの人に関係が……」
「すみません、僕の口からはなんとも。でも調べるかどうかは任せます」
話の区切りがつく頃、タイミングよくアレックスが入ってきた。ルカの姿も。
後輩の姿を見つけて歩み寄り、開口一番に告げられたのは叱責である。罪状の不明な人に対念錠を使用したのが理由らしい。
でも、手酷くというより注意に近かった。情報提供のおかげで調べる余地が出たという事だ。派手にやったので始末書は免れないが……。
「彼は大丈夫ですか」
「はい。今は自室で安静にしてます」
この場にいてもできる事はない。アズールは先輩と共に同盟本部を後にする。
「あの、アルックスさんはゼノンさんが関わった事件を知ってますか」
「もちろん。彼が被害者の事件だよね」
「ええ、是非確認しておきたいのですが……」
「わかった。1件は未解決だし頭に入れといて損はないよ」
被害案件が複数ある事実に少々驚きつつ2人は基地へ戻った。
突然飛び出した事への諸々を片づけ、過去の事件資料が保管された部屋に行く。教えて貰った通りに探して資料に目を通す。
3年前、特区郊外。漂流直後に遭った性的暴力。保護した男性が通報。被害者は全治3か月の怪我を負い、心身共に不安定な状態だった為、事情聴取に時間がかかった。現在も3名中2人が消息不明。
被害者は後天性Ωであり、事件当初はまだ発達途上であった模様。
「こんな、なんて事を……。もう一件は」
1年前、基地内にて性被害の未遂事件が起こる。原因はΩの初発情。当事者は抑制剤を服用していたが、発情である為に完全な防止にはならず。偶然異変に気づいたアレックス・ジルゼンにより最悪の事態を免れた。α側の氏名はマルク・ヒューバート。
当事者らの処分は、マルクが7日間の謹慎と再教育を兼ねた準騎士期間の延長。ゼノンは本人が承諾した事もあり準騎士を辞職した。
「………………」
資料を凝視したまま絶句する。こんな被害に遭っていたなんて……。
(もしも3年前に出会えていたら――)
「いや、今となっては他人事とは言えない」
同じ事をするところだったのだ。あの時の彼の顔を思い出す。
凍りついたような表情と今にも決壊しそうな瞳。ガラスの如くたちまち砕け、粉々になりそうな様子が痛々しくて。
父の教えに倣って相手の痛みを想像してみた。きっと想像を絶する恐怖だったろう。昔も今も。
(運命の番だから、嫌っても何れ受け入れてくれると心のどこかで。けど実際は)
あの瞬間は彼に怯えられ、拒まれたと感じ傷ついてしまったけれど……。
「私はバカだ。あの人が嫌う理由を、遠ざける意味を深く考えなかった!」
柄にもなくポロポロと涙を流す。溢れて止まらず零れてしまう。
(少しでも苦痛を消してあげられたらいいのに……)
純粋に願いながらも、既にやらかしてしまった先行きに不安を抱える。
拒まれたくない。けれど仕方ない事をした。押し倒す以上の事を自分はしていないだろうか。謝っても許してくれなかったら。本気で嫌われてしまったら、と胸が締めつけられるくらい苦しくなるのであった。
☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀
同盟本部、5階。ゼノンの部屋。発情期の日はいつもこうだ。
薬を飲んで尚抑えきれない欲求とフェロモン。2日目が症状のピークだ。身体が熱い。発熱している。おまけに怠くて吐き気がした。決していいもんじゃない。
「うぅ、はぁはぁ……」
興奮しながらも不調を訴える身体。意識が朦朧としてくる。
動くのが辛くて、必要に応じて動く時はぶつかるわ転ぶわの連続。断続的なフラッシュバックがあの日の悪夢を見せた。
「あ、あぁ……」
うなされるように呻き声を漏らし、吐き気を感じて酷く咳き込む。
知らない男が触れてくる。服を脱がされて。気持ち悪い、痛い。嫌だ、来るな!
「や、ぃやだ」
フェロモンが止まらない。またフラッシュバックが起こる。
それまでと様子の変わった若者。荒い息で近づいて来て。誰か、助けて……。
「望んで、ない。止まれ、止まれ止まれッ」
何かを取ろうと手を彷徨わせ、身体の力が抜けたように倒れ込む。
幾度もフラッシュバックが起きた反動で頭痛がした。触れられた時の感触に悪寒を感じて、全身が粟立つ感覚がする。だがソレは錯覚だった。否、どこまでが錯覚かわからない。
(だりぃ……水……)
呼吸を乱して立ち、縋りながら台所を目指す。症状が比較的に弱いうちに。
熱の所為で視界が歪んでいた。でも部屋の内装は把握している。感覚的に進んで、どうにかたどり着いて水を1杯飲んだ。体調が辛くて寄りかかってしまう。
(ピークになるときついな。念のため鎮痛薬を)
抑制剤はまだ効果が残っている。この鎮痛薬は後遺症の物で酷い時用だ。
外はまだ雨が降っていた。おかげでただでさえ不快な症状が増す。この時期ばかりは頼る人を選ばないといけない。食事時になるとレイかルカ辺りが様子を見に来るが……。
(正直誰にも会いたくねえ)
他の人と様子が違っていらぬ心配をかけるから。治しようもないんだし。
「う、ゴホゴホッ。あぁ、だり……」
また大変な労力を費やしてベッドまで行き横になる。
早く終わって欲しいと切に願う。同時にこの後くる生理に気が滅入るのだった。
☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀




