ep7‐2.苦痛の先に……
本作はフィクションです。現実の症状・生態等と異なる場合があります。
暴力的・不快と感じられる描写や表現を含みます。表現には気を遣っておりますが、自己責任で読むかを判断してください。
捜査活動を終え、アズールは基地に戻ってくる。
もうすぐ今日の業務は終わりだ。外門を潜ったすぐそこで、ふと覚えのある感覚があった。鼻孔を擽るこの微かな香りは――。
「ゼノンさん?」
整えられた低木が並ぶ道端に足を止め視線を送る。しかし誰もいない。
(気のせいでしょうか)
こんな所に彼がいる筈はないだろう。ましてや隠れる必要など。
ならば自分の思い込みか、と考えた。とうとう香りを誤認するくらい妄想するように?
脳裏に過った思考を即座に振り払う。変態思考に走るなんて笑えない。そんな趣向はない筈だと己を叱咤した。
「こんな事ではあの人に嫌われてしまいますね」
自虐ではないが、呆れの混じる声音で呟く。
だが束の間だ。すぐに気持ちを切り替えて残りの業務を済ませ帰宅した。
数日が経つ。翌日も、その次の日も、そのまた次の日も、彼には会えなかった。
理由はわからない。聞こうにも情報を持っていそうな人物がいないのだ。レイ、ルカ、ハルト、誰1人として知った顔と出くわさないまま時間が過ぎていく。
(同盟の皆に何があったのでしょうか)
不穏な予感が脳裏を過る。妙に静かなのが不気味だった。
そこに血相を変えたアレックスが駆けこんできて呼ぶ。返事をして振り返れば……。
「大変だ、ゼノン君が危ない!」
「急にどうしたんですか!? 説明して下さい」
「近未来予知だよ。少し前に相談を受けて……」
「マルクさんの異能。彼はなんて言ってたんです」
部屋を飛び出して進みながら話を聞く。気が気じゃなかった。
彼曰く、予知を見たのは盗難事件があった日。見た本人は半信半疑だったという。当初は事件と関係ないと判断したらしい。だが昨晩、誰かに追われ襲われるゼノンの夢を見たのだ。
マルクの見るものは時に予知夢となる。前例が幾つかあった。
外は雨が降っている。徐々に激しさが増していた。
しかし関係ない。レインコートを羽織っている。緊急時、炎の異能は使い辛いだろうが……。
「こりゃ不味いな」
「何が?」
「そっか、君は知らないよね。ゼノン君雨の日は調子崩しやすいんだ」
「えっ――」
意外な事実であった。水と氷を操る異能の持ち主が雨天で不調?
「とにかく手分けして探すぞ。予知でも雨だったらしいから」
「はい!」
前例がある異能の力とはいえ、確実性があるかというと現段階では厳しい。
近未来という絞り込みがあって尚、いつの出来事なのか正確に測れはしないのだ。単純に間に合わなくなる可能性が高かった。今日起きるか、明日以降なのか。知りようがない現状が苦しい。
(必ず助けます。どうか無事でいて)
心の底からそう願い、ひたすらに雨の中を駆け抜けていく。
☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀ ☂ ☀
雨の日は憂鬱だ。気分が上がらず、そぞろでミスが増える。
今は前ほどじゃないがやっぱり調子が狂う。耳障りな雨音を聞きながら意識が戻った。最悪な寝心地のこれは固い床か、地面か。外が暗いのと、空気が湿っているのとで陰鬱さが増す。
(どこだ。俺はいったい……)
不意をつかれた。それは確かだ。でも場所が違う。誘拐されたか?
(身体のあちこちが痛え。どんくらい眠ってた?)
後ろ手に縛られ、腹のすき具合から相当な時間が経っているのがわかった。
食欲はないが、今は非常事態っぽいから有難い。それよりも身体の痛みだ。これはどれだろう。やられた所為か、雨だからか、どっちもか。考えてすぐどうでもいいと思った。
(怠りぃが異能を使って……)
「やあ、お目覚めかい?」
男が仲間を引き連れて歩いてくる。声を発したそいつだけ服装が上等だ。
「テメェ」
「随分よく眠ってたね。気分はどう」
「愚問だろソレ」
「同盟には大変世話になってるよ。妹の事も含めて」
「妹?」
ゼノンは相手の顔をよく観察する。空がチカッと光った。
男の顔が一瞬鮮明に見える。似ていた。歳の頃を考えれば心当たりは1人だ。
「ルカの兄貴か」
「ご明察。まったく情けない愚妹だよ。異能が弱いばかりか、手が先に出るっていうじゃないか。Ωに生まれると素行まではしたなくなるんだね」
「兄貴のクセにわかってないな。ルカは弱いんじゃねえ、苦手なだけだ」
(くそっ、最近ルカの様子がおかしかったのはコレの所為か)
短い対話の中でもわかる。極端な家庭で育った甘ったれだと。
αΩの家庭では割とあるのだ。特に家が裕福ではなく、ずっとβ続きの場合が多い。生まれた子がαの場合は過保護、Ωの場合は放任か過干渉になるという。
いつだったか、ルカが話してくれた事がある。棄てられたのだと。
施設の人にはαの兄弟が理由と聞いて。でも預けられた時、彼女は赤ん坊だった。子供でも思うだろう。乳幼児の自分よりαの兄貴を残したかったんだって。天才肌で優秀な子に育ちやすいから。
発情期や生理、住む地域によって苦労が多いのはわかっているけど……。
(中卒ぐらいの歳で施設出て、特区にたどり着いて、どんだけ苦労したと――)
幼少時だって最低限の援助しか得られない。当然だ、1人だけを構えないから。
「ホント保護して貰う立場なのに生意気なんだよ。同盟の所為でこっちは商売あがったりさ。邪魔ばかりして鬱陶しいったらない」
すんと鼻が鳴く。鈍いゼノンだが嗅いだ事のある匂いに気づいた。
これは保護対象から時々匂ってくる刺激臭。碌でもない連中から漂って来るフェロモンだ。つまり連中はΩ専門の人狩りである。希少生物であるかのように人を売買する外道。
「我が子を成り上がりの道具にしか考えてねぇ親は最低だが、甘やかされて必要な教養を身に着けてねぇテメェらも終わってるぜ!!」
侮蔑を込めて悪態をつくと容赦のない蹴りがゼノンを襲った。
派手に転がって、更に追撃でもう幾らか足蹴にされる。堪らず咳き込めば髪を鷲掴まれて起こされた。総毛立つのを感じながら男の懐にナイフがあるのが見える。野郎が持っていたらしい。
「君だって綺麗な顔なんだし、もっと淑やかにしてればモテるのにさ」
「そうそう。世にも珍しい後天性なんだろ?」
顔を近づけ、生ぬるい視線で品定めされた。そして荒々しく放り棄てる。
倒れ込むゼノンを見下ろしゲラゲラと連中が笑う。痛みを堪えて立ち上がり、油断している男に全力で体当たりをかます。激突とほぼ同じくして縄が解けた。落ちたナイフを拾う。
「この野郎ッ」
男が逆上し周囲の連中も便乗して遅いかかってきた。
刃物や金属バットを振り下ろしてくる輩は、まず鞘つきナイフで受け止めてから蹴りや拳で反撃。抜き身で応戦はしない。
あくまで異形等への対策だ。人に防衛以外で使えば罰を受ける。抜けば弾みで殺傷する可能性があり、そうなれば幾ら正当防衛でも言い訳がし辛い。
(身体の調子が悪い。癪だがここは逃走優先だ)
全員を相手にしてられるか。それに時期が危うい。
瞬時に行動目的を決め、応戦しつつ出口を目指す。建物の内部構造に関する情報はないが傾向はわかる。廃虚だからそれこそ人が通れる穴でも探せばいいのだ。
「野郎が逃げたぞ!」
「しっかし、どうして縄が……」
「これ切れてるっすよ。なんかひんやりしてて」
遠のいていく会話。異能も飛んでくるが気にしていられない。
左足がじくじくと痛み、体調崩れていき、思うように距離を離せている気がしなかった。でも足を止める事なく必死に駆け抜け廃虚の外へと飛び出して行く。
激しい雨の中を懸命に走る。追う者の声を聞きながら息を乱して。
異能を使うだけの余裕はもうなかった。捕まったら終いだ。冷えている筈の身体は徐々に熱くなっていく。左足は変わらず痛み続ける。時々麻痺したように感覚が鈍りすっ転びそうになった。でもこれは精神的なもので身体の負傷じゃない。
(連中しつこいな。さて、どっちに……)
目的地はどうする。誰かに助けを求める?
いや、助けなんて期待していいのか。無理だ。来るわけない。
思考に過った顔に首を振る。邪念を払うように。あいつは、騎士団は――。
(いやダメだ。騎士団に行くべきじゃない)
身体の感覚に意識が向く。そろそろ来そうなんだ。
あそこはαやβが多くてあの日の二の舞になってしまう。それも大勢から。純粋に恐怖だった。この感情故に目指す場所は1つしかない。選択肢など初めからなかったのだ。
ゼノンは悪くなっていく体調と戦いながら移動を続ける。なるべく人のいない道を選んで。
「いたぞ! こっちだ」
「手間を取らせやがって。覚悟しろ」
「来んなっ。くそ、こうなったら水で――」
しかし異能は発動しなかった。気力、体力ともに限界だ。
周りに大量の水があるのに使えない。あまりに無力で情けなかった。あの日の出来事を思い出すようで。気を抜くと身体が竦んでしまう。
「やっぱりΩだねぇ。肝心なところで力が使えない」
「はぁ、はぁはぁ」
「随分と苦しそうだ。……おや? ひょっとして君」
「近づくんじゃねえ」
男を始め連中の目の色が変わった。不味い。
反射的に後退ろうとするが、それより早く男の腕がゼノンの腕を捕えた。強烈な悪寒が全身を駆け巡る。本能が脅威を感じて戦慄した。
捕まれたまま道端へ誘導され押し倒されそうになる。その時、割り込んでくる影があった。
「――離せ」
腕が解放され男が押し飛ばされる。見覚えのある背中が視界に――。
「なんだオメェ」
「ちょっと君、邪魔しないでよ。それとも仲間に入れて欲しいのかな?」
「黙れ」
「騎士さんも男だもんね。わかるよ~激レアΩだしさ」
下卑た笑みを浮かべながら歩み寄ろうとする男。
上機嫌で話す奴へ剣の切っ先が向けられた。その背に守るべき人を庇って。
「薄汚い手でこの人に触るな。全員、とっ捕まえてやる!」
アズールの全身から電流の如き火花と陽炎のようなオーラが迸る。
ゼノンからは見えないが、彼の鋭い眼光を放つ瞳が敵を射抜くように見据えた。これは静かな怒りだ。誰もがそれを無意識に感じ取る。もはや殺意にまで到達していないだろうか。
「ば、バカだなぁ。騎士さん、一般人に剣を向けたら犯罪だよ」
男が震える声で意見した。命乞いでもする気か。
「大丈夫ですよ。刃が触れさえしなければ」
「へ?」
発言の意味を瞬時に理解できず間抜けな声を零す。直後、男は絶叫した。
刃は触れていない。剣は微動だにしないまま悲鳴を上げた人影が頽れる。泡を吹いて失神していた。状況がわからず周囲の者らが慄く。
「何をした!?」
「次は貴方達です」
「ひ、ひえっ」
「助け――ッ」
危険を察知して距離を取る悪漢達。踏み込まねば刃は届かない。
けれどアズールは一歩も動かなかった。代わりに剣を薙ぎ払うように一閃。数秒後、次々と周囲の男達から悲鳴が上がった。一切刃を触れさせず、目にも止まらぬ雷の異能だけで掃討したのだ。




