訪れる者たち 2
「もともと持っていた特性みたいなものが能力として顕れるなら納得です。私、大学では環境バイオテクノロジーとかを学んでましたし」
「……バイオ?」
「微生物などを利用して痩せた土地の土壌改良をするんです」
「ほう」
「でも、こんな簡単に出来るなんて……。勉強したのが馬鹿らしくなっちゃう。本当、魔法みたいですよね」
そう言ってフフっと笑う果音を見ながら丈一郎は採れたてのシュベリーをもぐもぐと頬張る。はっきり言ってバイオなんとかの事はよく分からないが、先程、果音をすごいと言ったのは嘘偽りない言葉であり、この食卓の席を見ても彼女が只者でない事はすぐ分かる。馴染みのない魚料理や具だくさんのスープ、柔らかなパンが並ぶ朝の食卓。果音には元より生きる為の術がすでに身に付いていた。それは昔、ボーイスカウトにいたからとか、サバイバル番組が好きでよく観ていたからとか本人は言うが、ここに来てから大抵の事は全部一人でこなしてしまう。料理はもちろん、草を編んで衣服なども作ってしまうし、裏の木を切ってきては家の修理や改造も毎日少しずつ行っていた。分かってはいたが、この世界が求めるだけの能力と資質が彼女には備わっている。
「……いや、果音は逸材だ。聖女の中では随一の……」
それは丈一郎が神殿を管理する大神官だったからこそ言える事だ。神殿には聖女に関する記録が多数保管されているのだが、そのどれを見ても果音のようなタイプはこれまで一人もいなかった。聖女イコール世界樹と関連付けられるほど、歴代の聖女が皆、世界樹にしか干渉出来ない限られた能力の持ち主であったのに対し、果音はそれとは関係なしの再生能力を持っている。しかも風変わりなのは、海の浄化までやってのける複数の能力持ちという点が他に類を見ない、驚くべき事だった。
「……あの、ジョーさん……」
何故か急にソワソワする果音に丈一郎は首を傾げた。目の前にいる果音は落ち着かない様子で目をキョロキョロと動かしている。
「どうしたのだ?」
「……ええっと……私、今までちょっと現実逃避というか、頭の中を整理してたというか、環境に慣れるのに必至でなかなか余裕がなくてですね……、いや、もしかしたらとは思ってたんですけど……やっぱり、そういう事なんでしょうか?」
「そういう事とは?」
「…………私が、聖女だって事です」
丈一郎は思わずポカンとしてしまった。魔女島を楽園に変えてしまう、こんな奇跡を起こしておきながら今さら何を言っているのかと内心呆れてしまったが、本人は至って真剣に丈一郎が答えるのを待っている。
「ああ、紛れもなく果音は聖女だよ。元大神官のワシが言うのだから間違いない」
そう言うと果音は何とも言えない顔をした。嬉しそうでも残念そうでもなく、強いて言えば何か思い悩む表情だ。
「……やっぱり、そうですか。じゃあ、それなら……」
「うん?」
「それなら、私も歴代の聖女や、お婆ちゃんみたいに、お役目をしなきゃいけないのかなって。……その、世界樹の再生を……」
「……ああ、何だと思えばその事か。……別に、果音が気にする必要はないのではないか?」
「……え? だって……」
何故か急に不機嫌になった丈一郎。それはいろいろ思う所があっての事だが、果音は少し戸惑ってしまう。そんな果音に、今度はどこか不敵な笑みを浮かべながら、丈一郎は更に言葉を付け加えた。
「心配せんでも聖女ならもう一人いるではないか。ドレスト王国にいる……ほれ、名を何と言ったかのぅ?」
「あ! そういえばそうでした! ドレスト王国には桃香がいたんでした!」
「うむ。追放された果音とは違い、そっちは皆に大歓迎されておったのだろう? 国が聖女として認めたのはその桃香なのだ。だったらその者が何とかするべきだ」
本当に聖女だったらな、という最後の呟き声には果音は全く気付かない。それより聖女は自分だけではないという事に安堵の表情を浮かべている。
「そうでしたそうでした、みんなが求めているのは桃香みたいな聖女でした。私はみんなに嫌われてる魔女だって事、すっかり忘れてしまってました」
「……まったく、本当にバカな事を……」
「そうですよね。私が何かする方がみんなにとっては迷惑ですよね」
「……ん? な!? 違うぞ果音! ワシはあの胸糞悪いドレスト王国の事をだな……! 果音はすごいぞ! 立派だぞ!」
「ジョーさんにそう言ってもらえるだけで嬉しいです」
「……いや、ううん?」
何か微妙に噛み合っていないような感じがして丈一郎は顔をしかめる。だが果音の方は特に気にせず笑っているので、丈一郎はまあいいかと軽く咳払いをする。気を取り直して話を続けた。
「……それはそうと、さっきの世界樹の話だが……、真面目な話、あの状態の世界樹を再生できるかどうかは疑問だな」
「……え?」
「いくら聖女であっても、果音でもあれは難しいと思うぞ」
「……ええ?」
「実はな、世界樹はもう――」
そこで丈一郎は口を止めた。険しくなった表情。その目はどこか遠くを見つめている。
「……ジョーさん? どうかしたんですか?」
「……来る」
「……へ?」
「誰かがここへやって来る。……昼頃だ。数はおそらく10人前後……。何の目的かは知らんがな」
「……ええ!?」
果音は思わずガタッと立ち上がった。
◇◇◇◇
「……これはっ……!?」
「……どうなっている……」
「……まさか、夢でも見ているのか……?」
その後、丈一郎の予言通りに、レオノス率いる一行が昼ごろには魔女島へと到着した。同行したハイルを含む近衛騎士たちは皆口をあんぐりと開け、一体何が起きているのかと理解出来ずに混乱する。上陸前から船上はすでにザワついていたが、いざ上陸してみると、目に飛び込んでくる光景に誰もが目を疑ってしまう。
そこはまるで別世界のような豊かな自然が広がっていた。生命の息吹を感じる緑の大地、美しい野生の花々が色とりどりに咲き乱れ、その香りが風に乗って広がっている。遠くには立派な木々がそびえ立ち、青々とした葉っぱを茂らせていた。
まるで魔法にかけられたかのような幻想的な世界。珍しくレオノスが顔を綻ばせ、そこにいる全員も恍惚とした表情を浮かべている。ところがそこへ誰かの気配と足音が近付いてきた為にみんなハッと我に返った。ここがどこだったかを思い出し、少し前の緊張感が一気に蘇ってくる。即座に身構えるレオノス。他の者も気を引き締め、それぞれ守備の姿勢を取る。そこに姿を現したのは――、
「……なんだお前らは。ここへは何の用で来た」
現れたのはあの有名な大神官だった。神秘の力を持つとされる唯一無二のその存在。他国の王族でさえ会うのが難しいとされる人物の登場に皆おもわず息を呑む。
「……ジョー、大神官……?」
レオノスは訝しげに丈一郎を見つめた。呪われ、頭が狂ったとされる大神官。だが、一見すると特に異常は感じられない。
「……なんだ? そんなにジロジロ見て……。失礼だのぅ。挨拶ぐらいするのが礼儀だと思うがのぅ……」
「……! これは失礼を!」
言われて初めてレオノスは礼を表す姿勢を取った。それを見た部下たちも慌ててその場に膝をつく。漂う緊張感。厳しい顔つきの丈一郎を前に、レオノスは改めて挨拶をする……。