訪れる者たち 1
途端に瞳が輝いたのは、桃香が好んで読んでいた漫画の中に貴族がムチを打つシーンがよく出てきたからだ。使用人に対し容赦なくムチを打つそのシーンは見ていてとてもゾクゾクし、自分もやってみたいとずっと前から思っていた。なので、その願望が叶えられるチャンスが巡ってきて興奮しない訳がない。桃香はここぞとばかりに思いきりムチを振り下ろした。
「……キャッ! ヒッ! お許し下さい聖女様ッ!」
打つたびに白いブラウスが裂けてゆき、次第に侍女の肌から赤い鮮血が滲み出る。桃香に一切躊躇はない。それどころか、血を見るたびに興奮し、痛めつけるのを楽しんでいる様に見えるのだから、皆おもわず顔をしかめた。正直、ローレンスが下の者に対してこうした事を平気で行うのは知っていたし見慣れてもいたが、聖女も同じような気質だと分かり、内心複雑な思いである。桃香とローレンスだけが楽しむ異様な室内。止めれば更に酷い事になるのは分かっているので誰もそれを止められない。グッと拳を握りしめるレオノス。桃香は新しいオモチャでも見つけたように一心にムチを振り続けた。
「……ハァ」
今日の聖女への奉仕が終わり、部屋へと戻ったレオノスは疲れ切った表情でソファーに腰を下ろしていた。こんな事をして何の意味があるのか、いつまで我慢しなければならないのか、苛立った思いとやるせなさが彼の心を支配している。そこへ側近ハイルが伝書鳥の知らせを持ってやってきた。
「……ッ、クソッ!」
受け取った書面には兄であるアドルフの病状悪化が記されていた。アドルフが冒されている病は初期段階での薬草治療が最も有効である。それなのに肝心の薬草が手に入らなければ悪化するのは当然で、この二週間で病はだいぶ進行していた。ただでさえ苛立っていた所にこの知らせはレオノスの心を大きく乱す。
「……レオノス様。ここはいったん、ヴァレンティア王国に戻られては……」
見兼ねたハイルが気遣いながらそう言うが、レオノスは素直に頷けない。今自分が戻った所でどうなるというのか、そんな思いが頭をよぎる。
「このまま帰る訳にはいかない。大体、手ぶらで戻った俺を国が歓迎すると思うか?」
「……ですが、アドルフ様の容態が……」
「分かっている。だが、俺が今帰った所で状況は変わらないだろう」
ハア、と再び溜息をつき、レオノスはそのまま頭を抱える。情けないのは聖女に媚びる事しか今は出来ないという事だ。この食糧難の時に食べ物を粗末にし、気に入らない事があれば子供のように騒ぎ立てる。しかも今日のあの侍女への折檻の様子から、これからますます嫌なものを目にする事は明らかで、憂鬱さが鉛のようにレオノスの心を重くする。
しばらくの沈黙。項垂れ、途方に暮れるレオノスにかける言葉が見つからず、ハイルはそっと退室しようと考える。だが、突如レオノスが思い立ったようにバッと顔を上げたので何事かと思い動きを止めた。直後聞こえたその言葉に思わずハイルは聞き返す。
「……はい? レオノス様、今なんと?」
「魔女島だ。俺は明日の朝一番にここを出て魔女島へ向かう事にする」
「……! 何故そんな! あそこには恐ろしい魔女がいるのですよ!」
「だからこそだ。魔女というからには何かしら特別な力があるのだろう。交渉してみる価値はある」
「そんな! レオノス様にどんな危険があるか分からないのですよ! 呪われるどころか命を取られでもしたら……!」
「構わん。俺一人の命で大勢が救われるのなら」
「レオノス様!」
「大体、今以上に恐ろしい状況があると思うか。こうしている間にも兄上の病状は悪化し、たくさんの民の命が失われているのだぞ。こんな所であと何ヶ月も無駄な労力を削るより動いた方がよっぽどマシだ」
「……ッ!」
決意を固めたレオノス。こうなったら誰も意見は曲げられない。ハイルの心配をよそに、レオノスはどこか吹っ切れたような顔をして、薄暗い窓の外をじっと見つめた。
――その夜の事だった。
誰もいない大広間では花瓶がガシャンと勝手に割れる奇妙な出来事が起こっていた。実はこれは偶然ではなく、桃香の能力が開花しはじめていた為に起こった事だった。そう、桃香の能力は少しずつ発現してきていた。彼女にしか持てない、彼女にピッタリの破壊の能力が……。昼間の侍女の件も、本当の所はこれの能力のせいだった。
そして能力が発現したのは果音も同様で、その発現スピードは桃香よりもだいぶ早く、魔女島に着いた翌日にはとっくに能力は開花していた。しかもそれは少し変わった予想外の能力で……。
◇◇◇◇
「ジョーさん、ジョーさん! 見て下さい! また見た事ないものが成ってましたよ!」
朝から弾んだ声がする。
果音の声に目を覚ました丈一郎は、まだ眠い目をこすりながら籠の中のものをぼんやり見やる。するとそこには何十年も前に絶滅した筈の幻の果実、シュベリーがてんこ盛りに入っていたのだから思わず目を丸くした。
「おお、これはシュベリーか! ワシの大好物だ、苺みたいな味がしてな。まさかまたこれを食べられるとは……」
「わあ、苺なら私も大好きです! 良かった! たくさんあるからお菓子もいろいろ作れそう! 余ったらジャムにして……」
楽しそうに話す果音に丈一郎は微笑む。
実はこれこそが果音が発現させた能力だった。枯れた大地を甦らせ、そこを生命に満ちた豊かな場所に様変わりさせる、とても貴重な再生能力。果音がその場所に手を触れると周りに緑が芽吹き始め、木や草花が次々にそこに生えてくる。そしてその能力は単に土地や植物の再生に留まらず、汚れた海の浄化も可能にするのだから極めて稀有な事だった。おかげで魔女島を囲む海は昔の綺麗さを取り戻し、魚も豊富に獲れる事から食糧に困る事はない。あんなに殺風景だった魔女島が短期間で自然の楽園へと生まれ変わっていたのだった。
「……しかし、果音はすごい子だのぅ……」
朝食の席。しみじみと丈一郎が果音に言う。それはここに来てからもう何度も口にしているが、今日も言わずにはいられない。
「もう、何もすごくなんかないですよ。もともと私は地味で平凡な人間ですし、これはたまたま……ジョーさんと同じような事でしょう?」
果音がそう言うのは、丈一郎の例を聞いていたからだった。昔、まだ寺の息子だった頃の丈一郎の霊能力はけして強くはなかったという。それがこの異世界に来た途端、その力が増幅したというのだから、地球人がこの世界に来るというだけで何か不思議な力が働くのだと推測出来た。