ドレスト王国の聖女 3
「勝手な真似は許さんぞ! お前ら! この国にはこの国のやり方があるのを忘れたか!」
容赦ない睨みに誰もがおもわず狼狽える。忘れていたと言わんばかりのその様子に王はチッと舌打ちした。
「……ハァ。こうなると思い、今日は予定を変更し、しっかり釘を刺しにきたのだ。いいか! 如何なる場合も聖女にプレッシャーを与える事は許さんぞ! 余計な事は一切言わず、お前達はただ彼女を見守っていればいいのだ! 力の発現まで一ヶ月か二ヶ月か、或いはそれ以上かかるかもしれんがな!」
「そんな! そんなに持ち堪えられる訳がない!」
「待っている間にみんな餓死してしまいますぞ!」
「まあ、そこは皆の努力次第ではないか? 貢物などで誠心誠意彼女に尽くし、せいぜい機嫌を取るんだな。そうすれば早く能力が発現するかもしれんぞ?」
そう言い残し王はさっさと退室する。鎮痛な雰囲気が漂う室内。皆、不安を隠しきれずに顔面蒼白になっている。そんな中、レオノスだけは王の背中を追いかけた。
「――お待ち下さいグレン王!」
呼び止められた王はチラと後ろを振り返った。そしてレオノスの姿を確認すると怪訝そうな顔をする。
「何かね、ヴァレンティアの王子」
きっと文句でも言いにきたのだろう、そう思った王は冷たい目線を差し向けた。
「……先程の件、考え直しては頂けませんか!」
「ならん! 決定はけして覆る事はない!」
「しかし!」
「では、仮にもしこちら側に死者が出た場合どう責任を取るつもりだ?」
「……それはッ……」
「軍事面において、これまでヴァレンティア王国が我が国に貢献してきた事は認めよう。だが、それとこれとは話が別だ。自分の国の事は自分で何とかするんだな」
「……ッ、ならばせめて薬草を! ムスリム草だけでも分けて頂けませんか! 大事な人が病に苦しんでいるのです!」
「ムスリム草? そんなもんはとっくに在庫が尽きている。あったとしても渡すつもりはないがな!」
王はフン!と鼻を鳴らしスタスタと歩き去って行く。レオノスはガクリと肩を落とし、悔しそうに顔を歪めた。
◇◇◇◇
あれから二週間ほどが経過した。
招かれていた国賓達は未だ滞在し続けているが、その表情はかなり疲弊しきっている。あの後、ドレストの王の宣言通り物資の供給が全てストップした為に各々の国では困窮を極め、日毎に多くなる死者数や、その惨状を訴える自国からの報告書に胸を痛めない者はいなかった。しかも国賓の者に対する扱いでさえ酷いものになり、食事は二日に一回、渇いたパンと少量の水が出ればまだマシだ。それでも皆堪えているのは聖女の力の発現、及び世界樹の再生を見届ける為であり、今自分が出来る事の最善を尽くしている。だが、これがなかなかに忍耐がいる事だった。
「まっず! なにこれ嫌がらせ!? あり得ないんですけど!」
テーブルの上のパンや菓子類が次々に床に投げ捨てられる。今では貴重な小麦で作られた食べ物がこうして粗末に扱われるのは見ていて気分が悪くなる。忍耐がいるとはまさにこの事だった。聖女であるモモカはとにかく我儘な性格で不満があればすぐにそれを態度で示す。特に食べ物に関してはよほどこの世界のものが口に合わないのか、毎日のように激昂した。
「もっとマシなパンはないわけ!? 柔らかくてフワフワのさぁ! クッキーだって石じゃんこれ!」
「申し訳ありませんモモカ様! ですが、これが今ご提供出来る最善のものでして……」
「最悪! なんでよりによって飯マズの世界なの!? 私に飯テロでもしろっていうの!? 残念、私料理出来ないんですけどぉ〜!」
「……はあ、あの……」
「てか、水さえマズイってどういう事!? 聖女バカにしすぎでしょ! こんなもの出すなんて!」
ガシャッと水差しが倒されて貴重な水も無駄になる。これを見ていた周囲の者は思う所はいろいろあれど、あえてそれを表には出さず、これ以上聖女の機嫌が悪くならないようにしなければならない。ここで出番となるのが各国の来賓達だった。王族や貴族である彼らは聖女におべっかを使いながら用意した貢物で機嫌を取る。
「ああ、どうか怒りをお治め下さい聖女様。美しいあなた様にそんな顔は似合いません。さあ、このマラの花の香油をどうぞ。きっと気分が良くなります」
「私は聖女様の美貌に花を添えるとっておきの宝石を持って参りましたぞ」
「麗しの聖女様! これは我が国の工芸品です! どうぞお納め下さいませ!」
並べられる献上品。そこにはレオノスが持参した上質な絹の織物も含まれていたが、桃香はまるで目もくれない。それどころかますます顔をブスッとさせ、それらを全て払い落とした。
「もう! 私はお腹が減ってるの! こんなのより食べ物持ってきてよ! お寿司食べたい! ラーメン! 焼肉! チョコレートケーキ!」
よほど食べ物に対する鬱憤が溜まっていたのだろう、いつもなら多少なりとも献上品に感心を向ける桃香だが、今日は簡単に機嫌は治らない。踏みつけにされる献上品。皆どんな思いでこれだけの品を揃えたのかとグッと怒りを抑えているが、貼り付けた笑顔は完全に引きつってしまっている。そこへ騒ぎを聞きつけたローレンスが部屋に入ってきた。
「愛しいモモカ、落ち着いて? ほら、君にフルーツを持ってきたよ。これなら口に合うだろう?」
「ローレンス様!」
「食事の面では不自由をかけるね。なにせ世界中が食糧危機なものだから」
「……ううん。別にフルーツは普通に美味しいし? でも、あまりにレベル低いっていうか……」
「うん。私も君にもっと美味しい食事を用意したいのだけどね……世界樹が再生しない事には……」
「……あ」
「急かしているつもりは全くないよ? でも、私も大切な君にご馳走を振る舞えないのが残念でならないのだよ。実際、君の心を煩わせてしまっているだろう? ……本当にすまない。とても心苦しいよ……」
「えっ、ローレンス様は悪くないし! 私が早くチート能力を開花させればいいだけだし! ……でも、昨日も練習してみたんだけどさぁ……」
そう言って桃香が手を前に突き出したので部屋全体の空気が張り詰めた。だが、技を放つような動きをしても特に何も起こらずに、ソワソワした妙な雰囲気になってしまう。そうしているうちに誰か粗相でもしでかしたのか、割れたガラスの音がして皆の視線が一瞬逸れた。
「……ハァ。やっぱまだダメっぽい。もう少しで出来そうな気がするんだけどなぁ〜」
「焦らなくていいよモモカ。もともと能力の発現には時間がかかるものだからね。あまり無理をさせて君に負担をかけたくはないよ」
「やば! めっちゃ優しい、ローレンス様! 私、ローレンス様がいるから頑張れてるし!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「……けど、マジであとちょっとな気がするんだけどな〜。集中するとなんか胸がムカムカして頭がカーッとなるカンジ? でもさぁ……」
ふいに桃香は侍女の一人に目を向けた。目が合った侍女は緊張したのか、持っていた皿を落としてしまう。
「もう! ほんとうるさいあの女! 聞いてローレンス様! さっきもそうだし、昨日だって私が集中してる時に限ってアイツ皿割るの! 絶対邪魔してるんだって!」
「……ほぅ」
突然非難の的になったその侍女は恐怖でガタガタ震えだした。すぐさまその場に土下座しては「申し訳ありません!」と謝罪の言葉を繰り返すも、ローレンスはそれを許さない。実はもともと加虐性のある彼にとってこれは日常茶飯事だった。当たり前のように侍従から懲罰用のムチを受け取るとそれを桃香に握らせる。
「モモカ、下の者の教育は上の者がやらねばならない。これは大事な義務なんだよ」
「……義務?」
「そう。あの者は罰を受けねばならない。だってそうだろう? 聖女である君の任務を妨害し、その心を苛立たせたのだから」
「……そっか、そうだよね! 悪い事したんだから罰を受けるのは当然だよね!」