ドレスト王国の聖女 1
一方、ドレスト王国では桃香を歓迎するささやかな舞踏会が催されていた。桃香はとても気分がいい。誰もが自分に羨望の眼差しを向けてきたり、敬意を表し頭を下げるのがこの上ない優越感となっている。更にはこの国の王子、ローレンスが手取り足取り優しくエスコートしてくれるものだから桃香の胸はときめいた。
実はあの後すぐに王宮へと連れて来られた桃香は、王たちに熱烈な歓迎を受けた。そこにこのローレンスもいたのだが、一目見るなり桃香は王子に夢中になった。金髪碧眼の中性的なその顔立ちはまさに桃香の理想のタイプだ。そしてローレンスも桃香を気に入ったらしく、ベッタリと側に寄り添っていた。
「美しいモモカ、其方がいるだけで景色がこんなに輝いて見える。……ああ、この心は其方に囚われてしまったのだ。どうか今宵、私の愛を受け入れ共にダンスを踊ってくれないか……」
ローレンスにそう言われ、桃香は頬を紅潮させる。普段なら出会ったばかりの男にこんなセリフを吐かれたら虫唾が走る所だが、美しい王子に言われたとなれば話は別である。
「ぜひぜひ! めっちゃ嬉しい! ローレンス様!」
差し出された手を取って桃香はダンスの誘いに応じる。皆の注目を浴びながらダンスフロアに移動すればすぐに美しい音楽が流れ始める。
「モモカ、君と踊ることが出来て光栄だ。とても嬉しいよ」
「私も! ……でも、これって社交ダンスだよね? 私、フォークダンスと盆踊りしかやった事ないけど……」
「……大丈夫。私に身を任せて……」
優雅にリードするローレンス。彼の優しさと紳士的な態度に桃香はますます魅了される。微笑ましい二人の様子に周囲の見る目も温かく、お似合いの二人だと皆が囁き合っている。何十年ぶりかの聖女の出現と世界一の権力を誇るこの国の王子、二人がいれば未来は安泰だと会場全体が幸せの雰囲気に包まれている……。
「……呑気なものだ」
そんな中、この光景を冷ややかに見つめる男がいた。
黒髪金眼の彼の名はレオノス・バンガード。この日の為の来賓客として呼ばれた彼は、会場の和やかな雰囲気も、着飾った人々や煌びやかな装飾も、そして用意された料理や酒、水にさえ複雑な思いを抱いている。
「この瞬間も我が国では民が飢えと渇きで苦しんでいるというのに……」
そう語るレオノスは大陸の端に位置するヴァレンティア王国の第二王子だった。今日は世界的にも有名なジョー大神官による「聖女召喚の儀は成功する」という予言を受け、この日に合わせて国を出立、聖女歓迎のこの舞踏会に参加しているという訳だ。レオノスの他にも大陸中から国の代表者が来賓として参加している。それだけ今回の聖女召喚は極めて重要なものだった。
昔、愚かにも聖女を魔女島へ追放してしまったせいで、世界は60年にも渡り聖女が召喚されなくなるという非常事態に陥ってしまった。神秘の力を持つジョー大神官のおかげで滅亡は免れているが、それでも世界は緩やかに荒廃の一途を辿っている。今やその恩恵を授かっているのはドレスト王国の王都と周辺地域だけ。ここから遠く離れた国ほど大地は荒れ果て砂漠化が目立ち、食べ物はおろか飲み水も手に入れるのが困難だ。その為、毎日多くの民が命を落としてしまっていて、この問題を解決……いや、少しでもマシにする為にはドレスト王国に頼らざるを得なく、それは他の国でもそうだった。
世界樹を有しているドレスト王国は昔から世界の覇者として絶対的地位に君臨していた。年々周辺国との格差は広がり、国を存続させる為にはこの国の支配下で何でも言う事を聞かねばならず、要求されるまま金や銀、国の特産物を差し出す代わりに水や食べ物を融通してもらっているのが現状だ。
「……もどかしい……」
本当ならすぐにでも聖女には世界樹を再生させてもらいたい所だが、この国ではこの国の考えがありルールがある。故に他の国の者がそれに言及するのは許されない。現に先程、気が急いたベント王国の王子が迂闊にも聖女に近付き「世界樹を」と訴えかけたのだが、それが王の逆鱗に触れてしまい、水の出荷量を半分に減らされる処分を言い渡された。
とにかく、こちら側としては何も口出し出来ないし、それだけドレスト王国は聖女の扱いに慎重だ。これは、もう二度と過去の過ちを繰り返さないという反省の表れでもある。けして60年前のように重圧を与えない、任務だけに縛り付けない、追い詰めない、あくまで聖女は高貴な位の存在でぞんざいに扱う事は許されず、王族と同等の扱いをしなければならないという誓約のもと国は動いている。それ故、今日来たばかりの聖女にいきなり役目の話をするのは負担だと、未だそれについての話は本人にされていなかった。
「レオノス様」
ここで側近のハイルが耳打ちする。実は伝書鳥を使い、国を離れても自国の状況がすぐに耳に入るようにしていたのだが、届いたばかりの報告にレオノスは顔を曇らせる。
「……兄上が……?」
それはレオノスの兄、アドルフの病を知らせるものだった。腹違いの兄弟である兄とは王妃同士の確執から幼い頃は話をするのも許されなかった。レオノスの母が死に、後ろ盾がなくなった事で彼は冷遇されるなど辛い立場に追いやられたが、密かに助けてくれたのが兄であるアドルフだったのだ。
王族らしい威厳を持ちながらもアドルフは清廉潔白な人だった。立場や家柄など関係なく弱き者には手を差し伸べる思いやりと優しさがある。彼には恩がある。その恩に報いる為にレオノスは兄の剣となり盾となる事を決めたのだ。第二王子でありながら今ではこうやって王位騎士団の騎士総長及び最高司令官の座に身を置き、国の為に動いているのもその為だ。それなのに自国を離れている間にこのような知らせを受け、レオノスの心は動揺した。
「……幸い、まだ症状は軽いようです。薬草さえ手に入れば……」
気持ちを汲んだのか、ハイルの目は早くその旨を掛け合ってはと言っているようだった。今でも王妃がいる手前、あまり表立って仲良くは出来ないが、互いに思い合っている事をハイルは知っている。個人的にもアドルフ第一王子には裏の顔などはなかったので彼に対する印象は良かった。
レオノスは玉座に目を向ける。さっきまで座っていた筈の王はいつの間にか姿を消している。ここはすぐにでも会場を飛び出し王の所へ向かいたいが、先程のベント王国の王子の様子を見ているので、いったん衝動を抑え込む。
「……下手に動けば全てを台無しにしかねない。全ては明日だ。明日には王にも聖女にも謁見の機会がある。その時に薬草の件も申し入れよう」
逸る気持ちを必至に抑え、レオノスは明日の謁見の機会を待つ事にした。