魔女島へ
誰も預かり知らぬ所で丈一郎と世界樹の、いわば契約のようなものが交わされた。それが関係あるのかは定かではないが、その後すぐに百合子に特別な力が発現し、元の世界へ戻る手段を手に入れる事が出来たのだった。
ただ、帰る直前まで百合子は何も知らなかった。まさか自分の代わりに丈一郎がここへ来る事になろうとは……。それを知らされたのは元の世界へと戻る、まさに転移の途中だった。光に包まれ、もう引き返せない段階になってからこの事を伝えられたのだ。百合子は強いショックを受けた。彼女にとって丈一郎は可愛い弟のような存在だった。そんな彼を犠牲にしてまで帰りたいとは思わなかった。だが、もうどうする事も出来ず百合子は泣き叫ぶ。そんな彼女を落ち着かせるように丈一郎はこう言った。「どうか幸せになって下さい」と。それが彼の願いであり、百合子へ贈る最後の言葉となったのだった。
そうして百合子は無事に元の世界へと戻って来た。その時にはすでに異世界での記憶はすっぽり抜け落ちており、自分が何ヶ月もどこで何をしていたのか、どうやって帰って来たのか分からない。ただ、今度は丈一郎がいなくなったと聞き激しく胸が痛んだ。胸に穴が空いたような悲しみがいつまでも心に残り続けた。
「……そんな……お爺さん……どうしてお婆ちゃんの為に、そこまで……」
話を聞いた果音は涙が止まらなかった。祖母を想い、自分の人生を投げ打ってまで救ってくれたその行為は誰も真似出来るものではないし、頭が下がる思いである。
「あの状態の百合子さんを放ってはおくなど、とてもじゃないが出来んかった。ワシが勝手にした事だ、その選択に後悔はないよ」
「……お爺さん……」
「それより聞かせておくれ。その後の百合子さんの人生はどうだったか。彼女は幸せだっただろうか……、笑いの多い人生であっただろうか……」
「それはもちろん! お婆ちゃんは幸せだったと思います! 大好きなお花に囲まれて、かわいいガラス細工も集めたりして……! 近所の友達も多かったんです! 毎日誰かとお茶をして、たまに旅行にも行ったりして……とても幸せな人生だったと思います!」
「そうかそうか、それなら良かった。それが聞けただけでもう十分だ……」
ニコリと笑ったその顔はますます果音の胸を締め付ける。そして改めて亡くなる少し前の祖母の言動を思い出しては納得した。
異世界での事はもちろん、丈一郎とのやり取りも祖母は全てを思い出していたのだ。泣きながら「ジョー君!」と口にする事が多々あったが、あれは丈一郎の事だったのだ。果音はようやく腑に落ちた。
「……ジョー君って、あれ、お爺さんの事だったんですね……。亡くなる前、お婆ちゃん、よくジョー君って……」
「……ああ、懐かしい呼ばれ方だ……」
「……ううっ……お爺さん! 私、ほんと何て言ったらいいかっ……! お婆ちゃんを助けてくれてありがとうっ……お爺さんがいなかったらきっと私は生まれてなかった……! 全部お爺さんのおかげです! 本当にっ……本当にありがとうございます……!」
「これこれ、そんなに泣くでない……百合子さんの孫娘よ……」
「……か、のんです……果音って呼んで下さい、お爺さん……!」
「果音か、良い名だ。ワシもお爺さんではなくジョーと呼ばれたいものだな」
「……はい! ジョー、さん……!」
それから、果音はずっと泣いていた。丈一郎も少し涙を溜めていたが、二人の思いには違いがある。果音が当時の二人の状況に思いを馳せながら泣くのに対し、丈一郎は悔しいからこそ涙がジワリと湧き上がるのだ。それだけ納得がいかなかった。あの時、自分が来る事でその運命は免れたのではなかったのか。百合子が駄目ならその孫と、まるで世界が果音に尻拭いをさせるような状況に腹が立って仕方がない。そして次第に冷静になった果音の方も、これは只の偶然ではないのではないかと疑っていた。そうして海岸に着く頃には二人共が神妙な面持ちになっている。
「着いたぞ! 出ろ!」
騎士の声に促され、果音はようやく馬車を降りた。当然といえば当然だが、化粧を落とした果音の顔に騎士たちは驚き混乱する。
「魔女だから自由に顔を変えられるんです」
半ば開き直った果音は騎士に向かってそう言った。目の前には海と呼ぶにはおどろおどろしい、不気味すぎる黒い油のような大海原が広がっている。そこに浮かぶのは一艘の小舟。たぶんあれが乗れば潮の流れで勝手に魔女島に着くという、これから果音が乗る舟だろう。最後にと果音は丈一郎に声をかける。
「……ジョーさん、いろいろありがとうございました。不安もあるけど、こうなったら私、出来るだけ生き延びてやろうって思うんです。追い込まれてからが強いんですよ、私。けっこう根性あるんです」
「…………」
「……それじゃあ、お元気で……」
「――待ちなさい」
クルリと背を向けた果音を丈一郎が引き留めた。何事かと振り返ると、丈一郎はさも当たり前のように果音に言う。
「何故最後の別れのように言うのだ? ワシもこれから一緒に行くというのに」
「…………えっ?」
果音だけでなく、これには騎士たちも驚いた。どう言う事かとすぐに丈一郎を取り囲む。
果音は知らなかったが、どうやら丈一郎はこの国では重要な立場にある神官のようだった。騎士が青ざめパニックに陥っている様子がそれを物語っている。
「何を仰っているのですか大神官様!」
「まさか魔女に誑かされたのでございますか!?」
「ええい! 離れろお前たち! ワシはな、ワシは…………そうだ、ワシこそが魔女だったのだ! ワシに近付けばもれなくみんな呪われるぞ!」
「……はい!? 何を言っているのですか大神官様!」
「そんな訳がないでしょう! 一体どうなさったのでございますか!」
「……知らん! とにかくワシはもう知らん!」
「「……大神官様っ!!」」
「……ハァ。……では、王にはこう言っておけ。任務は失敗、大神官は呪われたとな。呪われすぎて頭が狂ってしまったから自ら国を出て行くのだ。……ようし! ワシはこれから魔女島へ行くぞ! そこでのんびり暮らすのだ!」
「「……ええっ!?」」
こうしてあれよあれよという間に果音と丈一郎は共に魔女島へと出航した。まさか一緒に来ると思ってなかった果音は動揺したが、丈一郎にしてみればこれは当たり前の事である。そもそも最初に馬車を追いかけたのだって、魔女だと追放されたその状況が昔の百合子を彷彿とさせ、堪らなくなったというのが本当の所だ。その上、その人物が百合子の孫娘だというのだから、これにはかなりのショックを受けた。一体あの契約は何だったのか……、所詮自分は利用されるだけの存在だったのかと裏切られたような気持ちになり、もうこの世界や国の為に尽くすのが馬鹿らしくなってしまったのだ。
「……あの」
中頃まで舟が進んだ時、果音はそっと口を開いた。
「ジョーさん、本当に私と一緒に来てよかったんですか?」
「ああ、いいに決まってる。お前さんを一人きりになど、出来る筈がないからな。……もしや迷惑だったか?」
「いいえそんな! 心強いです! ……でも、ジョーさん、偉い人なんでしょう? 地位も名誉もあったのに……」
「取るに足りんよ、そんなもの。それに、そうしなければと思い仕方なくそこにいただけで、あのドレスト王国は最悪だ。この機会に逃げ出せて良かったよ……」
「……? そう、ですか……」
やがて舟は無事に魔女島へと流れ着いた。一見、とても人が住めるとは思えない、荒れ放題の島だったが、昔ここに祖母がいたのだと思うと感慨深いものがある。
上陸し、まずは辺りを観察する。見ればそこは全く何もない訳ではなく、古い小屋が建っていて、手入れさえすれば何とかなりそうな雰囲気だ。
「良かった! ジョーさん、寝る場所がありますよ! 思ったより素敵なサバイバル生活になりそうですね!」
「……おお、果音は前向きだな……」
その後二人はさっそく小屋の清掃からしはじめる。特に果音は黙々と作業し、その日から少しずつ島の開拓をしていった。