60年前の真実
「……しかし日本も変わったのう。女性はそんなおかしな化粧をするのが当たり前になったのかい?」
「……いえ、これは……今日がたまたまハロウィンだったので……」
言いながら、果音はポケットにあったメイク落としを取り出した。それはイベントが終わったらすぐ落とせるように持っていたもので、何枚かシートを取り出すと、俯きながら残りのアイシャドウと口紅もゆっくり丁寧に落としてゆく……。
「……ハローウィン? そんなもの、ワシの時代にはなかったが……」
「ハロウィンです。ハロウィンの日には、みんな変装したりして楽しむんです。それで私は魔女になっていて……」
「……なるほど、そういう事だったか。しかも魔女とは……、この世界では一番忌み嫌われる存在だというのに……」
「……そう、みたいですね。……いや、なんか……ほんともう、運が悪かったというか……」
「――ッ!?」
「それよりお爺さん、さっきの質問に答えて頂けますか? 私はどうしてここに――」
顔を上げた果音は戸惑った。何故なら化粧を落としたその顔をお爺さんがただ事ではない様子で見ていたからだ。まるで幽霊にでも出会したような表情。沈黙の後、お爺さんの口から言葉が溢れる……。
「……百合子さん……」
果音はパッと瞳を大きくした。百合子というのは果音の祖母の名前である。今お爺さんは確かにその名を口にしたのだ。果音は再びガバッと前のめりになる。
「お爺さん! 私のお婆ちゃんを知っているんですか!?」
「……お婆ちゃん?」
「百合子は私の祖母なんです! 一昨年、病気で亡くなりましたが……」
「なんとっ! ……なんとなんと、そうであったか! ……そうか、百合子さん……。お前さんは、百合子さんの……。ああ、どうりで面差しがよう似とる訳だ……」
「……お婆ちゃん、亡くなる少し前に不思議な話や絵を書くようになって……その絵がこの世界にそっくりだったんです。……もしかして、お婆ちゃんもこの世界に来た事があったんですか……?」
「……ああ……」
いったん言葉を区切ったお爺さんのその表情は物悲しい。溜息の後、果音を見つめながら、また静かに語り始めた。
「百合子さんは、60年前、このドレスト王国に召喚された聖女だったのだよ……」
「……! やっぱり! お婆ちゃんも昔ここに来たんですね!? ……って、聖女? お婆ちゃんが、ですか?」
「ああ。彼女は聖女として召喚された。聖女にしか成し得ぬ、ある重要な目的の為に……」
「……重要な、目的……?」
「聖女にしか成せぬ事……、それは、このドレスト王国にある世界樹の再生だった。世界の中心であるドレスト王国には豊かな恵みをもたらす世界樹があってな、それが枯れかかっておったのだよ。百合子さんはその世界樹を再生する為に呼ばれたのだ。この世界の人々にとって世界樹は生命線のようなもの……。すっかり枯れてしまったのでは水も食糧も尽きてしまう、まさに世界の一大事だったのだ」
「……世界樹。そう言えばお婆ちゃんの口から何度も出てきた。……はぁ。あの時、もっとよく聞いておけば良かった……」
「……うむ。それで、彼女は皆の期待に応えるべく、さっそく世界樹の再生を試みたのだが……、これがなかなかうまくはいかなかった。……当たり前だ。彼女自身が自分の力をよく把握していなかった上、どう再生させたら良いか、その方法さえ分からなかったのだから。そうして手探り状態のまま時間ばかりが過ぎてゆき、結局は痺れを切らした王たちによって裏切られてしまったのだ」
「……! それは、どういう事ですか!?」
「なんでも、自分こそが聖女だと名乗りを挙げた者がいたらしい。その頃、ようやく少し世界樹が回復の兆しを見せていたのだが、それを自分の手柄だと主張してな。当時の王や王子はすっかり女の色香に騙されてしまい、邪魔になった百合子さんに魔女の汚名を着せ、離島へ追放したそうだ。……まあ、名乗り出たその女の方こそ実は魔女だったと後に判明したのだが……」
「……そんなっ……」
「離島へ追放された彼女は一人孤独と闘った。だが、その孤独の中で彼女には特別な力が発現した。それを利用する事で百合子さんは元の世界に戻る事が出来たのだ。本来、聖女を失った時点でこの世界は荒廃し続け滅亡の道しか残されてはいなかったのだが、補填としてワシがこの世界に来た事でかろうじてそれは免れている……」
「……え、……お爺さんが? ……それはどういう……あ、れ……」
ここまで聞いて果音はふと疑問が湧いてきた。何故お爺さんは祖母の身に起きた事についてこんなにも詳しく知っているのか、そもそも何故祖母を知っているのかと……。察したのかお爺さんは軽く微笑む。その後は悲しさと悔しさを織り交ぜたような複雑な表情で自身の身の上話をし始めた。
――佐野丈一郎。それが本来の彼の名前だった。寺の息子である丈一郎と百合子は元々近所の顔馴染みで、二つ年上で上品な雰囲気のある百合子に丈一郎は憧れの気持ちを抱いていた。
ところがある日、血相を変えた百合子が寺に駆け込んできた。なんでも、頭の中に人の声が聞こえるのだそうで、誰かがしきりに自分を呼ぶという……。住職である父も周りも気のせいだと宥めたが、丈一郎だけは何かがおかしいと気付いていた。警戒していたが、その数日後、彼女は忽然と姿を消した。
神隠しに遭ったと皆は一様に騒ぎ立てた。何故なら靴も身の回りの物もそのままに、百合子だけが一瞬のうちに部屋からいなくなってしまったからだ。もちろん行方不明になった彼女を皆総出で探したが全然見つかる気配がない。そうして一週間、二週間、ひと月、ふた月と経つ内に次第に皆は諦め始めた。そんな時、丈一郎に異変が起こったのだ。
子供の頃より彼には不思議な力があった。それが常にではないが、たまに先に起こる事を予見したり、他者の思念を感じ取ってしまう事があったのだ。彼女を心配する気持ちがより感覚を強めたのだろうか、丈一郎は突如として異世界へ飛ばされてしまった百合子のビジョンが頭に浮かび、テレパシーのように会話が出来るようになったのだ。ちょうど彼女が離島へと追放され、深い悲しみの中にあった時だった。何があったのか、その時に全ての事情を聞かされた丈一郎は、どうしたら良いのか、何とか彼女を救う方法はないかと考えた。そうする内に彼女とは別の気配を感じるようになり、丈一郎はその者の声に耳を傾けた。人間ではない、それは世界樹の声であり、彼女の補填として自分がこちらに来るのならばと提案を受け、迷わずそれを受け入れた。