移送途中の来訪者
その後、果音は鉄格子のついた特殊な馬車に乗せられ移動していた。直ちに国を出て行くように命じられた彼女はこの後、海を隔てた離島へと国外追放される事になったのだ。海岸沿いまでの距離を移送されている道中、果音は鉄格子の間から呆然と外を眺めていた。
先程の桃香の言葉がまだ頭から離れない。信じられなかった。仲が良いと思っていたのは自分だけで、桃香はずっと自分を疎ましいと思っていたのだ。「死ね」と口に出して言うほどに……。その事実と裏切りが果音に深い傷と衝撃を与えている。
それでも命が助かった事には正直果音はホッとした。人々のあの嫌悪の具合からすぐに殺されてもおかしくはないと思っていたのだ。魔女は不吉の象徴であり、殺せば国に厄災が降りかかるとされていたのがどうやら幸いしたようだ。そしてその身に触れれば不幸が起こるとの噂もあるので手荒な真似もされずに済んだ。
移動するほど見える景色がガラリと変わり何故か荒廃さが目立つようになってくる……。
「……これからどうなるんだろう……」
先の事を思うと果音は不安で胸が押しつぶされそうだった。というのも、これから追放される離島というのが所謂いわく付きの場所で、昔から魔女たちが追放される場所として有名だったのだ。今は誰も住んでいないというそこには無念の思いを抱えた魔女の呪いがまだそのまま残っており、近付けば災いが起きると言われていた。そんな場所に追放されるなんて……。ますます気分が塞いだが、それでも海岸まではまだ遠く、考える時間はたくさんある。
「……異世界転移……」
果音はさっき桃香が呟いた言葉を口にした。俄かには信じられないが、ここまできたら認めざるを得ない。人々が着ていた服も建物も見える景色も空の色も何もかもが違うのだ。自分は今、異世界にいる――、その現実が恐怖を更に掻き立てる。桃香がどうしてあんなに喜んでいたのかは分からないが、果音にとってそれは恐怖と絶望以外の何者でもなかった。もう元の世界には戻れないかもしれない。家族に会えないかもしれない。そう思うととても不安でたまらない。未知の世界と人々と……。何も知らない世界を相手にこれからどうしたら――、
「――!」
ここで果音は目を見張った。視線の先には枯れた植物。それはずっと視界に入っていたものだが、唐突に気付いた事があったのだ。まるで大きなグローブのような形をしているそれは、ひび割れた大地にポツリポツリと点在していて、生命の活力を失ってもなお存在感を示している。
果音は植物の形をじっと見つめ、ぐるぐると思考を巡らせた。枯れているのでだいぶ色が違っているが、それには見覚えがあったのだ。
「……お婆ちゃんの、絵……?」
それは彼女の祖母が生前書いていた絵に似ていた。大好きだった祖母は一昨年、病気で亡くなってしまったが、亡くなる少し前に奇妙な事を言い出すようになったのだ。周りはボケてしまったと思っていたが、本人は至って真剣で、時には感情的に訴えてはボロボロ涙を流すのだ。特に果音に対しては何枚も絵を書きながら、まるで夢のような話を何度も何度も語って聞かせた。その絵の中にあの植物と似たものがあったのだ。
「……ちょっと待って、……あれ?」
動揺しながら果音は改めて辺りを見渡した。薄い緑色の空の色もオレンジがかった大地の色も地面に転がるマカロニみたいな物も、絵よりはだいぶ色は燻んでいるが、やはりどれも見覚えがある。混乱するあまり壊れた機械みたいにしばらく動かなくなる果音。そうしているうちに外が騒がしくなってきて馬車が一時停止した。コンコンと音がした後に馬車の扉が開かれる……。
「……! ……君は何故そのような格好を……」
そこにいたのは白髭をたくわえた神官らしきお爺さんだった。お爺さんは果音を見るなりギョッとして、その後は戸惑った顔で繁々とこちらを見つめてくる。果音が何も言い返せないでいると、お爺さんはコホンと一つ咳払いをして狭い馬車に乗り込んできた。監視役の騎士達は危ないと止めたがお爺さんがこれを制する。
「これは生い先短いワシだからこそ下された最後の王命だ。万が一にでも国に厄災が降りかからぬよう術を施せとな。そういう訳だから気にせんで先を進んでくれ」
そう言うとお爺さんはバタンと馬車の扉を閉める。少しして馬車は動き出し、お爺さんは再び果音に声をかけた。
「……それで、君は何故、そのような格好をしているのだね?」
それまでボーッと、お爺さんの動きを目で追っていた果音だが、ここで少し違和感を覚えた。さっきは聞き逃したが、お爺さんは何故そんな格好をしているのかと戸惑いながら聞いている。それはまるで自分が魔女ではない事を知っているような口ぶりだ。
「……あの、それは……」
果音は思わず言い淀んだ。考える事が多すぎてうまく頭が働かない。こんな状態で敵か味方か分からないお爺さんに何を言えば良いのか言葉が浮かんでこないのだ。すると警戒していると思ったのか、お爺さんはこっそりある事実を打ち明けた。それを聞いた果音は「え!?」と上擦った変な声が出てしまう。
――ワシも昔、日本からこの不思議な世界にやって来たのだ。
お爺さんは確かにそう言った。そして驚いたまま凝視している果音に対し「誰も知らんから内密にな」と付け加える。
「……本当、なんですか……?」
「ああ、だから驚いたのだよ。魔女など、そんなもの日本にいる筈もないのに何故そんな事になったのかと。ワシは席を離れておったから後から事の次第を知らされたのだが、すでに追放となったお前さんを――」
「――お爺さんっ! お願い教えてっ!」
気付けば大声で詰め寄っていた。果音にとっては突然目の前に救世主が現れたような心境だ。とにかく分からなかった事が知りたい、引っかかっているものをどうにかしたい、その一心で必死の形相でお爺さんに質問する。
「どうしてこんな事が起こったの!? 一体何が起きてるの!? もう元の世界に戻れないの!? 私どうしよう、どうしたらっ……」
「……お、落ち着きなさいっ……」
「桃香は聖女で私は魔女で追放されてっ……あっ! そういえばさっき思い出してっ……お爺さん、この国の名前は何!? 私のお婆ちゃんがっ……」
「――慌てるでない! 質問には答えてやるから、ひとまず落ち着いてくれんか……。それと、偽物と分かっておってもその顔で迫られるのは、ちと……」
「……え、……あ。ごめんなさい……」
ハッとして果音は身を乗り出していた体を引っ込めた。そういえば今の今まで顔の方まで気が回らなかったが、未だその顔はあのおぞましい魔女メイクのままなのだ。今更ながら思い出した果音は特殊メイク用の顔面シールを剥がし始める。お爺さんはその様子を物珍しそうに見つめていた。