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あまりに現実的でない依頼を再認識して、リオードは思わずため息をつきそうになった。それを誤魔化すようにカップをぐいと傾けようとしたとき、顔を上げた先で見覚えのある人物と目があった。
ちょうど店内に入ってきたのは、ユエ・ヤジマという女性だった。普段はかっちりとしたスーツを着こなしヒールを鳴らしているとても頼りがいのあるポリスだが、今日は黒いシャツにカラーパンツといつもより少しラフな格好である。近くのカウンター席に腰掛けたユエが注文を終えたところへ、リオードは特にためらうこともなく声をかけた。
「ユエさん、こんにちは」
「君は……リオード、だったか」
「はい! 覚えていてもらえたなんて嬉しいです!」
名前を確認しただけで腹を立たせるような輩もいるというのに目の前のリオードは驚くほど素直に喜んだので、ユエは珍しく頬を緩ませた。
「いつもと違う雰囲気で、僕びっくりしました。今日はお休みですか?」
「ああ。ティアナさんがどうしてもとれというから休みをとったが……存外暇で困っていたところだ。君の方こそ、今日は彼女と一緒じゃないんだな」
「はい、ジムさんは、その……」
「……君も苦労してるんだな」
同情するような声色で発せられたユエの言葉に、リオードは眉尻を下げたまま否定もできず、ただぎこちない笑い声を洩らした。
「リオードくん、なんだか楽しそうですね。僕も混ざっても?」
タイミングを見計らってケリーが声をかけると、リオードは「あ、す、すみません!」と慌てて頭を下げた。「気にしなくていいですよ」と軽く宥めて、ケリーはユエに丁寧な笑みを向けた。
「初めまして、レディ。僕はケリー・へランズ。あなたのお名前をお聞きしても?」
「ユエ・ヤジマだ。今日は休日だが、普段はポリスとして働いている。……もしかして仕事の邪魔をしてしまったか? すまないな」
気遣われたリオードは咄嗟に首を横に振った。続けてケリーも軽快に笑う。
「いや、とんでもないです。リオードくんは僕の依頼を聞いてくれた唯一の人なんですが、やはりというべきか、僕が困らせてしまったようでしてね」
「……そういうことか」
ユエは最初に目があったときのリオードの表情を思い出しながら、納得したようにゆっくりと瞬きをした。
「君の所には不本意ながら世話になっているからな。私でよければ話を聞くが」
「いいんですか!?」
思わぬ救世主の登場にリオードが目を輝かせると、ユエは「ああ」と普段の様子からは想像できないほど穏やかな様子で小さく声をこぼした。一度はこういう素直で可愛げのある部下を持ってみたいものだ、とユエは内心思ったのである。
「実は、前世の婚約者を探して欲しいという依頼なんですが……」
「ちょっと待ってくれ」
「え? はい」
「その、私の聞き間違いなら申し訳ないんだが……もう一度言ってもらっても?」
「はい! ケリーさんの依頼は、夢で見た前世の婚約者を探して欲しいというものでして……」
ユエは怪訝そうな顔をした。それもそのはず、ユエは現実的で合理的な考え方を優先する性格なのである。良心的なリオードに少しばかり手を貸してやれればと思っていたのに、夢だの前世だの、人に頼む根拠としては曖昧過ぎる概念が飛び交うとは予想していなかった。ユエはリオードから聞いたことを何とか呑み込むと、大きく息を吐き出した。
「あー……、それだけで依頼を?」
「今のところは、僕が見た夢だけが頼りですね」
「初対面の人間にこんなことを言うのはいささか失礼かもしれないが……わざわざ探偵事務所に依頼を出すにしては、あまりに話が空想的過ぎやしないか?」
「気が狂ったロマンチストと思われることは承知のうえですよ」
にこやかに言い切ったケリーに、ユエはさらに深刻な表情を浮かべる。ちらとリオードの方を見やると見事なまでに目が据わっていて、リオードもこの依頼を受けたことを後悔し始めていることが容易に読みとれた。ここで見捨てるのもかわいそうだ、と思い、ユエは苦手ながらも与えられた問題と向き合うことにした。
「……分かった。私で力になれるか分からないが、その方の特徴を聞かせてもらえるか?」
「ユエさんも手伝ってくれるんですね! なんて心強いんでしょう……! ありがとうございます!」
ケリーがぱあっと表情を明るくした隣で、リオードも目を潤ませながら嬉しそうに唇を結んでいた。こういうときジムやグレイは助けてくれないのだな、とリオードの日頃の苦労を察したユエは、とうとう腹を括ったのだった。