表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

隣の芝生は

作者: 沙月

齢35にしてマイホームを手に入れた。

郊外に佇む、小さい芝生がある二階建ての家。

学生の頃からずっと夢だった家を手にした時は

なんともいえない感情を抱いた。

夢を叶えた達成感と長年持ち歩いたものを手放す喪失感を

混ぜたような、そんな感覚がした。


この家を手にして1年。

すっかりそんな感情は消えて、夢に代わる趣味ができた。

それは、この芝を綺麗にすること。

空き地を隔てて隣の家に住む佐藤さんから、

お家に芝があるなんて素敵ねぇと言われたことから始まった

この趣味は、私にとって一種の自己顕示欲を満たすもの

かもしれない。

私が作った家の、私が手入れしたこの、美しい芝生。

家の前の道を通る者がこれを目に入れると思うと、

言いようのない高揚感が溢れる。

佐藤さんが最近は芝のお手入れに力を

入れてらっしゃるのね。とても綺麗だわ。

と言われた時には、その言葉がまるで

自身に掛けられたかのように嬉しかった。


ある日、日課の芝の手入れを行おうと外に出ると、

隣の空き地で工事が始まっていた。

佐藤さんはどこから聞きつけたのか知らないが、

一軒家が建つとの噂だ。

佐藤さんが言うには独り身だろうとのことで、

私と同い年ぐらいか少し上のぐらいの人だったと

教えてくれた。

工事が始まって半年経った頃、新築の家が建った。

その家には───小さい芝生があった。


しばらくは気にしないようにしていたが、

日に日に怒りのような、苛立ちのような感情が

募るのを自覚していた。

この通りに何軒か建つ家の中で芝生があったのは

私の家だけ。

それが私の何かを満たしてくれていた。

でも、今は違う。こんな郊外の、小さな通りに2人も

同じようなものを持っている人がいる。

そう思うと、より苛立ちに似た感情が湧く気がした。

それでも、私はこの芝を綺麗に保ち続けた。

隣のそれに負けないような、綺麗な芝生を作ることを

心がけた。

しかし、隣に越してき高橋さんも結構マメな性格のようで、

その芝生もいつも綺麗に手入れされていた。

佐藤さんも、お隣の高橋さんの芝生も素敵よねぇ。と

言っていた。以前は私にだけかけられていた言葉が

他人にも使われていると思うと、嫉妬してしまう。

私はまた微妙な気持ちを抱えたまま佐藤さんと別れると、

芝生の手入れを始めた。

手を動かす中で、目を覆う緑色をぼんやりと見つめる。

そうして私は思いついた。

そうだ、芝生の色を変えようと。


次の日、私は芝生の色を赤色に変えた。

どうせ変えるなら緑色から遠い色に変えてみたいと思い、

この色に決めた。

私は、また昔のように自己顕示欲が満たされる感覚がした。


しかし、芝生を赤色に変えて2日後。

隣の高橋さんの芝生が黄色に変わっていた。

私は目を見開いて黄色に輝く芝を目に入れる。

そうしていると家の扉がカチャ、と開いて、

中から高橋さんが出てきた。

高橋さんと会ったのは、引っ越してきてすぐ挨拶に

来てくれて以来のことだ。

「あぁ、竹松さん、お久しぶりです。おはようございます」

「お、おはようございます。」

「どうされたんですか?驚いた顔して。」

「い、いや…」

「あぁ、この黄色の芝生ですか?いいですよね、黄色って」

「え、えぇ。素敵です、凄く。」

「竹松さんの赤い芝生が素敵だなと思って、

せっかく私の家にもあるんだからとやってみたんです。

僕、黄色が大好きで。」

「参考にしていただけたなら大変光栄です。」

「そうですか!これからもお隣同士、どうぞよろしく

お願いしますね。」

「はい、こちらこそ。」

そういって、高橋さんはどこかへ出かけて行った。

高橋さんは穏やかに話しかけていたが、

これは宣戦布告に違いない。

うちの芝の方が綺麗でしょと見せつけてきたに決まってる。

私は、この布告を受け取ることにした。


次の日、久々にしっかり芝を整えようと外に出ると

佐藤さんと出会った。

赤と黄色の芝生が並んでて素敵だわ。いつも見せてくれて

ありがとうねと言ってくれた。

彼女は優しさでかけた言葉なのだろうが、

私には鋭く刺さるものだった。

高橋さんの芝と私の芝を並列に並べられてるのは

やはり不満だった。

私は今度は赤になった芝生を見つめて、私は決意した。

また色を変えようと。


それから2日後、私は芝生に高橋さんへの反撃も含めて

黄色を入れてみた。

すると、みるみる私の芝はオレンジに変わった。

扉の音がしたのでその先へ視線を向けると、

隣の玄関から高橋さんが現れた。

「おぉ!今度はオレンジ色ですか!素敵ですねぇ」

「ありがとうございます。」

以前の会話を「宣戦布告」と捉えていた私は、

キラキラした目で私を褒める高橋さんに面食らった。

目線を逸らした先では黄色い芝生が陽の光を反射している。

「さすがですねぇ。それではまた。」

そういって、高橋さんはどこかへ出かけて行った。

すると、今度は2軒先の玄関がガチャっと開いて、

佐藤さんが出てきた。

まぁ、今度はオレンジ色になってるのね!綺麗だわぁ!と

手を叩いている。

私は高揚する気持ちを抑えて落ち着いたトーンで

ありがとうございますと返事を返した。

楽しそうに私の芝生を見つめる佐藤さんを見て、

私は決心した。

定期的に芝生の色を変えようと。


芝生の色を変え続けて1年。私は頭を抱えた。

遂に真っ黒になってしまったからだ。

色が少しずつ暗くなってきてたから

予兆は感じていたものの、

まだ少し、まだ少し…と続けていくうちに

その日が来てしまった。

この芝生の黒はいろんな色を混ぜて汚くなった

結果の黒という感じで、初めの赤はもはや、元の緑など

見る影もない。

試しにいろんな色を混ぜてみたが、少し色は変わるものの、かつての明るい赤やオレンジが戻ることはなかった。

私はとうとう疲れ果てて、玄関で崩れ落ちた。

視線の先では、短くて黄色い葉が風にゆらゆら揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] こういうショートショートみたいなの好きー!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ