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向かい干支 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
昭和二十年
6/48

坂本彰二 画帳

 ある日の夕方、彰二が居間に行くと、家族が居間に揃っていた。


 周二が、浮かない様子で、卓袱台(ちゃぶだい)の上に置いた新聞紙に載せた物を見詰めていた。


 静吉が、仕方が無いよ、と言った。

 由里を膝に乗せた紘一が、糊を貸そうか、と言った。


「いや、良いんだ、自分の不注意だったんだから。第一、糊じゃ直らないもの」


 聞けば、上京の際に荷物に入れてきた物を、大分紛失している事が分かったそうである。


 そして、残っていた物も、鞄を枕にしていたせいも有ってか、古い物は壊れてしまったらしい。

 壊れた物の中には、古い玩具や竹蜻蛉の様な残骸が含まれていた。

 周二の年齢には合っていない気がするが、持ち出し袋に入れていたのなら、恐らくは宝物であろう。


―鹿児島からの移動だからな。無理も無ぇ。其処は気の毒だよな、ホント。


 ふと、彰二は、卓袱台の足元に、白い布で包まれた、小さな何かを発見した。


―瓶?


 拾って、彰二はギョッとした。捲れた白い布の隙間から、何か、骨の様な物が入っているのが見えたからである。


 彰二は、何か、見てはいけない物を見てしまった気がして、丁寧に白い布を被せ直し、周二に渡した。

「あ、あの、此れ、卓袱台の足元に落ちていました」


 わー、有難う、と、周二に、泣かんばかりの顔で感謝された彰二は面食らったが、周二の傍らに胡坐を掻いて、全ての動揺を押し殺した。


「此の、一番大事なやつが無事なら、他は諦めるかぁ」

 手元の瓶を見詰めて、ふぅ、と、長い溜息を吐く周二に対して、由里が、夢を見る様な半眼を向けた。


 由里は、紙の鍵盤でピアノの練習をする時、時々、此の目をして虚空を見詰めている。


「わぁ…。綺麗な女の人。少し(しゅう)(にい)(ちゃま)に似ているわ。へぇ、百合の花が御好きなのね」

 其の、フワリとした由里の言葉に、周二は、え?と言った。


 由里は、紘一の膝から降りて、立ち上がり、周二の後ろの虚空に向かって、あら、と言った。


「…もしかして、(しゅう)(にい)(ちゃま)、そっくりの御兄弟がいらっしゃったの?」


 彰二は、何を訳の分からん事を、と思ったが、周二は顔色を変えた。


「…いや。…嘘。まさか…。いや、でも。何か…。そんな気がしてた。一緒に居る様な」


「周ちゃん?…由里?」

 由里は、紘一の言葉に、あら、と言った。


「御二人共御守りくださっている御様子よ?だから無事に此処に辿り着けたんだわ」


 ついに、紘一も顔色を変えて、父さん、と言った。


 周二と紘一に見詰められて、珍しく、努めて無表情になっていたらしい静吉は、観念した様に、最近は使っていない、古い蝿帳(はいちょう)(すみ)に隠してあった封筒を出して、周二に手渡した。


「此れ…何ですか?」


(おさ)から受け取った、君の御兄さんの戸籍だ。君は、今日から『()(ばる)(そう)(いち)』だ。落ち着いたら手続きをして、うちの養子になって、住所も此の家に移そう」


 如何(どう)いう事ですか、と言う周二の声は震えていた。


 彰二は、紘一の顔を見た。顔面蒼白だった。


「父さん…。もしかして…。(たか)が聞いた音って、銃声ですか?」

 そう言いながら、既に泣いている紘一の言葉に、静吉は返事をしない。


 肯定の意味を悟った彰二は、一体全体、何の話だ、と思いながらも、慌てて周二の方を見た。


 周二は、震えながら言った。

「…帰らなきゃ」


 え?と彰二は聞き返した。


 帰らなきゃ、と、もう一度周二は言った。

「兄上、兄上が居なくなったんなら、里を、あの(まま)にしておけない」

 使えないよ、と周二は、オロオロした様子で言った。

「兄上の戸籍なんか使ったら、兄上、困っちゃう。使えないよ、俺」


 落ち着きなさい、と、静吉が言った。

「綜は、亡くなった」


 急に、耳が痛いくらいの静寂が、居間を襲った。


 由里ですら、黙って、静吉の顔を見詰めている。


 静吉は続けた。


自棄(やけ)になった八次さんに、(おさ)が心中を迫られて。…庇って、(はる)(そう)が、頭を、村田式散弾銃で打ち抜かれて、亡くなった。だから、長が、此の戸籍で、君に、『()(ばる)(そう)(いち)』として生きる様に、と」


 周二と紘一とが泣き崩れた。

 由里も急に泣き出したので、彰二は慌てて、立って由里を抱き上げた。

 発作を起こされても堪らない。


 如何(どう)いう事ですか、と彰二が言うと、静吉は、彰二の言葉には答えず、如何(どう)するかい?と言った。


「戻る気かい?皆が、どんな思いで、どんなに苦労して君を、あの場所から逃がしてくれたか。そして、君は、自分の未来を殺すのかい?あんなに努力して、此処まで辿り着いたのに。其れを、綜は喜ぶのかい?」


 周二が、あああ、という泣き声を上げた。


 彰二が耳を塞ぎたくなるくらい、悲痛な叫び声だった。




「…まさか…隠れ里の(おさ)の息子で、十四歳で死亡届を出されて、って。其れ、本当の話ですか?」


 周二と紘一を落ち着かせて、夕飯も食べずじまいだったが、寝かし付けてから、由里を松濤の伯父夫婦の家に預け、居間で、二人で、()かした芋だけの食事をしながら、父から語られた話の内容に、彰二は戦慄した。


「里全体で陸軍の人体実験に関わって?長の跡取りの予備(スペア)の存在が知られない様に、死んだ事にされて、病院に三年間幽閉されていて?…聞いた事も無いですよ、そんな話」


「そう、終戦のゴタゴタに乗じて、紘と一緒に、其処から逃げて上京して来させたんだ」


 そんな、と彰二は言った。


「しかも…其の、長の跡取りだっていう御兄さんという人は亡くなったんですか?」


「そう。周は、死亡届が出されているから戸籍が無い。死んだ双子の兄の戸籍を使って、戦災孤児として、うちの養子にして、うちで雇う、と約束した」


 彰二が、そんな、と言った。

「其れ、今まで、周さんには黙っていたんですか?御兄さんが亡くなった事も」


 静吉が、そうだ、と言った。

「本人は画業を志しているから。里を出たがっていた。だから、其の、父だという長も、双子の兄という人も、あの子を、隠れ里から出してやりたかったんだな」


「戸籍をって…犯罪ですよ?」


 彰二が、そう言うと、静吉が、そうなのだ、と言った。


「其処までしても、あの子を、皆が助けてやりたかったのさ。…だが、兄の事を知れば、周は、責任感から、里に戻って跡取りになると言い出すだろう?戸籍を使うとなれば、あの子の兄の死は、(いず)れ、あの子にも分かってしまう事だったが、なるべく引き延ばせ、と言われて」


 彰二は、其れ以上言えなかった。


 隠れ里の名は()(ばる)(しゅう)(らく)

 『苗の神教(ナエンカンきょう)』という宗教を信仰する人間が集まって暮らす場所で、外界からの接触を、ほぼ断って暮らしている。


 彰二の両親と、伯父の新三は、其処の出身で、『苗の神教(ナエンカンきょう)』の男達は、(いま)だに、宗教の術による祈祷師の仕事で現金収入を得ているらしいのである。


 彰二は『苗の神教(ナエンカンきょう)』の実態など知らないし、術も使えない。

 そして、其の集団が、陸軍に、一体、何を、如何(どう)やって協力していたら人体実験という事態になったのかも、とんと見当がつかない。


 だが、其処の長の跡取りを逃がす、とか、其れに協力する、という事が、どれ程大変か、という事も、彰二には察せられてしまった。


「あの子は…双子で難産だったとかで、御母さんという人が、あの子達を産む時に亡くなってしまって。長は忙しいし、双子の兄しか家族が居ない状態で育って…。母親の顔も知らないそうだ。だから、其の御兄さんの死を知ったら、あの子が、どれ程取り乱すか、長も分かって、そういう風に頼んで来たのだと…」


 彰二は泣いた。


 自分も、四歳の時に母に死なれた。

 もし紘一にも死なれて、由里という妹も、伯父夫婦も居なかったら、と思うと、耐えられないような気持になった。


―勝手に羨んで、ごめん。


「でも、周さん、そんな(つら)い思いをしてきた様には…。明るくて、優しそうで」


 見る目が無いな、と、静吉は優しい声で言った。

「嫌な目に遭ったから他人に優しくて、強い人間になったのだとは思わないのかい?」


 ああ、其れは、本当に、其の通りなのだ、と思って、彰二は、余計泣いた。




 翌朝、庭の片隅で、浴衣姿に裸足の周二が、小さな画帳を燃やそうとしているのを、寝巻の浴衣姿に裸足の紘一が慌てて止めているのを見て、彰二は、自分も寝起きの、寝巻の浴衣姿の(まま)、裸足で庭に飛び出した。


 パチパチと、(たきぎ)()ぜる音がする。

 食えないから、母の残した花壇等を泣く泣く潰して畑にした庭の隅で、ゴウゴウと焚火が燃えていた。


 やめて周ちゃん、という、紘一の、聞いた事も無い様な哀切な声が聞こえた。


 止めないで、と周二が言った。

「此れが、あったら。帰りたくなっちゃう。帰るのだけは、やっちゃいけない事なのに。皆に、会いたくなっちゃう」


 兄上がもう居ないのに、という、悲嘆な声を聞いて、彰二は堪らず、泣きながら、後ろから、周二を抱き締めて言った。


「もういい。もういいから。大丈夫だ、周さん。兄さん、火を消してください」


 周二が、脱力し、驚いた様子で、彰二を見た。


 紘一が、ハッとした様子で、慌てて、水を取りに、母屋の中に走った。


 寄越せ、と言って、彰二は、周二から画帳を取り上げた。


 周二は、不思議そうな顔で、彰二を見た。


(ゆみ)みたいな目しやがって。


 どんな事情が有っても、悲しみに沈んで、今有る食べ物や家に感謝もせずに、自分の不幸しか見詰めない目は好かない。良い悪いではない、単に彰二は、其れが気に入らないのだ。


 こいつは、そんな目が似合う人間ではない筈だ、俺より上等な人間の筈だと思い、彰二はカッとして、背中から抱いていた周二から離れて、おい、と言った。


「御前の家は燃えたのか?」


 彰二の言葉に、目を(しばた)かせながら、周二は首を振った。


 其れは良かったな、と、彰二は皮肉タップリに言った。

 周二が、そっくり、と呟いたが、意味が分からなかったので、周二は無視して続けた。


「東京は六十回以上空襲にあってんだ。大事なもん燃やしたくなかった人が山と居らぁな。(なん)でぇ、御前、生きてて、家も焼けてねぇのに、態々(わざわざ)上京して、俺んちの庭で、大事なもん燃やそうってのかい」


 周二は、ハッとした顔をした。


 没収だ、と彰二は言った。


「燃やすなら俺が貰う。(なん)でぇ、何か知らんが、うちの四人目の兄弟になろうってんだろ?うちの兄さんの言う事、キッチリ聞けよな。兄さんに燃やすなって言われたもんは燃やすな。分かったか」


 紘一が、馬穴(バケツ)を持って来て、慌てて消火した。


 有難うございます兄さん、と彰二が言うと、良い子に戻るのが早い、と言って、周二がプッと噴き出したので、今泣いた(からす)が、と、呆れて彰二が言うと、参った、と言って、周二はゲラゲラ笑い出した。


「そっくり。降参。彰ちゃん、其れ、捨てていいよ」


 彰ちゃんだぁ?と思ったが、彰二は、フン、と鼻を鳴らして言った。


「捨てはしませんよ。如何(どう)あれ、他人の大事な物を、粗雑に扱ったりはしません。俺を何だと思っているのですか」


 益々そっくり、と言って、周二が、息が出来ないくらい笑うのを、周ちゃん?と言って、紘一が、キョトンとした顔で見詰めている。


 何にそっくりなんだ?と思いながらも、其の笑い声の明るさに、何だかつられた彰二は、ふふん、と笑って言った。


「何だか知りませんが、此れを見たら里心(さとごころ)がつくと?では、中を少しでも御覧になったら泣かれてしまっても困りますから、中は(あらた)めずに、缶に入れて、松濤の庭にでも埋めておきます」


 徹底してるね、と言って、周二は、(なお)笑った。

「俺、そんなに意気地無しじゃないよ、でも、有難う」


 何の、と彰二は言った。

「画業を志しておられるんでしたっけ?有名な画家になったら高値が付くでしょうから、容赦なく掘り起こしますよ。其の時も所有者は俺ですから、悪銭(びたぜに)一枚、誰にも遣りませんからね。精々、高値が付く様な仕事をなさってください」


 有難う、の言葉に、照れて、何時(いつ)もの様に、分かり(にく)い励ましをしてしまった彰二に対して、周二は、そんな励まし言ってくれた人初めて、と、目を点にして言った。


 照れ臭くて(ぼか)した筈の励ましが伝わってしまい、益々照れた彰二は、真っ赤になりながら、何だよもう、と言った。


「サッサと戸籍変えて、就職しなさい。働いて、食うんです。其れまでは、俺と食料を集めに行きますよ。そろそろ何か遣っても良い頃でしょう。申し訳ないが、大量に人が死んだんだ。俺にも、誰にも、貴方(あなた)の事も、他人の事も慰めきれやしないんだ。俺の何を差し出したって、誰の不安も喪失感も拭い去れやしないんですよ。隅田川沿いでも、上野でも、何処でも、好きに歩いて、見てみたらいいんですよ。()だ、こんな不幸がゴロゴロしてるんです。一緒に食って、生きましょう。話は其れからだ」


 周二はボロボロと泣いて、言った。

「…一緒に生きてくれるの?」


「はぁ?一緒に死んで如何(どう)すんですか。あんた、絵を描くんじゃないんですか。ほら、サッサと着替えて。泣き疲れて寝ちまって、昨日も夕飯食ってないんでしょうが。()かした芋しか有りゃしませんが、トットと食べて。食べ物探しに行きますよ。俺は育ちざかりなんだ!」


 彰二が、そう言い終わるより先に、周二は、ビエーッ、と、小さな子供の様に泣いて、彰二にしがみ付いて来た。

 紘一も泣きながら、周二と彰二を、(まと)めて抱き締めて来た。


「えーっ?何なんだ此れぇ」


 彰二が、そう言って困惑していると、何処からか貰ってきたのか、卵を七個も持って来た、国民服姿の静吉が、おお、仲良くなったなぁ、と言って、縁側から、ニコニコして此方(こちら)を見ていた。




 画帳は後年、彰二が思い出して掘り返し、美術館に鑑定を依頼したところ、高値が付き過ぎて、保存の為に、美術館に寄贈するしかなくなった。

 中身も素晴らしい出来栄えで、あの時に中身を(あらた)めていたら、売り払う時期を見誤らなかったのに、と、彰二は後悔する事になるのだが、此の時は、そんな事は知らない。


 だから、馬鹿正直に、画帳を開きもせずに、煎餅の缶に入れて、割合深く、伯父の家の庭に埋めた。

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