表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
向かい干支 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
昭和二十年
5/48

坂本彰二 小豆

 偶然次の日の昼、珍しく、小林が、此の暑いのに、国民服姿の(まま)で、彰二の家まで来てくれた。


「…坂本、今まで、有難う」


 聞けば、(ゆみ)の婚約者が復員したのだと言う。


 其れは良かった、と、彰二は、心から言ってしまって、そんな自分を、心の何処かで恥じた。


 用済み、という扱いをされた事に、全く傷付く事が出来なかったのだ。

 恋愛でも何でも無く、食べ物の為で、相手の何にもなれない関係だった事を、再認識してしまったのである。

 昨日、彰二の清らかさに感じた羨望の方が、感情としては強かったくらいだったのだ。


 ごめん、と言う小林に、いや、と彰二は言った。

姉弟(きょうだい)で、ああいう事をしたくなかった気持ちは分かるから。御互いの秘密にしよう。俺も、年上の女の人との、秘密の恋愛だったと思う事にするからさ。毎度、食べ物も助かったしよ。…嫌な思いして、集めて来てくれたもんも有ったんだろ?」


 ごめん、と言って、小林は、泣きながら、袋に入った小豆(あずき)を寄越してきた。


 袋の中身を見ながら、彰二は瞠目して、言った。


「小林、此れ…。いや、此の時期に、よく、こんな…。小豆なんて、何処で?」


「母さんの枕の中身。肩が凝るからって、小豆で枕を作ってたの、思い出して。…食べられるか、もう、分かんないけど」


「…形見の枕、切って、中身出してくれたのか?御母さんの…」


 ()だ形見か如何(どう)か分かんないけど、と言って、強がる様に、小林は、日に焼けた顔を向けて、笑ってくれた。


「受け取ってくれ。其れで、此れきりにしよう。俺も、もう来ない。有難う。…最後の一線超えなかったのは、坂本の御蔭だ」


 シーッと言って、彰二は、自分の右手の人差し指を、自身の唇に当てた。

態々(わざわざ)言わなくていいから。其れと、悪いよ、小豆。俺、今日は弓さんに会ってないんだし。今時分に、こんな貴重なもん、受け取れねぇ」


 受け取ってくれ、と小林は、悲しそうに笑って言った。

「妹さんが居るんだろ?大事にしてやってくれ」


 彰二が小林、と言うと、相手は、振り返らずに、ダーッと走って行ってしまった。

 以降、二度と、小林と会う事は無かったし、小林の家の方面にも向かう事は無かった。


 其の後、不安は、静吉と紘一が戻った事で、雲散霧消してしまったらしかった。


 結局彰二は、一連の事を、食料が乏しい不安からした事、と結論付けて、忘れようとした。


 其れでも、卑屈な女はもう御免だ、と思った。

 多少、我が(まま)で高慢ちきでも構わないから、自己主張をハッキリしてくれる方が良い、と。


 こうして、『売春』と『初恋』との境界線が酷く曖昧な、彰二の(ひと)(なつ)の人間関係は幕を閉じた。


 自身の精神性の低さと、怠惰への簡単な順応に、ヒモになるのだけは避けたい、という教訓を得ながら。


 そして、小豆は、級友の小林が由里にくれた、と言って、松濤の家に持って行ってしまい、奈穂子に大変感謝され、彰二は更に気不味い思いをした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ