プロローグ
『瀬原集落聞書』シリーズ、『山行かば』の後日譚、『君子蘭』の前、後日譚になります。御付き合い頂ければ幸いです。
薄気味悪ぃ、と坂本彰二は思った。
紹介された湯上りの人間が、あまりにも美しく、明朗で、穏やかだったからである。
兄の親友で、戦災孤児だという建前で此処に連れて来られたのだという。
―建前って、一体、如何いう事?
ともあれ、大変な苦労をして、鹿児島から東京までやって来たのだというから、其れにはは同情の感情しか湧いて来ない。しかし、薄気味が悪いと思う気持ちは止められなかった。
「初めまして。周二です。君が彰二君?」
「はい、初めまして」
年の頃は十七だという。
しかし、こんな美しい顔の人間には御目に掛かった試しが無い彰二である。
見れば見るほど、不審なまでに美しい。
五尺八寸、兄の紘一と横並びの長身。凛々しい眉は、名人の筆で眉頭から眉尻までスッと何気なく引かれた線の様で、ハッとする程整っている。そして、其の人柄を表現しているかの様な穏やかな黒い目。小振りだが形の良い美しい鼻の下に、殆ど皺の無い赤い唇を持っていた。其の唇より美しい唇を、これまた彰二は見た事が無かった。
周二は、兄の浴衣を借りて着ている。苦労したのであろう、やや伸び放題、といった風情の洗い髪から、其れ等がチラチラ覗くのである。髪は切って整える必要があろうが、日本に、此の人間を見て美しいと思わない人間は居ないのではなかろうか。そんなものを来訪者だといって迎えるとは信じられず、自分は白昼夢でも見ているのだろうか、と、彰二は思った。
何だっていうのさ、と思い、彰二は溜息をついた。
抑、彰二は、紹介された、周二という人間の出自が気に入らない。
ただ、面と向かって本人に、其れを言う程子供ではないだけである。
もう十四だ。
同級生でも、条件付きで従軍していた者も居た。
ただ、其の戦争は、今年の夏に終わったのであるが。
父の静吉と兄の紘一は、伯父の新三の命を受けて、静吉と、彰二の母、富の郷里だという、鹿児島の瀬原集落に赴いていたのだ。
道中どんなに危険だったであろう。
彰二は、二人の帰りを、一日千秋の思いで待ち侘びていた。
其れなのに、やっと、戦争が終わって一ヶ月もしてから、ボロボロの姿で帰ってきた静吉と紘一は、紘一の親友だという、此の美青年を伴っていたのだった。
兄の親友。
抑、そんなものを彰二が気に入る筈が無かった。
ただでさえ体の弱い妹の方に注がれがちな兄の目が益々自分に向かなくなるだけである。
其の上、其の妹、由里も、会うなり周二に懐いてしまった。
実に腹立たしい。
由里は滅多に他人に懐かない。
大人の本音を見抜いてしまうところがあるからだ。
其の由里が懐いたという事は、兄の親友という人物は、恐らく善人なのだ。
気の優しい兄の選ぶ友人、オマケに親友だとまで言わしめる人物なのだ、其れは当たり前だろうが、彰二は、其の事実が益々気に食わなかった。
非の打ちどころの無い容姿の人間の心映えが優れていては、文句の付け様が無い。
一番の問題は、出身が、瀬原集落だという事である。
怖い、と彰二は思った。
あそこは怖い。得体が知れない。
伯父と両親が逃げ出してきた里なのに、戦時下なのにも関わらず、伯父は、今年の七月に亡くなった祖父の葬儀の為の帰省に託けて、父に何かの調査依頼を出したのだった。
そして、父は、其れに彰二の長兄を同伴させた。
何かが有るのだろうと思うのだが、誰も自分に何も言わない。
彰二は子供扱いされて、蚊帳の外、という気がした。
其れが如何して、其の場所から親友を伴って帰ってくるのだろう。
しかも、周囲に出自を偽ってまで。
薄気味悪ぃや、と、彰二は再び思った。
抑、祖父の糺一も、伯父の新三も、父の静吉も、兄の紘一も美形である。
瀬原集落に残っているのだという、時折東京まで尋ねに来てくれる、父の弟、伯父の栄五も、まるで銀幕のスターの様な顔をしている。
其れまではは、彰二の中では、ただ血縁というのは、そういうもの、というだけだったのだが、こうまで美しい人間を伴って帰ってくるとなると、話は別である。
―一体、如何いう場所だ?まさか、こんな作り物みてぇな顔した人間ばっかり住んでいるわけじゃねぇだろうな。
彰二は身震いした。
得体の知れない瀬原集落という場所に、更に薄気味悪い印象が付与された。