猫妖精と契約
「ど、どうして契約を交わしたのです?」
『大きな願いを感じたから?』
「わたくしは願ってなど――」
まさか、レイナートの願いだったのか。
彼はスノー・ワイトを見て、驚いているようだったが……。
『結んでしまったものは解けないから、まあ、諦めましょう。これからよろしくね、ヴィヴィア姫』
「え、ええ……」
スノー・ワイトは目を細め、前足を差し出してくる。私の手のひらにそっと添えてきた。
握り返したら、肉球のぷにぷにとしたやわらかさを感じる。
世にも珍しい猫妖精と契約することになるなんて、誰が予想していたのか。
スノー・ワイトはこの部屋の主だとばかりに、ソファに鎮座していた。
『それにしてもこのお部屋、ずいぶんと変わったわねえ』
「どうしてわかりますの?」
『あの子がコンパクトを持ち歩いていたからよ。視覚を共有しているの』
覗き込んでいたコンパクトを、思わず投げそうになった。
『今は違うわよ、あなたが契約主だから。繋がりは切れたわ』
「安心しました」
従騎士が使っていた時代は、寝室は物置にされ、ここも寝台とテーブルがあるばかりのシンプル極まりない部屋だったらしい。
『数時間でここまで揃えるなんて、恐ろしいとしか言いようがないわ。きっと、自らが持つ権力を最大に使ったのね』
どうしてそこまでしてくれたのか。よくわからない。
そもそも他の修道女や修道士がこの部屋を見たら、贅沢だと反感を抱くかもしれないのに。
『あの子が理解できない、って顔をしているわね』
「それは、五年も前からずっとずっと理解できていませんの」
『傍にいたら、見えてくるものもあると思うわ』
嫌わないであげてね、と言われたけれど、それは難しい。
だって、レイナートが私を嫌っているのだから。
◇◇◇
夕食はパンとスープだった。
パンは石かと思うくらい硬く、スープは野菜の皮が刻まれたものが使われていた。
私の食事を見たミーナは、眦に涙を浮かべている。
「ああ、ワルテン王国の王女殿下とあろう御方が、このように質素なお食事を召し上がるなんて!」
「各地で苦しんでいる人を思ったら、食事があるだけでもありがたいものです」
「うう……!」
ちなみに、ミーナも同じメニューである。
「わたくしのほうが、あなたに悪いと思うくらい」
「私は大丈夫です。どうかお気になさらずに」
こんなところにまで連れてきてしまい、申し訳なくなってしまう。同時に、ありがたくもあった。
ミーナの手を握り、感謝の気持ちを伝えた。
「いただきましょう」
「そ、そうですね」
パンは口に含んでもいっこうにやわらかくならず、スープは白湯のような薄い味付けだった。
こんなものだろうと想像していたので、なんら問題はない。
ちなみにスノー・ワイトは食事を必要としないらしい。私からの魔力の供給だけで生きていけるという。
強力な魔獣や幻獣と契約し、大量の魔力を対価として与え、最終的に魔力の枯渇状態で亡くなる――なんて話も珍しくない。
魔力を与えているという感覚はまったくなかったので、その辺の心配はなさそうだ。
「さすがに聖騎士様は、もっといい食事を召し上がっていますわよね?」
「体が資本ですから、きっとそうに違いありません」
私の護衛を命じられたレイナートであったが、扉の向こうにいるわけではない。臨時的に護衛として配置されていた女性の聖騎士に話を聞いたところ、レイナートは私室兼執務室で仕事をしているようだ。
「少し、お話しできたらと思っているのですが」
久しぶりに接したレイナートはどこか、ちぐはぐな印象がある。
冷たい態度でいるのに、私を枢機卿の魔の手から守ったり、部屋を仕立ててくれたり、ご両親の形見とも言える大事なコンパクトを私に託したり……。
会話を重ねたら、彼の真意が見えてくるのではないかと考えている。
「では、私が訪問の先触れをしにいきましょうか?」
「いいえ、大丈夫。予告したら、避けるかもしれないから、突撃します」
扉を開いたら、ちょうど修道士が通りかかる。食事が載った手押し車で、レイナートの部屋に向かっているようだった。
ミーナに目配せすると、すぐに察してくれた。
「修道士様、そちらの食事は、バルテン卿のでしょうか?」
「はあ、そうですが。いかがいたしましたか?」
「これからバルテン卿の部屋に行くんです。ついでに運んでおきますよ」
ミーナは修道士の手に心付けを握らせる。すると、修道士は素直に手押し車を渡してくれた。
「スノー・ワイトもレイナートのところに行かれます?」
『アタシはいいわ。今は眠いの』
「わかりました」
スノー・ワイトは長い尻尾を左右に振りながら、寝室のほうへ向かっていった。そんな彼に部屋の留守を任せ、私たちはレイナートの部屋を目指す。
とは言っても、すぐ隣なのだが。
ミーナは慣れた手つきで手押し車を押し、レイナートの部屋の扉を叩いて声をかけた。
「バルテン卿、お食事の時間です」
返事はない。不在なのだろうか。
ミーナが扉に手をかけたら、鍵がかかっていた。
もしやいないのか。視線で問いかけるも、ミーナは小首を傾げる。
彼女は耳を扉に近づけ、中の様子を探った。
「……いらっしゃるようです」
ならば、敢えてこちらの声かけを無視しているのだろう。
私とミーナは視線を合わせ、同時に頷く。
一度部屋に戻り、手押し車を浴室のほうへ押していった。
レイナートの部屋に繋がる扉は、こちら側に鍵がある。
つまり、私側の部屋からは自由に行き来できるのだ。
解錠し、扉を開く。
山のような書類に囲まれたレイナートが、私たちを見てギョッとしていた。