聖水
それからというもの、私は帝王学に等しい教育の数々を受ける。
毎日、きちんと知識を身に付けているか試験があるので気が抜けない。
合間、合間でアスマン院長と話をするようになったからか、ずいぶんと打ち解けたように思える。
「あの、以前から疑問だったのですが、アスマン院長は枢機卿になろうと思わなかったのですか?」
現在の枢機卿よりも、相応しい知識を持っているように思えたのだが。
それに対し、彼は謙虚に返した。
「枢機卿なんて、相応しいと思ったことは一度もないよ。それに……」
「それに?」
「俺は父親がいない、非嫡出子だから、今の大聖教会では認められないんだ」
枢機卿になるには家柄を重視するのだという。アスマン院長の母親は中流階級出身で、裕福な家に生まれたものの、未婚のまま亡くなったらしい。
「この国では身分がすべてだ。いくら賢く、知識を持っていても、生まれが卑しかったら意味がない」
それについては、何も言えない。私自身が恵まれた環境に生まれた者だからだ。
「家柄に関係なく、相応しい者が、しかるべき役職に就けたらいいのにね」
独り言のような言葉に、私は頷くことしかできなかった。
夜――レイナートと通信魔法で連絡を取る。もちろん、盗聴されないようにスノー・ワイトに結界を張ってもらっていた。用心には抜かりない。
「――というわけで、聖女は教皇の妻という立場らしいのです」
『あの男、なんて卑劣なことをするのか。絶対に許せません』
しかしながら、レイナートは納得できたという。なんでも、サリー皇女との結婚が上手くいかなかったことに対して、枢機卿はさほど気にしていないようだったのだ。
「レイナートのほうは何か発見できましたの?」
『ええ』
枢機卿と金銭のやりとりについて、レイナートは傍付き時代の伝手を使い、せっせと調べていたらしい。その結果、これまで枢機卿が行った横領や恐喝、職権乱用、贈収賄など、ありとあらゆる汚職の数々が見つかったという。
「呆れたとしか言いようがありません」
『本当に』
今すぐにでも摘発できるようだが、肝心の聖水に関しての情報が集まっていないらしい。
『可能であれば、聖水について書かれた書物を回収したいのですが、枢機卿の管理下にないようで、どこを探っても見つからないような状況です』
「そうでしたか。でしたら、わたくしのほうからアスマン院長に探りを入れてみるのはいかがでしょうか?」
『いえ、それは危険かと』
アスマン院長は枢機卿の直属の配下なので、探りは入れないほうがいいという。
『ドミニク・アスマン――彼に関する情報を集めてみたのですが、枢機卿とは逆に、聖人としか思えないくらいの情報がでてきました』
寝る間も惜しんで患者の治療にあたり、これまでだした書籍の売り上げは全額屍食鬼の被害を受けた人たちへ寄付、大聖教会から報酬はいっさい受け取らず、奉仕活動に勤めているという。
『母親が亡くなってからは親戚一同に見放され、その後、助けてくれた枢機卿に恩を感じているそうです。大聖教会で骨を埋めるつもりだと、語っているそうですよ』
そんな事情があったので、彼は枢機卿の言いなりだったのだろう。
「アスマン院長は非嫡出子だとおっしゃっていましたが、大変な出生をお持ちだったのですね」
『ええ。気の毒なお方です。ただ……』
「ただ?」
『いいえ、気のせいでしょう。なんでもありません』
彼について引っかかる件があったようだが、それはレイナートが受けた印象らしい。彼ほどクリーンな男性はいないという。ひとまず今後も油断せず、何か情報を得られたらレイナートに報告しよう。
◇◇◇
それから一ヶ月経った。
下手な探りを入れられない私は、聖女教育を淡々とこなすことしかできていない。
そんな中で、わが耳を疑うような学習内容がアスマン院長より聞かされる。
「次は、そろそろ聖水の作り方を教えようか」
そう言ってアスマン院長が取り出したのは、黒革の書物。
ぞくっと鳥肌が立つ。
表紙に押された〝禁貸出〟金色の刻印を、見間違えるわけがない。これは王家の禁書庫から持ち出された、死霊術について書かれた魔法書だろう。
レイナートが血眼になって探していたそれは、テーブルに置かれていた。
腕を伸ばしたら、すぐに手に取れる位置にある。
大聖教会は人を屍食鬼にするおぞましい液体を、聖水と名付けた。
おぞましい行為を続けていた。
平静を装いながら、質問を投げかける。
「こちらの本は?」
「聖水を作るにあたって、参考にした本だよ」
つまり、アスマン院長は聖水の作り方を知っている?
聖水を作ったという実績を、押しつけられたわけではない?
賢い彼が、死霊術士の書物から作られる聖水について、どういう効果を及ぼすのか知らないわけがない。
ということは――!?
聖水に書かれた書物を手に取ると、傍にいたスノー・ワイトを抱き上げてアスマン院長から距離を取る。
震える声で問いかけた。
「アスマン院長、あなたは、聖水がどんなものかご存じですの?」
彼は笑顔で頷いた。




