ありえない真実
何かしようもないことをしでかすに違いない。そう思っていたが、レイナートを指名手配するなんて。
「これならば、難民を逃がしてしまったという醜聞を打ち消すことができるでしょうね」
「なんて酷いことをなさるのかしら」
この指名手配書は街中で配られているのだという。新聞各社も大々的に報道しているようだ。
「こちらも早く手を打たなければ」
「手を打つというのは、具体的に何をなさるの?」
「それは――」
レイナートはこちらを見ようとせず、拳を強く握っていた。その様子を見て、ピンとくる。
「まさか、ご自身の出生について明らかにするおつもりですの?」
「ええ、そうです。でないと、このままでは王族の印象が悪くなってしまいます」
レイナートは珍しく、冷静ではない。それも無理はないだろう。彼は以前から、王族の印象が悪くなることを気にしていたから。いったん、落ち着かせる必要があるだろう。
「レイナート、しっかりなさってくださいませ!」
思いっきり背中を叩くと、レイナートは「ぐっ!」と苦悶の声を上げた。
「あなたの出生について情報を公開したら、枢機卿に一撃を与えられるかもしれません。けれども、相手はさらなる手段にでてくるでしょう」
報復に対し報復を返したら、さらなる報復が返される。尽きることなどないのだ。それについて訴えると、レイナートは自身の行動の危うさに気づいてくれた。
「申し訳ありません。冷静さを失っていました」
「そういう日もあります」
しょんぼりとうな垂れるレイナートを抱きしめ、背中を撫でる。
これ以上、彼を傷付ける者がでてきませんようにと祈ってしまった。
◇◇◇
レイナートが起こしたとされる醜聞は、あっという間に王都中へと広まっているらしい。
今は好きなようにさせておく。あとで、痛い目に遭ってもらおう。そんなことをレイナートと話している。
本日より、聖女の教育計画が開始される。
男子禁制の建物に移り、さまざまな学習に取りかかるのだという。
護衛であるレイナートは、一方的に解任を言い渡された。
そのため、現在のレイナートは枢機卿を摘発する情報を集めている。
私も、聖女という立場を利用し、内側から何か動かぬ証拠を得るつもりだ。
教育係が立てられるようだが、まさかの人物が現れた。それは、アスマン院長である。
「どうやらこのお役目を果たすために、フランツ・デールから呼び戻されたみたいで」
「そうだったのですね。別に、アスマン院長でなくても、と思うのですが」
「大聖教会内で教育課程を教えられるのが、俺だけだったんだよ」
その言葉にため息を返す。
ちなみに男子禁制の場は、枢機卿の特別な許可があるので出入りできるのだという。
そういう裏技が使えるのなら、護衛を務めるレイナートにも使ってほしかった。
「時間がもったいない。行こうか」
「え、ええ」
これから一部の者にのみ公開されている特別な絵画を見せてくれるという。
それは、教皇がいた時代に礼拝堂に飾られていたものだったようだ。
部屋の前でアスマン院長は立ち止まる。彼には見る許可がでていないのだとか。
そんなわけで、姿を消したスノー・ワイトと一緒に絵画のある部屋へと入る。
飾られていたのは、とてつもなく大きな絵画だ。そこには教皇と、寄り添う聖女の姿が描かれていた。
聖女は頬を染め、教皇を愛おしそうに見つめていた。一方で、教皇はねっとりした視線を向けつつ聖女の肩を抱いている。
「な、なんですの、この絵画は?」
『聖なるものというより、いやらしさを感じるわね』
スノー・ワイトの呟きに思わず頷いてしまう。
ここでふと気づく。縁に何か文字が彫られていた。
「これは、古代語ですわね。スノー・ワイト、読めますか?」
『もちろん』
スノー・ワイトを抱き上げ、文字を読んでもらう。
『絵画の題名みたいね。えーっと〝神に等しき教皇と、愛らしき妻であり、聖女である者〟ですって』
「聖女が妻? どういう意味……あ!」
『どうかしたの?』
「聖女の位を授与した日に言っていた、枢機卿の言葉を思い出したんです」
――今後、儂の隣に立つ日を、楽しみにしている
まったく意味がわからない言葉だったが、もしかしたら妻として迎えるという意思を示したものだったのか。
『大聖教会にとって聖女という存在は、教皇の妻、という立場なのかもしれないわ』
「そういえば、聖女は三百年もの間出ていない、なんて話を耳にしました」
三百年前といったら、教皇の座がワルテン王国に剥奪された辺りである。
『だったら、いずれ枢機卿は教皇の座に納まり、その隣を聖女であるあなたが立つ、という未来を想像していたのかしら?』
「おそらく、そうなのだと思います」
全身に鳥肌が立ってしまう。なんて恐ろしい未来予想図を描いていたのか。
『うっ、悪寒が……! なんだか気持ち悪くなってしまったわ』
「わたくしもよ。スノー・ワイト、もう出ましょう」
『そうね』
待機していたアスマン院長に、絵画について聞かれる。
「中の絵はどうだった?」
「とても大きくて、圧倒されました」
「そう」
追及されたらどうしようかと思ったが、それ以上は何も聞いてこなかった。内心、ホッと胸をなで下ろす。
それにしても、教皇と聖女が夫婦関係にあったなんて驚いた。
確信を得るために、アスマン院長にも質問を投げかけてみる。
「あの、聖女というのは、もしや、教皇の妻を示す立場なのでしょうか?」
「ああ、そうみたいだね」
やはり、間違いではなかったようだ。予想していたので、そこまで衝撃は受けなかった。絵画という前情報がなければ、きっと血の気が引いて気を失っていただろう。
「しかし、枢機卿はアラビダ帝国のサリー皇女と結婚なさるおつもりだったような?」
「そっちは正妻で、聖女さまは聖妻という立場になるみたい」
「正妻と聖妻、妻が複数いる、という状況が許されますの?」
「みたいだね。教皇にはそれが許されるそうだ」
なんでも過去には、十名もの聖女を迎えた教皇もいたらしい。なんてはしたない話なのか。耳を塞ぎたくなってしまった。
うんざりしつつ、部屋を移動する。今度は壁という壁に本棚が並び、本がびっしり並んだ部屋にやってくる。
ここは聖女専用の書庫だという。
テーブルには本が山のように積まれていた。
「これから受けてもらう教育課程は、教皇を助けるための知識になるんだ」
近くにあった本を手に取り、中身をパラパラと捲っていく。その内容に驚愕した。
これは帝王学――王になるに相応しい知識や教養が書かれたものである。
「歴代の聖女は皆、これを習得しておりましたの?」
「そうだね。その知識をもって、教皇の治世を支える手助けをしていたっていう記録が残っているんだよ」
これは手助けレベルの内容ではない。教皇は聖女たちに知識を叩き込み、政治活動をするように指示していたのだろう。
何から何まで愚かな、としか言いようがない。
「それにしても、少し読んだだけで理解するなんてさすがだな。もしかして、少しこういった教育に触れていた?」
「ええ。兄に何かあったときのためにと、少しだけ学んでおりました」
アスマン院長は驚いた表情で私を見つめている。
「君は、聖女に相応しい女性だったんだね」
褒めてくれたのだろうが、枢機卿の妻になる未来について考えるとまったく嬉しくない。
アスマン院長は珍しく、嬉しそうにしていた。勉強を教える側からしたら、指導の負担が減って気が楽になったのだろう。
「では、始めようか」
「ええ、わかりました」
彼からも何か情報を引き出してやる。そんな気持ちで、聖女の教育課程に挑む振りを始めた。




