結って、解かれ
「レイナート、どうして枢機卿の結婚式に参加しますの?」
「そろそろフランツ・デールから撤退すべきだと考えておりました」
フランツ・デールはもっとも多く屍食鬼が出現し、多くの聖騎士を送り込まれた場所。
そこで勇敢に戦う聖騎士たちを屍食鬼とし、さらなる襲撃を仕掛けていた。
「ここ最近、屍食鬼の数が減ったのは、フランツ・デールから聖騎士たちを撤退させるためだと思います」
「どうして撤退しようと思ったのでしょうか?」
「聖騎士以外に、屍食鬼とする人間を確保する見込みがついたからだと思います」
レイナートは一週間前、不可解な記事を読んだらしい。
「大聖教会がアラビダ帝国の難民に慈悲の手を差し伸べる、という話を耳にしたんです」
アラビダ帝国の難民――それは隣国の戦火を逃れてやってきた者たちだという。
難民たちはアラビダ帝国で農作物を盗んだり、家畜を殺したり、強盗をしたりと、生きる手段を選ばないのだという。
アラビダ帝国の皇帝は、難民問題に頭を悩ませていたらしい。
「おそらくですが、枢機卿は難民を引き取る代わりに、聖水の取り引きを求めた。それだけでなく、アラビダ帝国の皇女サリーとの結婚も望んだ、ということでしょう」
「なるほど。でしたら、アラビダ帝国のサリー皇女との結婚は、不思議でもなんでもありませんね」
レイナートはアラビダ帝国の難民についての情報を把握していたようだが、何が目的かさっぱりわからなかったらしい。
「ヴィヴィアが枢機卿とサリー皇女の結婚話を教えてくれたおかげで、大聖教会の不可解な行動に納得ができました」
大聖教会は大量の難民を引き入れた。それが意味することは、ひとつしかない。
「レイナート、もしかして、枢機卿は難民から屍食鬼を作り出すつもりなのでしょうか?」
「ええ、きっと間違いないでしょう」
大聖教会の計画には屍食鬼の大群が王宮を襲い、王族はひとり残らず無残な死を遂げる、というものがあったらしい。
「この計画を実行するのは百五十年後のはずでした。しかしながら、枢機卿は自らが教皇となるために、計画を早めるでしょう」
「なんて恐ろしいことを……!」
枢機卿の結婚式に参加するという表向きの理由で、王都に戻る。そこで、枢機卿の悪事を暴き、衆目に知らしめたい。それがレイナートの目的だという。
「しかし私は、同行したら警戒されてしまいそうですね」
「わたくしの護衛騎士として、変装すればいいのでは?」
全身を覆う板金鎧でも着ていたら、レイナートだとバレないだろう。
「レイナートはここを離れて平気ですの?」
「それについてですが――」
レイナートが取り出したのは、鏡石である。念を込めて考えたものを、自在に作り出すというものだ。
「こちらの鏡石で私の姿を作り、魔女が使役する使い魔に取り憑かせて、ここでの活動を続けてもらいます」
「そうでしたのね」
レイナートは鏡石で自身の姿を作ってみせた。
鏡石で作られたレイナートは本物そっくりである。触り心地はどうなのかと頬に手を伸ばしたら、レイナートに手首を掴まれてしまった。
「触れるならば、本物をどうぞ」
「本物って……」
そのまま手を頬に誘導される。レイナートの肌は少しだけ乾燥していた。
「クリームを塗ったほうがいいのでは?」
「あなたがやってくるとわかっていたら、身だしなみをしていました。髪だって結んでいましたし」
レイナートの肩を流れる長い髪は、普段は後ろ髪を上下に分け、上部のみを結んでいる。ハーフアップというやつだ。こうして結ばないでいるのは珍しい。
「レイナート、髪を結んでさしあげます」
椅子に座るよう促すと、彼は大人しく従った。
櫛はないので、手で彼の髪を梳る。
「幼少時を思い出します。ヴィヴィア、あなたは人形遊びをするかのように、私の髪を結びたがりましたね」
「ええ。だって、レイナートの髪は誰よりもきれいでしたから」
思い返してみると、三つ編みもひとつ結びも下手だった。
けれどもレイナートは文句ひとつ言わずに付き合ってくれた。
年頃になり、レイナートを意識するようになってからは、髪を結ばせてくれだなんて言えなかった。
こうして久しぶりにできるようになったのは、レイナートと私の心が近づいたからだろう。
しっかり手櫛で梳かし、髪をまとめる。すると、首筋のホクロを久しぶりに発見した。
「ねえ、レイナート。あなた、うなじにホクロがあるのはご存じ」
「え?」
そっと指先で撫でると、レイナートはくすぐったかったのか身じろぐ。少しだけ耳が赤くなっているような気がした。
「自分から見えない場所のホクロなんて、把握しているわけがないでしょう」
「ええ」
誰にも見せていない場所だと言われ、胸がキュンとなる。
今でも、これは私だけが知る秘密だったようだ。
なんだか嬉しくなって、うなじにあるホクロに唇を寄せる。
「――ッ!!」
レイナートはうなじを押さえ、何をするのか、という視線を私に向けた。
今度ははっきりと、耳が赤くなっている。
こんなふうにうろたえるレイナートを見るのは初めてだった。
「ヴィヴィア、真面目に結んでください」
「ええ。突然嫌なことをして、ごめんなさいね」
「べ、別に、嫌だったわけではないのですが」
早口で捲し立てるように言うので、思わず笑ってしまった。
レイナートの髪を三つ編みにし、最後に毛先を結ぶという段階で、紐がないことに気づく。
「レイナート、髪をまとめる紐は持っていますか?」
「いいえ、今は持っていないです」
「でしたら、わたくしの髪を結ぶリボンを解いていただけますか?」
現在、私の髪は三つ編みにまとめ、胸の前から垂らしている。
レイナートはそれを解くだけでなく、三つ編みを解してくれた。
なんだろうか。三つ編みに指先が差し込まれるたびに、私自身が暴かれているような気がして、恥ずかしい気持ちに襲われてしまう。
「レイナート、髪は、そのままで」
「ヴィヴィアの髪に、触れてみたかったのです。やわらかくて、艶やかで、触り心地がいいですね」
今度は私が真っ赤になる番だろう。髪を解かれるという行為が、こんなにも恥ずかしいだなんて知らなかった。
仕返しとばかりに、リボンは可愛らしく結んであげた。
「レイナート、とってもお似合いですわ」
「ええ、ありがとうございます」
レイナートはにこにこと笑顔で感謝の言葉を述べる。
可愛らしいリボンの結び方は、仕返しにならなかったようだ。




