枢機卿の結婚
アラビダ帝国のサリー皇女はたしか、今年で十六歳である。
たしか、一夫多妻制のアラビダ帝国には、百名以上の皇女がいたはずだ。年齢は上は八十、下は三歳だったような。なぜ、うら若き乙女であるサリー皇女を選んだのか。枢機卿と年齢がつり合う皇女もいたはずだ。
政略結婚とはそういうものだと片付けていい問題ではないだろう。
それ以前に、大聖教会とアラビダ帝国が繋がるのはいただけない。
アラビダ帝国はここ近年もっとも勢力のある国で、次々と征服しては領土を広げている。
その国土はワルテン王国と義姉の祖国を合わせたとしても、敵わないほどの規模だ。
もしも、大聖教会とアラビダ帝国が手を組んでワルテン王国に侵攻でもしてきたら――なんて、考えたくもなかった。
枢機卿への嫌悪感が募り、具合が悪くなってしまう。
『ちょっとヴィヴィア、大丈夫なの?』
「ええ、なんとか」
スノー・ワイトは結婚式の招待状を覗き込み、大きなため息をつく。
『あの枢機卿に嫁ぐ決意をするなんて、気骨のある皇女さまね』
「ええ、本当に」
こういうとき、気の毒だと同情されがちなのだが、スノー・ワイトは別の視点で考えてくれているようだ。
『まあ、世界一気骨のあるお姫さまはあなただけれど』
「わたくし?」
『ええ。枢機卿と結婚する決意を固めた上に、屍食鬼がはびこるフランツ・デールに乗りこんできたお姫さまなんて、あなたくらいよ。尊敬しちゃうわ』
「スノー・ワイト、ありがとうございます」
ほのぼのと会話をしている場合ではなかった。招待状を前に、ため息ばかりでてしまう。
『枢機卿の結婚式、行くの?』
「参加している場合ではない、と思ったのですけれど」
ここ最近、屍食鬼の襲撃が少なくなった影響で、仕事量が減った。忙しいことを理由に断る、という手段が使えないのだ。
「ひとまず、レイナートの意見を聞いてみます」
『そうね』
その日の晩、久しぶりに魔女の住み処を訪問した。
すでにレイナートは来ていて、淡い微笑みで私を迎えてくれる。
「ヴィヴィア、そのような恰好で、寒くないのですか?」
「少しだけ寒いけれど、暖炉があるから平気」
なんて言葉を返した途端、レイナートが優しく手を引く。
あっという間に抱きしめられてしまった。
「こうしていたら、寒くありませんよね?」
「え、ええ、まあ……」
レイナートの温もりに触れていると、自分の体が冷え切っていたことを自覚した。
あっという間にポカポカになったような気がする。
羞恥心から火照ってしまったのもあるのだろうが。
それにしても、レイナートの態度の変化には驚きしかない。少し前まで、私にも冷たかったのに。
今は私を甘やかすだけの存在となっている。そのたびに、あたふたしてしまうのだ。
彼の態度の温度差に、火傷してしまいそうだった。
ここで、視界の隅にいたスノー・ワイトが、ジットリとした視線を向けているのに気づく。目が合ってしまった。
『あたしの心は、北風がぴゅうぴゅう吹いているわー。誰か温めてくれないかしら?』
そんな言葉を残し、部屋から去っていった。
私はレイナートの腕から逃れる。すると、すかさず椅子にかけてあったブランケットを私の肩にかけてくれた。
「ありがとうございます。それはそうと、魔女さまはどちらに?」
「地下の研究室です」
現在、魔女さまは聖水の効果を打ち消し、屍食鬼から受けた傷を回復させる魔法薬を研究している。
その魔法薬は完成間近となっており、大聖教会から見放された者たちが住む村で治験が始まっているらしい。
効果はじわじわ現れ、擦り傷程度の傷ならば完治しているのだとか。
その魔法薬を飲んだら、高い確率で屍食鬼化も防げるらしい。
魔法薬の開発はもう十年以上も続けていたのだとか。レイナートは最近になって、教えてもらったらしい。もしも知っていたら、片腕を切り落とそうとは思わなかったという。
魔女は希望を持たせてはいけないと、これまで黙っていたようだ。それを打ち明けた、ということは完成間近なのだろう。
「その魔法薬が完成したら――」
「大聖教会の荒稼ぎから人々を救うことができます」
驚いたことに、魔法薬の予算は国が出していたのだという。
レイナートが魔女の名のもとに、兄に対して訴えてくれたらしい。
「お兄さま、よく信じてくださったわね」
「もしかしたら筆致などで、私だとわかっていた可能性があります」
「そういうわけでしたか」
兄は私を送り出すときに、信じたい存在を信じなさい、と言ってくれた。
きっとレイナートのやろうとしていたことをわかっていたのかもしれない。
「ヴィヴィア、今日は何用でこちらに?」
「ああ、そうでした。これが届きまして」
大聖教会の象徴である一角獣が印刷された封筒を見て、レイナートはハッとなる。
「枢機卿から、ですか?」
「ええ。レイナートは届いておりませんの?」
「いえ、私には何も」
そういえば、レイナートには横領や教皇の座を狙うという嫌疑がかかっていたのだ。そんな人物に、結婚式の招待状が届くわけがない。
手紙を見せると、レイナートは呆れた表情を浮かべる。
「まさか、アラビダ帝国にまで手を伸ばすなんて」
「ええ」
「最近、アラビダ帝国でも屍食鬼が多く目撃されるという話を耳にしたんです」
「結婚を機に、聖水の取り引きでも始めるつもりなのでしょうか?」
「そういう目論見だと思います」
その場で招待状を破り捨てようとしたら、レイナートに止められる。
「何をしているのですか?」
「馬鹿馬鹿しいと思いまして」
「それに関しては同意します。しかしながら、その招待状を破くのはもったいないです」
「もったいない?」
「ええ」
続けて、彼は驚くべきことを口にする。
枢機卿の結婚式に参加すると、レイナートは言ったのだった。




