説教される
ここにやってきて、早二週間ほど。初めて院長室に足を踏み入れる。
アスマン院長は腕組みし、険しい表情で私を見つめていた。
「どうして呼び出されたか、わかるね?」
「申し訳ありません。まったくわかりませんの」
なんとなくしらばっくれてみる。すると、アスマン院長の眉間の皺はさらに深くなっていった。
「夜灯の聖女……夜、痛みで苦しむ患者に声をかけて回り、勇気づけてくれる心優しき女性――。知らないとは言わせないよ」
ここまで指摘されてしまったら、言い逃れなんてできないだろう。
「勝手なことをしてしまい、申し訳ありませんでした」
謝罪に対し、アスマン院長はため息を返した。
「困るんだよ。こういうことをされたら」
「本当に、反省しております」
患者が夜間に感じる痛みは、〝瞑眩反応〟と呼ばれるものらしい。
「高い熱を発して傷口が酷く痛むのは、回復の兆しなんだ。四、五日したら治まって、そのあとは傷の治りが早くなる」
その状態を促すのに、聖水を混ぜた水を飲むのが効果的とされているようだ。
「それなのに、ただの水を与えていたなんて。信じられない」
「聖水を混ぜた水を与えたら、吐き出してしまったんです。だから――」
「良薬、口に苦しとも言うだろう」
私が余計な行動をしたおかげで、患者の治りが遅くなっているという。
「しかし、患者さんは明るくなったと思います」
私がやってきた日に、片腕を失って運び込まれた女性の聖騎士――名前はシリルという。彼女は最近、微笑んでくれるようになった。傷口の痛みもだいぶマシになったという。
「それではダメなんだ!!」
アスマン院長は拳を机に叩きつける。怒りの形相で、私を睨みつけてきた。
「君がしているのは、患者が苦しむ期間を延々と長くしているだけ。看護でもなんでもない。患者を想ってなどと主張するのは、思い上がりとしか言いようがない」
「――っ!」
アスマン院長の言葉が、胸に深く突き刺さる。
彼の言うことに間違いはないだろう。
「今後、夜の見回りは止めるように。次、同じ行為を働いたら、王都に戻ってもらうよ」
「承知しました」
これを携帯しておくように、と差し出されたのは小瓶に入った聖水である。
「患者が苦しんでいたら、率先してこれを飲ませるように」
「ええ、わかりました」
話は以上、下がるようにと言われ、会釈して去る。
アスマン院長は屍食鬼の被害を受けた人たちのため、日夜働いているという。修道女曰く、毎日夜遅くまで働いていて、睡眠時間は二時間もないのでは、と言っていた。
そんなアスマン院長から見たら、私の行為は勝手としか言いようがなかった。
心の中で反省する。
よかれと思ってやっていたことが、却って患者を苦しめる結果となってしまった。
本当に、申し訳なくなる。
しょんぼりしているところに、本日の仕事を任される。
ひとりひとり聖水を飲ませるという、奉仕活動の中でも大変な作業だった。
始めに向かったのは、シリルのもとだ。小部屋から大部屋に移され、大部屋で治療に専念している。
「こんにちは。聖水のお時間です」
カーテンを広げると、シリルは明らかにうんざりとした表情でいた。
「一日の中で、聖水を飲む時間が一番嫌い」
「これを飲んだら元気になりますから」
なんとか説得し、決まった量を飲み干してもらった。
聖水を呑み込んだシリルは涙目となり、口直しにと取っておいたリンゴを一切れ食べる。
そのあとも、胸を押さえて不快そうな表情を浮かべていた。
「聖水って、そんなにおいしくありませんの?」
「おいしくないなんてもんじゃない。泥水を啜っているようなんだ」
「泥水……」
それならば、毎回拒絶反応を示すのも無理はないだろう。
屍食鬼に襲われて怪我しただけでも大変なのに、その後も苦労が続くなんて……。胸が締めつけられる。
「でもまあ、傷はよくなっているんだと思う。もう、痛みなんて感じないから」
「それはよかったです。聖水のおかげですね」
「うーん。認めたくないけれど、そういうことになるのかな」
アスマン院長の言う通り、聖水をきちんと飲んでいたら傷はすぐに治る。
これからは嫌がっても、水を与えてはいけないのだろう。
私が間違っていた。
シリルと話して、余計にそう思えるようになった。
「大切なものを守ろうとして、利き腕を失ってしまった。バカみたいなんだけれど」
「大切なもの、ですか?」
シリルは頷きながら、左手の薬指に嵌められた指輪を見せてくれた。
ダイヤモンドが散りばめられた、清楚な指輪である。
「婚約指輪なんだけれど、剣を握るのに邪魔だから、左指に嵌めていたの」
屍食鬼に襲われたさい、婚約指輪を守るように右手で守ったのだという。その結果、利き腕を失ってしまった。
「婚約者はずっと、王都に戻ってこいって言っていたんだ。でも、困っている人たちは大勢いて、私だけ幸せになるわけにはいかないって、意地を張っていた――」
「シリルさん……」
彼女は涙を堪えたような表情で、私を見上げながら言った。
「精一杯がんばったから、もう、幸せになっていいと思う?」
「もちろんです」
「ありがとう」
その日から、シリルさんと少しずつではあるものの、会話を交わすようになった。
聖水を頑張って飲んでいたからか、回復は他の負傷者よりも早い。
そろそろ退院日も決まるという中で、ある話を耳にした。
「そういえば、屍食鬼を見たことはある?」
「いいえ、ございません」
「そう」
二度と、見ないほうがいい。シリルは屍食鬼の姿を思い出したのか、頭を抱え込む。
「あれは、人の形をした本物の化け物だ。あんな恐ろしいもの、これまで見たことがない」
なんでも肌が赤黒く、目がぎょろりと出ていて、口は大きく裂けている。
ナイフのような爪先で、襲いかかってくるらしい。
屍食鬼についてもっと詳しく聞きたかったものの、シリルが辛そうだったので、何も聞かないでおいた。
◇◇◇
それからというもの、私は夜の見回りを止めた。その代わりに、夜間に文章を綴る。
眠ってしまったミーナを起こさないように、こっそりと行うのだ。
一番に寝入ったと思っていたスノー・ワイトがテーブルに跳び乗って、私の手元をじっと覗き込む。
『ヴィヴィア、何を書いているのよ』
「屍食鬼と戦う、勇敢な聖騎士の記録ですわ」
これまでも、前線で戦う聖騎士についての記事が出回っていた。
私が書くのは、救護院で治療を行う聖騎士たちの話である。
「みなさん、本当に辛い思いをしながら戦っていますの。それを、たくさんの方々に知っていただきたくって」
『そう』
毎日書いた分だけ、兄に向けて送る。
もちろん、大聖教会の情報規制を受けたら堪らないので、伝書鳥を使って運んでもらう。
伝書鳥は魔石を餌とし、たった半日で王都の兄のところまで手紙を運んでくれる。
王家が古くから連絡手段として利用している特別な鳥なのだ。
『今日はもう、それくらいにしておきなさい。もう寝るのよ』
「そうですね」
あっという間に一日が終わる。
ここで私ができることは少ないが、いないよりはマシだろう。そう思いながら、日々過ごしている。




