お嬢様との衝突
レイナートが結成させた護衛部隊は解散となる。彼女たちは大聖教会の本拠地勤務で、フランツ・デールに連れていくわけにはいかないから。
短い間だったが、私のために体を張ってくれた。感謝しかない。
フランツ・デールまでは、魔石飛行車で二日かかる。
魔石飛行車というのは、空飛ぶ馬車のようなものらしい。一部の富裕層の中で魔石車が流行っているのは知っていたものの、それの飛行型があるとは知らなかった。
この魔石飛行車はドミニク・アスマンが製作したという。彼は聖水だけでなく、さまざまな魔技巧品を作っていて、大聖教会でのみ使えるように特許を取っているようだ。
途中、屍食鬼の被害に遭った町や村に支援物資を配るというので、慰問ができたらいいなと考えていた。
もしも兄や義姉のもとに帰れなくなったときに備え、手紙を書いておく。最後に、いかにふたりに感謝し、愛しているかを綴った。
便箋はレイナートの分も用意していた。けれども彼は、私に黙って大聖教会へ行ったのだ。別に、手紙を残して行く必要なんてないだろう。
最後に一言挨拶くらいと思ったものの、今日もレイナートは忙しくしているようで、私室にすら戻っていないようだった。
荷物をまとめ、部屋の掃除をしているところに、扉が勢いよく叩かれる。
「どなた?」
「私よ!!」
この強気でハキハキした喋りは、アデリッサ様に間違いない。
扉を開いた瞬間、彼女は大股で部屋に入り、想定もしていなかった行動に出る。
手を振り上げ、思いっきり頬を叩いたのだ。
バチン! と派手な音が鳴り響いた。
ミーナが慌てて寝室から飛び出てくる。
「何事です――ヴィヴィア姫!!」
私の頬が赤く腫れているのに気づき、即座に駆け寄ってきた。
「な、なんてことを……!」
ミーナは責めるようにアデリッサ様を見つめる。そんな彼女を、アデリッサ様は追い払うように手を振った。
「あなた、騙したわね!」
「わたくしが何を騙すというのです?」
「レイナート様のことよ!!」
いったい何が起こったのか。まったく身に覚えがない。
「あなた、レイナート様にまったく興味がありません、なんて顔をして、実は裏で繋がっていたのね!!」
「あの、なんのお話でしょう? わたくし、まったく心覚えがありませんの」
「だから、レイナート様のことよ。婚約破棄されたの! あなたが何か言ったからでしょう?」
「し、知りませんわ、そんなこと!!」
「嘘おっしゃい!!」
アデリッサ様は再び手を上げたが、今度はミーナが腕を掴んで事なきを得る。
いくら威勢がいいお嬢様も、戦闘訓練を積んでいるミーナには敵わないのだ。
ミーナが手を離すと、目にも留まらぬ速さで後退る。
「知らないなんて言わせないわ! レイナート様は私の実家にまでやってきて、わざわざ婚約を断ったの。それも、あなたが指示したのでしょう!?」
「だから、知らないと言っているでしょう」
「あなたはこのあとレイナート様と結婚して、私を見下すつもり?」
「結婚なんていたしません。そもそも、わたくしは明日からフランツ・デールに行く予定ですから」
私が屍食鬼がはびこる前線に行く話は知らなかったのだろう。瞳を大きく見開き、信じがたいという視線を向ける。
「レイナートと結婚を約束した者が、フランツ・デールになんか行くわけがないでしょう?」
「で、でも、そんなことをして、レイナート様の気を引くつもりではないの?」
「戯れ言はおよしになって。どこの誰が、結婚のために命をかけるというのですか」
返す言葉が見つからなかったのだろう。アデリッサ様は悔しそうな表情で、唇を噛んでいる。
「アデリッサ様も、結婚の予定がなくなったのならば、フランツ・デールにご一緒しませんこと?」
「じょ、冗談ではないわ! 結婚の予定がなくなったわけではないのよ。相手がレイナート様じゃないだけで」
アデリッサ様は苦虫を噛み潰したような表情で、ある情報を提供する。
「あなたがフランツ・デールに行くから教えてあげるけれど、レイナート様は昔から想いを寄せる大切な人がいるのよ。あなたなんて、眼中にないんだから!」
「あら、そうでしたの」
思っていた反応を得られなかったアデリッサ様は、無言で去って行く。
出発前に、とてつもない嵐に遭遇してしまった。
その後、叩かれた痕はミーナが冷やしてくれた。
「レイナートはアデリッサ様のご実家に結婚前の挨拶に行ったのではなかったのですね」
「ええ、驚きました」
これ以上ない良縁だというのに、どうしてレイナートは断ったのか。想いを寄せる相手に操を立てたつもりかもしれないが、立場がある者の結婚はそもそも愛情が伴うものではないのに。
謎でしかない。
「まあでも、わたくしには関係のない話ですから」
相手がアデリッサ様でなくても、レイナートは誰かと結婚する。
どこかにいるであろう想い人と、いつか幸せになるのだ。
これ以上、彼の縁談話を聞きたくないので、ここを去る判断を決めたのは正解だった。
そう、自分に言い聞かせる。




