複雑な乙女心
「改めて、レイナート、よろしくお願いいたします」
「こちらのほうこそ、ヴィヴィア」
レイナートがヴィヴィアと呼ぶと、彼はなんら変わっていないように思えるから不思議だ。
けれども、依然としてレイナートが私を見る目は冷たい。
目と目が合うたびに、彼は変わってしまったのだと落胆してしまう。
見ず知らずの他人だと割り切れたらいいのに、幼いころから抱いていたレイナートへの想いが悲鳴をあげているのかもしれない。
彼との思い出はどれも美しく、かけがえのないもので……。それゆえに、手放せないのかもしれない。
スノー・ワイトは大きく欠伸をすると、私の膝へと跳び乗る。
家猫より一回り大きいので身構えたが、想定していたほどの重さは感じなかった。
顎の下を指先で撫でると、ゴロゴロ鳴く。頭をよしよしと撫でているうちに、眠ってしまったようだ。
「ヴィヴィア、彼は猫妖精ですので、過剰な接触はしないほうがよいかと」
「あなたは、わたくしがすることすべてが気に入らないようですわね」
「そんなことは――」
「ありますわ」
行動のひとつひとつが癇に障るのならば、護衛を辞退すればよかったのに。
命令を断れなかったのは、枢機卿との力関係が原因なのだろう。あの仕事量から推測するに、枢機卿に弱みでも握られているに違いない。
私たちはこれ以上、一緒にいないほうがいいのだろう。私もレイナートの言動に傷つかなくてもいいし……。
個人的な感情には蓋をして、本題へと移る。
「本日の予定ですけれど、午後から養育院の訪問を考えていますの。午前中は差し入れる蒸しパンでも作ろうと思いまして」
「あなたが料理をするのですか?」
「ええ」
料理なんてできないと思っていたのだろう。レイナートは目を見張り、珍しい虫を発見したような視線を向けていた。
物心ついたころから、慈善活動は行っていた。しかしながら、差し入れはいつも侍女が購入した物をそのまま手渡していたのだ。
その品を手作りしようと思い立ったのは、レイナートが王宮を去ってから。
彼がいなくなることによって心が空っぽになった私を、癒やしてくれたのは養育院の子どもたちで――私が彼らを励まさないといけないのに、逆に励まされたのだ。
養育院の子どもたちのために、これまで以上に何かしたい。
そう思い立ち、ミーナに相談したら手作りのお菓子やパンを作るのはどうかと提案してくれた。以降、彼女と一緒に料理を習い、今ではさまざまな料理が作れるようになったのだ。
購入した物から手作りになっただけで、子どもたち側からしたら微妙な変化かもしれない。むしろ、お店で売っているほうがおいしいだろう。
自己満足だと思っていたのに、手作りお菓子は思いのほか好評だった。
なんでもお店のお菓子は味わいがこってりしすぎて、口に合わなかったらしい。
私が手作りしたお菓子はあっさりした味わいで、こちらのほうがおいしいと評判だった。
毎回、子どもたちは私の差し入れを楽しみにしてくれている。
だから、今日はなんとしてでも養育院を訪問したかったのだ。
「今後、行けなくなるかもしれませんし」
「それは、枢機卿と結婚するからですか?」
なぜ、そこと繋がるのか。頭が痛くなってきた。
王女として暮らしていたときは、私の行動に文句を付ける人なんていなかった。けれども今は、大聖教会に身を寄せる身。いつ、奉仕をするようにと命令が下るかわからない状況である。
別に、枢機卿との結婚を意識した行動ではないことだけは確かだ。
それを説明するのも面倒なので、ため息を返すばかりである。
「ひとまず、レイナートは午後からの護衛を頼みます。お願いはそれだけです」
レイナートは何か言いたげだったが、下がるように強く言うと部屋から去っていく。
扉は大きな音を立てて閉ざされた。不服だと言わんばかりである。
「物に当たるなんて、なんて乱暴な」
私の呟きを聞いて、スノー・ワイトが目を覚ます。
にんまりと口角を上げながら、レイナートの行動について解説してくれた。
『彼、反抗期なのよ。親に反抗したくなる子どもみたいなものだから、気にしなくてもいいの』
「わたくしはレイナートの母ではありませんのに」
レイナートは何かに対して猛烈に腹を立てている。
それは私が大聖教会にやってきた件かもしれないし、枢機卿との結婚を了承した件かもしれない。
冷静になって話し合いたいと思いつつも、レイナートを前にしたらついつい生意気な口を利いてしまう。
「どうしたらいいのでしょう?」
『仲直りしたいの?』
「……」
それに関しては、よくわからない。
仲直りしたとしても、今の私は昔のようにただただレイナートと一緒にいたら幸せ、という立場にはいない。
彼はいずれ結婚する。そうなれば、悲しみに打ちひしがれるのかもしれない。
このまま仲違いしたままで、レイナートの結婚を見送るほうがいいのではないか。なんて思う瞬間もあった。
少し、レイナートから離れたほうがいいのかもしれない。
傍にいるから喧嘩してしまうし、冷静になれないでいるから。
礼拝の時間を知らせる鐘が鳴り響き、ハッとなる。
考え事をしている場合ではない。養育院の子どもに差し入れる蒸しパン作りに取りかからなくては。




