やはり反発してしまうふたり
「なっ、王女殿下、どうしていきなり?」
「扉の向こうから声をかけても反応がなかったので、直接やってきたまでです。ねえ、ミーナ?」
「はい」
そんなことよりも、この書類の山はなんなのか。
ちらりと横目で見たところ、枢機卿に向けた決裁であることに気づいた。
「まあ! どうしてあなたが、このお仕事をされているの?」
枢機卿の傍付きを務める聖騎士の仕事ではないだろう。そう指摘したら、レイナートは黙り込む。
おそらくであるが、枢機卿に押しつけられているのだろう。
何か弱みでも握られているのか。謎が深まる。
問いただしても答えないだろうから、先に目的を果たす。
「食事を持ってまいりましたの。召し上がったほうがよろしくなくって?」
「いえ、今はいいです。その辺に置いておいてください」
「温かいうちに召し上がりませんと」
ミーナは執務机に広げられた書類をてきぱきと撤去していく。私は手押し車に置かれた料理をレイナートの前に運んだ。
料理の保温効果がある半円状の銀蓋を外すと、メインの肉料理が出てきた。
やはり、パンとスープのみなのは私たちだけだったようだ。その辺だけは、ホッと胸をなで下ろす。
肉料理の他に、焼きたてのパンや野菜のテリーヌ、ポタージュなどが用意されていた。 カトラリーを並べ、水差しからグラスに水を注ぐ。
給仕をする間にレイナートが何度も「あなたがそのようなことをする必要はありません」と訴えていたが、無視して進めた。
「さあ、どうぞ。召し上がれ」
「……」
眉間に不愉快だと訴える皺が大集合していた。自分のペースがあるので、乱されたくないのだろう。
「ここまで準備したのですから、片付けて再度仕事をするほうが非効率ですよね?」
「そうですが、食欲がないのです」
「どこか具合が悪いのでしょうか?」
レイナートの顔を覗き込み、額に手を添える。
平熱――と思った瞬間、手首を掴まれて押し戻された。
「な、何をするのですか!?」
「何って、熱がないか調べただけですけれど」
「異性にそのような行為を働くなんて、はしたないです!」
相手を心配し、取った行動ですらレイナートにとっては慎みがないように感じたようだ。
「お兄さまが、食欲がない晩は体調を崩しがちだったので、気になっただけです。礼儀に反したように見えていたのならば、謝ります」
レイナートはハッとなり、少し泣きそうな顔で私を見る。勘違いだったと気づいてくれたのだろうか。
けれども遅い。
私は彼の耳元で、「申し訳ありませんでした!!」とハキハキ述べた。
「あ、あなたという女性は!」
「慎みは王位継承権と共に返してきましたの」
「は?」
「わたくし、もう王女ではありませんわ」
「どうして、そのようなことをしたのです?」
「枢機卿と結婚する可能性がありましたから。もしも子どもが生まれたら、面倒なことにもなりますし」
レイナートの眉がピクピクと引きつる。あれは本当に怒っている表情だろう。
少し話せたら、なんて思っていたが、今は冷静に会話できるような状況ではない。
今日のところはひとまず撤退しよう。
「もう遅いですから、また今度ゆっくりお話ししましょう」
「待ってください」
地を這うような低い声で引き留める。踵を返してしまったのでそのまま帰りたかったが、しぶしぶ振り返る。
「何か?」
「あなたは本当に、枢機卿と結婚するのですか?」
なぜ、引き留めてまでその質問をしてくるのかわからない。
けれども、私が結婚することによって内戦が引き留められるのであれば、するしかないのだろう。
ええ、とシンプルに言葉を返したら、レイナートの眉がわかりやすいくらいキッ! とつり上がった。
「あなたは何もわかっていない」
その物言いに、私はカチンときてしまう。瞬時に浮かんだ言葉を、深く考えずに口にしてしまった。
「わかっていないとしても、説明もなくいなくなったあなたに言われたくありません!」
レイナートに背を向け、カツカツと大きな足音を立てながら部屋をあとにする。
ミーナが扉を閉め、鍵をかけた音でハッと我に返った。
「わたくし――レイナートに怒鳴ってしまいましたわ」
「仕方ないですよ。バルテン卿も喧嘩腰でしたから」
頭を冷やそう。そう考えていたのに、ミーナがちょうどいいからとお風呂の準備を始める。
魔法仕掛けの浴槽で、呪文を指先でさすっただけでお湯が満たされた。
「では、お召し物を」
「え!?」
レイナートが壁一枚隔てた場所にいる状態でお風呂に入るなんて。
わかっていたのに、なんだか恥ずかしくなってしまう。
「あ、あの、ミーナ、今日は一緒に入りましょう」
「お風呂に、ですか?」
「ええ。この浴槽、大きいですし」
ひとりだったら耐えきれないけれど、ふたりだったらなんとか耐えきれる。
突然の申し出にミーナは戸惑っていたが、耳元で「レイナートが隣にいると思うと、恥ずかしくて」告白する。
「ああ、なるほど。そういうわけでしたか。でしたら、ご一緒させていただきます」
そんなわけで、私は生まれて初めてミーナと入浴した。