99話 宴会
太陽は沈んでいき、そろそろ夜になろうとしている。廃墟となっているこの地域はいつもなら真っ暗闇となって、星空の明かりだけが頼りとなり、歩くこともままならない世界となる。
いつもなら。人々は夜の訪れと共に、今日という日を生き延びたことに胸を撫で下ろし、明日は大丈夫だろうかと不安を胸に抱えて就寝する。
少し前の廃墟街の人々はそんな暮らしをしていた。
今日からは違う。一つのビルが灯りを煌々とつけて光り輝いている。暗闇の中で明るく光り、周囲からは希望の光のように見えている。
輝いているとは言い過ぎかもにゃと、花梨は大騒ぎのビル内を見渡しながら苦笑した。半年で随分と様変わりしている光景だ。
天津ヶ原コーポレーションとは銘を打ってはいるが、この間までは、玄関ロビーは汚れており、ゴミと瓦礫だらけ。ドラム缶に木切れが放り込まれて、ビル内で燃やされていた。そんなボロボロの廃墟ビルだったのだ。
それが今やピカピカに床は磨かれて、壁も綺麗になり、ゴミも瓦礫もない。階段にはバリケードが置かれており、そう簡単には階上には行けなかったはずなのに、今は何もなく気軽に人々は階段を登っていた。
花梨は少し離れた人気のない場所で、その光景を眺める。
エールを片手に、肉をもう片方に持ちながら。ワイワイと陽気に人々は歩き回っている。壁際にはたくさんの料理が並んでおり、尽きることはなさそうだ。
「カンパーイ!」
「電灯に!」
「天津ヶ原コーポレーションに!」
何回やっても、誰かがまた乾杯と叫び、ガシャンと銅でできたコップが音をたてる。酒樽は大量に用意されており、タダ酒を飲みまくっているので、明日は二日酔いの連中が大勢発生するのは間違いない。
「俺、この鶏のもも焼きもーらいっ!」
「野菜も食べないと駄目だよ!」
「ケーキは野菜に入るんだっけ〜?」
子供たちが走り回り、大皿から料理を次々ととっては、笑顔で食べている。ジャンジャカとギターを持つ者がうるさく音楽をかき鳴らし、早くも酔ったのか肩を組んで大声で歌う者たちもいた。
「幸せそうだにゃ〜。廃墟街でこんな光景が見られるとは思わなかったにゃん」
内街では、こんなにあけすけな笑顔で楽しむ人々はいない。外街にはいるだろうが、それでもここの人たちの方が幸せそうだ。きっとどん底を知ったからこそだろう。
走り回る子供たちを見て、自分があの歳の頃はどうだったかと思い出す。3、4年ぐらい前の頃は。
だが、思い出すのはろくな記憶ではなかった。正直、思い出したくない。
「あの頃は弱かったし、お金もなかったしにゃ」
軍学園にも入れない、ぎりぎりの生活をしていた花梨は外街へと堕ちたくないと、困窮しているのに無理をする両親の下で生まれた。
内街の最低年収は800万円。それを下回れば、外街へと落とされる。上層階級なら、鼻歌を歌う間に稼げる金額だが、花梨の両親は伝手もなく、さりとて儲けるための才覚もなく、ぎりぎりの稼ぎであった。
内街は稼げる才覚のない者には極めて冷たい世界なのだ。
花梨が生まれて、ますます両親は困窮した。学校もただではない。それどころか、かなり高額だ。
そうして蓄えも尽きそうな時に弟が生まれて……花梨は小さい頃から、『猫化』のスキルを使い金を稼ぐこととなった。
どのように稼ぐかと言うと……スキルを使いダンジョン攻略時の偵察をすることである。花梨の鋭敏な感覚はゴブリンダンジョンレベルなら、簡単に敵がどこにいるか感知できて、敵から隠れることもできたのだ。ゼロレベルでも、獣人スキルは有用ということだった。
「花梨。私たちの一門は今は困窮しているが、今に復興するからな」
「弟が成人するまでよ、花梨」
見かけだけは小綺麗で、エリートぶっている両親。弟がどうだと言うのだ。今稼いでいるのは花梨なのだ。両親は軍人になれば良かったのだ。そうすれば困窮せずにすんだのに、最低レベルの軍人だって、年収は2000万円は貰えるのに、死を怖がって、そして自身の家門が昔は栄華を誇っていたと、事あるごとに語り、軍人になることはなかった。尉官待遇からなら考えても良いと言っている時は、何を言っているのだと呆れたものだ。
笑顔でダンジョンに潜らせる両親に愛情どころか、殺意すら覚えたが、保護者が必要な歳だ。成人したら絶対に一人暮らしをすると固く誓い、決意する一方では度重なるダンジョン攻略で生き残れる可能性は低いとも思っていた。
ダンジョン攻略の金は良い。困窮した我が家にとっては。軍人もそうだ。金持ちの中の金持ちである上層階級には端金だとはいえ、下層階級には大きい。魔物との戦闘で死ぬ可能性がもっとも高いのが軍人だからだ。
その中でもダンジョン攻略に向かう兵士は特に給料が良かった。そして、子猫には厳しい場所であった。共にダンジョン攻略に向かうメンバーは自分を大事にしてくれた。一番死ぬ可能性の高い斥候役だ。そして、自分たちの命運を決める者でもあるのだ。
イジメでもして、斥候に手を抜かれたり、逃げられては困るのである。子供であるのに、ダンジョンに潜ってと、哀れにも思われた。
総じて良い人たちではあった。ダンジョン攻略のたびに、面子が少なからず変わってゆくのを除けば。
しかし、それ以外の軍人はクズであり、特に一般の二等兵たちは花梨を蔑みの目で見て、事あるごとに嫌味を言い、すれ違い様に蹴ってきたりしてきた。ようは子猫がダンジョン攻略により、自分たちよりも稼いでいるのが、気に食わなかったのである。それならば、ダンジョンに潜ることを志願すれば良いものを、それは忌避していた。臆病者たちであったのだ。
だが、そんな日々は唐突に終わった。その日は新たなるダンジョンの探索に向かった時である。
まだ年若い少女であるのに、唯一無二のスキル『鑑定』を持ち、画期的なアイテムを売り出した神代セリカがダンジョン攻略についてきたのだ。
周りは疎んでいたが、それでもお偉いさんに目をかけられているセリカを無下にはできず、本来ならばダンジョン攻略にはついてこない兵士たちも共に護衛として来て、攻略を始めた。
だが、臆病風に吹かれたのだろう。何度か花梨の代わりに斥候役を買って出ては、虚偽の報告をしていた。曰く、多くのゴブリンが、この先にいるとか、レッドキャップが湧いていて危険だとか。
その時の花梨の真偽看破スキルはレベルゼロ。しかし、少しだけうなじがチリチリとして気持ち悪かったので嘘をついているとはわかっていた。
そして、セリカは虚偽の報告を受けても気にせずに進軍をして、ゴブリンキングまでの道のりを踏破して、キングを倒してコアからあっさりとスキルレベル1アップポーションを手に入れていた。
才媛とはいるものだなと感心していたら、花梨に近づきにこやかなる笑みで聞いてきた。
「ねぇ、君はうなじを擦るときがあったよね。もしかして……」
虚実看破を持っているのかい? と。
驚く花梨にセリカは、やっぱりねと喜びの笑みで頷き、花梨のスキル構成を聞いてきた。素直に告げると、その構成はなかなか良いねと呟いて
花梨を拾ってくれたのだ。
以降はあれよあれよと花梨の立場は変わった。
「僕と契約して、魔法諜報員になってよ!」
と、輝くような笑みで告げられて、契約した。途端にスキルレベルアップポーションを買い付けて、花梨の猫化、暗器を3に、虚実看破を2まで上げてくれた。ステータスアップポーションもくれて、短銃如きでは負けない力を手にした。後の話になるが、1か月前に防人との取引が始まると猫化、暗器は4に。虚実看破を3にまでさらに上げてもらった。
そうしてスキルが3になったことから、佐官にまで引き上げられて待遇は変わった。保護者も必要なくなった。セリカが後ろについてくれたので。
にこやかに佐官になったと両親に告げると、風魔という名字を名乗ることにしたと告げて家を捨てた。あとのことは知らない。外街に堕ちたかもしれないが特に気にすることはなかった。
セリカからはその代わりに廃墟街を調査する諜報員にさせられたときは驚いたが、ダンジョン攻略よりはマシだ。遥かにマシだ。
廃墟街の人々は、腕っぷしだけが物を言う世界。食うや食わずの悲惨な世界だが、虚飾に満ちている内街よりもマシであったし、大恩あるセリカのためだ。
わかりやすい弱肉強食の世界でもあり、上役や金持ちの目を気にせずに行動できたので気が楽だった。取引でぼったくりをしても、弱肉強食の世界なのだ。気にすることはなかった。
「そのはずだったんだけどにゃぁ〜。防人はやりすぎにゃ。こんなに幸せそうな人々を見たら罪悪感が湧くにゃん」
弱肉強食の世界だからこそ、気にせずに自由に生きてこられたのに、今は弱肉強食ではなくなっている。死体から身ぐるみはいで、隣人の食べ物を盗み取り、嘘をついては人を陥れる世界ではなくなったのだ。
嬉しくもあるが、これまでやってきたことに罪悪感を持ってしまうと、花梨は頰を膨らませて愚痴る。
「珍しいな。猫が罪悪感とは人並みの感情を持ったのか」
陽気に騒ぐ人々を眺めていると、横から声がかけられてきたので、顔を向ける。聞き慣れた男の声だ。廃墟街を復興させている男、天野防人だ。手に肉串をいくつも持って、花梨へと飄々とした表情で近づいてきていた。
「あちしもセンチメンタルになる時があるにゃ」
「そりゃいよいよ珍しいな。腹が減っているんじゃないか? そこのおばちゃん連中に貰ったんだ。ほら、食え食え」
ニヤリと悪戯そうに笑うと肉串を手渡してくるので、受け取ってかぶりつく。焼き立てであり、結構熱くて、ほふほふと息を吐く。
「で、どうしたんだよ? おっさんが相談に乗ろうか?」
「……最近の廃墟街は弱肉強食の世界ではないから、自分のやっていることに少しだけ罪悪感を持っただけニャンよ」
素直に言うと、防人はキョトンとしたあとに、ゲラゲラと笑い始めた。むむ、失礼な男にゃん。
「変なことを言ったにゃん?」
「んにゃ。今さらぼったくりの取引とかに罪悪感を持ち始めたのかよ」
「そうにゃん。防人も内街の物価がわかったニャンね? じゃが芋の値段見たにゃ?」
皮肉げに口元を曲げると防人は笑いを止めて、また肉串を手渡してくる。
「別に良いんじゃねぇの? あの時は伝手はお前しかいなかったし。人脈ってのは値段がつけられないもんだし、俺なら罪悪感を持たないね」
あっさりと言う防人の顔を凝視する。本当にそう思っているのは、その表情から明らかで、拍子抜けしてしまう。
「……そんなもんかにゃぁ?」
「そんなもんだ。この光景は花梨が作った世界でもある。良かったな、弱肉強食の世界ではなくなって」
むぅと、ニヤニヤと笑う防人を睨むが、
「なんか気が楽になったかもにゃ」
罪悪感が多少薄れる。そうなのだとしたら嬉しいことだ。
「そうだよ。だから宴を楽しんでこい。ほら、肉串でも食って」
最後の肉串を手渡してくる防人にジト目で返す。
「防人………もしかして、この肉串を押し付けることができる奴を探していなかったにゃ?」
「ん? いや、子猫が寂しそうにしてたからな」
そっぽを向いて、とぼける防人。
「絶対に嘘にゃ!」
防人が燻製肉を嫌いなのは知っている。なので、ふしゃーと文句を言って、じゃれながら花梨は宴を楽しむことにしたのであった。
文明の灯りのもとで、夜は人々の喜びの声と共に更けていった。




