93話 取引
平家の次女、平コノハは疲れ切って、キングサイズのベッドにダイブした。ふかふかの感触が眠りを誘い、うつらうつらと眠りの世界にコノハを誘う。
ようやく自宅に帰ってきたのだ。すこし、ファンシーな部屋な感じの30畳はありそうな自分の寝室だ。
毛足の長いふかふかの絨毯が敷き詰められて、上品な装いの調度品が並ぶ中で、うさぎや狐のぬいぐるみが転がっており、壁に取り付ける形で大きなサイズのテレビが設置してある。コノハは可愛らしい物などが好きな普通の女子高校生なのだ。
冷蔵庫にテーブルと椅子。ソファも置いてあり寛げるようになっている。電気式ポッドやカップの入った棚もあった。
「あぁ〜、疲れましたわ……。あいつら、わたくしをいつまで事情聴取するつもりだったのかしら、まったく酷い話よね」
ゴロンと転がって、窓から外を見る。もうすっかり暗くなり、時計の針も22時を回っていた。
たった今事情聴取を終えたわけではない。終わったのは19時を回ったぐらいで、食事やらお風呂に入ってパジャマに着替えたら、この時間となったのだ。
「事情聴取をしたのは源家の派閥ですから。道化の騎士団のことを根掘り葉掘り聞いてきましたね」
うんざりとした口調で、ソファに座りメイドがホットミルクを飲んでいるのが目に入る。あら? あれはわたくしのために持ってきたのではなかったのかしらん。
「道化の騎士団の事情聴取もしたいから、呼び出すようにって、しつこすぎですわっ! わたくしがコンタクトをとれるなら、とっくにしていますっての」
ボフンとベッドを殴って愚痴を言う。源家の軍人はレイのことがかなり気になったようで、執拗に会わせるように要求してきたのだ。隠された部隊の正体を知りたいと。そのせいで帰るのが遅くなった。お母様あたりが手を回してくれたのか、ようやく帰宅できる時には、意趣返しのために、悔しそうな顔をしている奴らに、フフンとせせら笑いを見せてしまったほどだ。
「それは大変だったようですね。お疲れ様です」
聞き慣れぬ声が部屋の隅から聞こえてきて、慌ててベッドから起き上がる。メイドはドラグーンとの戦いで盾を壊しており、代わりにわたくしのお気に入りのうさぎのぬいぐるみを盾にした。盾にはならないから、やめてほしいのだけど。
声のした先には、顔の半分を銀の仮面で覆った少女が立っていた。小柄な体躯の少女は、薄っすらと口元を笑みに変えている。
コノハはひと言嫌味でも言ってやろうかと、ベッドを降りて……口を噤んだ。昼にあった時と雰囲気が違う。仮面をつける前の平凡なぼーっとしていた少女でもなく、さりとて、ドラグーンを倒した時の、アホっぽい明るそうな雰囲気とも違う。
冷徹で冷酷。小柄な可愛らしい姿とは違い、周りの空気が凍りつくような雰囲気を醸し出している。
演技だったのだと悟る。昼間の姿は全て演技だったのだ。周りに宣伝するための演技。アホっぽく快活な可愛らしい少女。そんな演技をしていたのだ。今、わたくしが下手に口を出せば殺される。そのことを本能的に理解して、ブルリと身体を震わす。
「箱入り娘なのですね。ですが、少し困ります」
そう言うと、少女は人差し指を突き出して
『闘気連弾』
数十発の小さな闘気弾を放った。紅く光る闘気で形成された弾が部屋の壁や天井、コンセントなどを砕いていく。小さな音がして、わたくしのぬいぐるみをも破壊していった。
埃が舞い綿が飛び散り、木片が床に落ちていく。その中で小さな黒い機械がバラバラとなって砕けていくのを見て、なにをしているのか理解した。
「こんなに盗聴器が?!」
思わず叫ぶほど、その機械は多かった。そして、空間自体が歪み、バンと音がして弾け飛んだ。
「スキルによる監視もあるとは大事に思われているんですね、平先輩は」
クスリと笑う少女の言葉に、今のがなにか理解した。監視系統のスキルが使われていたのだ。
「監視系統スキルなどバレバレです。『覗眼』は、悪目立ちするほどにはっきりと空中で光るので、マナ感知をできる人は見えるんです。先程の人、盲目にならなければ良いのですが。結構痛かったはずです」
何でもないふうに言う少女だが、だからこそはっきりと理解した。この少女は強いと。監視系スキルにも気づくとはどんなスキルをいったいいくつ持っているのだろう。
わかる。理解できる。この娘は戦闘センスも高い。わたくしが倒そうとしても、あっさりと殺されるだろう。
「ナイショ話をしたいのですが?」
「そろそろ就寝のお時間ですね。それではおやすみなさい、お嬢様」
ちらりと仮面の少女がメイドを見ると、恭しく頭をわたくしに下げて、メイドはそそくさと帰り始めた。この娘はわたくしの護衛ではなかったかしら。
「大丈夫ですよ、お嬢様。彼女は私たちをあっさりと殺せる力を持っています。殺そうと思えば殺せるのです。では、パジャマパーティーを楽しんでくださいね」
悔しいが、言いたいことは理解できる。ここで下手に残ったほうが、メイドは排除されるだろう。引き留めたいが、引き留めることはできない。
嘆息交じりに、メイドが去っていくのを見送って、わたくしは仮面の少女に向き直る。
「たしかお名前は、レイ。そうだったかしら?」
「そう。安心して。私は一人目だから」
「は、はぁ? 一人目?」
他にも騎士団の団員はいるという暗喩かしら。
「冗談です。昼の契約内容は覚えていますか?」
フッと口元を曲げて少女が聞いてくるので頷き返す。
「貴女の持ち込むアイテムを買い取る。違法な品や盗品はなしで。そういう約束でしたわね」
「覚えていてくれて嬉しいです。では、まずはこれをどうぞ」
なにかキラリと光るものをレイが投げてくるので、慌てて受け止めると、それは小さなガラスの小瓶だった。チャポンと中身の赤い液体が揺蕩う。
「これはなんですの?」
「スキル3レベル50%アップポーションです」
何でもないふうに答える少女の言葉にぎょっと驚き、危うく小瓶を取り落としそうになってしまう。
す、スキルレベルアップ? しかも3レベルになるのに必要な経験値を50%も手に入る物? わたくしは見たことすらない! かなりの脅威度を持つダンジョンの中に入って攻略しなくてはならないはずだ!
本物なのかと小瓶を見つめるが……本物っぽい。ガラス瓶が仄かに光っているからだ。
「たしか10%アップは1億円であったはず。それは5億で売れますよね?」
「なっ! そんなのは暴利ですわ! スキル3レベル10%アップポーションは5000万円がいいところのはず」
思わずその値段の高さに抗議の声を上げると、人差し指を顎に添えて、なるほどと頷く。
「では、幾らで買い取ってくれますか?」
「そ、それは……その……さ、3億? でも手持ちは1000万円ほどしか、今はありませんわ」
50%アップポーションという希少価値を加味すると3億……ううん、もっと高いかしら。
アイテムの買取。そう言っていたが、ここまで貴重な物を持ち出してくるとは思わなかったし、契約したのは今日だ。そんなに現金はない。
「そこは気にしてないです。本物かどうか試す必要もあると思いますし。本物とわかったら支払いをお願いしますね」
「っ! ですが、わたくしが裏切って、支払わないかもしれませんよ? 偽物だと言うかもしれませんし」
わたくしのセリフに、つまらなそうに少女は肩をすくめる。
「それならそれでよいかと。貴女との契約は破棄されます。ただそれだけですので」
その場合は諦めると、簡単に、あっさりと、平然と答える少女に啞然としてしまう。嘘やハッタリではない。本当にそうするつもりなのだと、なんとなく少女の態度で理解できた。
希少なるポーションを、缶ジュースの代金でも諦めるように、手渡しても惜しくはないというふうに。
この少女ならば、簡単にこのポーションは手に入るのか? いや、騎士団と言っていた。複数の凄腕の戦士からなる集団なのだろう。
きっと、他の人に取引を持ちかければ、相手は諸手をあげて歓迎するのは簡単に予測できた。
じわじわと、自分に好機が転がり込んできたことを実感する。幸運がこの手にあるのだ。
相手はきっと、わたくしが平家の中でも弱い立場だと理解してコンタクトをとってきたのだ。権力を欲しがり、財力はあるが使えない。そんな人物を探していたのだ。
顔を俯けて、この幸運に笑ってしまう。
「わたくしの騎士団。団長はわたくし、平コノハでよろしいのですね?」
「そうです。秘密主義の団員たちは姿をなかなか見せないとは思いますが」
「……そうですの。それでは、わたくしがお願いをしたら多少の無茶はしてくれますの?」
「違法なことでなければ。それと、あんまり無茶な仕事はボーナスを求めますが」
ふむと、考え込む。内街の権力闘争は激しく、魑魅魍魎が蠢く。民主主義を標榜してはいるが、誰も彼も建前だと割り切っている。なにせ選挙権は上層階級だけに許されているのだから。
だが、わたくしは上層階級。この名前は未だ価値がある。根回しをして、少しずつ権力を持とうとすれば?
まだわたくしは子供だ。学生なのだ。そして卒業を前にする清お兄様は学園から去る。まずは学園で当然の地位を取り戻せるかもしれない。社会の縮図ではあるが、1つ違うところがある。
それは力を持つ者が尊敬されるということ。子供じみた考えだが、スキルという力が子供たちを視野狭窄に陥らせている。自分も子供だけど。
その中で、強者を次々と倒していけばシンパも増える。卒業後に少しばかり有利になるかもしれない。
レイがなにを考えているのかはわからない。私を傀儡人形のように操るつもりなのかもしれない。構わない。どうせこのままだと浮上できずに、マリアナ海溝にでも沈む運命だ。
あとのことはあとのことで考えれば良い。
「あ、学園での戦闘はよほどのことがない限りしないので。私の正体もバレる可能性ありますし。だいたい騎士団を子供の試合に参加させる人はいないですよね?」
「エェッ! わたくしの成り上がり伝説は?」
「効果的に使うんです。騎士団の名前を。噂を広め、その力を見せつけるんです。そして私の持ち込むアイテムを上手く権力の足がかりに使用してください。ご希望なら訓練をつけてあげますよ? 学校のお遊戯程度ならトップをとれます。ただし相手は死にます」
レイの告げる言葉にがっかりしてしまう。スパルタらしい。殺人の技は必要ない。そんな人物のシンパになる人なんか怖すぎるわ。
「それじゃ、時折ポーションが欲しいわ。それとダンジョンでの戦闘も手伝ってください」
「良いでしょう。契約はなりました。貴女は道化の騎士団団長、平コノハです」
「通信は? どうやって?」
「そうですね。そこの姿見にでも、会いたい日時を書いておいてください。近日中に訪れますので」
アナログなのねと思うが、きっと足どりを探らせないために違いない。わかりましたわと、答えようとして
「いない?」
目の前にいたはずの少女は影も形もなかった。最初からいなかったかのように。




