88話 検証
浅草にある雑居ビル。築30年は経過していそうなビルだ。内街でも、中層階級と下層階級の住人が住む境目にあるそのビルは外壁は塗り直されて、建築業者により内部も修復されており、新築とは言わないが、建ち並ぶ周りの古い建物の中では少しだけ浮いていた。
浅草通りは電車が走り、昔の名残で倒れたタワーがある。解体することもなく放置されている。ダンジョンの魔物の攻撃で折れてしまったのであるが、修復は不可能で再建する予定は延び延びとなっていた。
やんちゃな子供たちが鬼ごっこでもしているのか楽しげに走り回り、おばちゃんたちが最近の噂から政府のニュースまで、様々なお喋りをしている。外界から隔絶されている平和な世界がそこにはあった。
だが、そんな人々が今は小綺麗な雑居ビルを遠巻きにしている。なぜならば、雑居ビルの前にリムジンが5台停車していたからだ。高級車であるリムジンが5台。車の外見からは全く見分けがつかず、複数人の黒服スーツの男たちがその周囲に立っている。一目で鍛えられていると、その体格からもわかる護衛たちが、自動小銃を隠さずに構えて警戒していた。
見る人が見ればわかる。同じリムジンを用意しているのは、どの車に護衛対象が乗っているかわからないようにだと。それを示すように、そのリムジンは対戦車砲を受けても、魔法攻撃にさらされても、ビクともしない魔法合金製で製造されているとわかる魔法の光を仄かにその車体から光らせている。
即ち、ここの人間が会ったこともない雲の上の人物がここに来訪していることがわかるだろう。
その雑居ビルは15階。ビルの入居者はただ一社。神代研究所とビル名はなっている。その10階は全ての壁が取り払われて広々としたフロアとなっており、様々な機械や道具が置かれており、ビニールハウスのような小さな隔離されたブロックもあった。
そこにはプランターが設置されており、真っ赤な花が何輪も咲き誇っていた。
その花々を見ながら、源風香は不思議な花だなと、そして朝顔みたいですねとも思っていた。
金髪碧眼の美しい顔立ちの少女。笹のような長い耳をもつ『エルフ化』スキルを持つ、東京でも御三家と呼ばれる力を持つ一門の内の1つ。源家の娘である。
「どうですか? 僕の手にかかればちょちょいのちょいってもんです。咲き乱れていますよね? 少しばかり育生に苦労はありましたが」
フフンと得意げに胸を張るのはアルビノの美少女神代セリカだ。天才の名をほしいままにする彼女は、様々な画期的な品物を発明している。
最近、研究所を手に入れて、元諏訪氏の警備会社を持った。外街の一部の物流を支配する組合の組合長に、自分が雇い入れていた神代鉄工所の人間を送り込んで、資産も殖やしていた。
研究員も順調に揃え始めており、今もっとも上層階級の間で話題になっている成り上がりの少女だ。
とはいっても、自分たちも成り上がりですけどと風香は内心で苦笑してしまう。ほんの20年そこらの成り上がりだ。
風香の前には腕を組んだ中年の男が立っている。父の源九郎。陸軍を統括して、強大な武力、財力、政治力を併せ持っている。市井の人々にとっては雲上人とも言われる男。
「さすがは神代博士だ。で、この花の効果はどのようなものだ?」
「ハゲも治りましたし」
「茶々を入れるな、風香!」
ふさふさの髪の毛に肌は潤いを取り戻し、体躯もメタボから腹はへっこみ健康的な姿へと父親はなっている。だが、それも昨日までだ。父様は母親に祝福の酒杯を奪われたので、後はどれだけその身体を維持できるかだろう。髪がフサフサになったらどんなアホでも気づく。魔法の育毛剤の力だと言い訳をしていたが、健康になりすぎたのだ。
「風香、ちゃんと話を聞け! 貴様は全然役に立ってないだろ!」
「あの少女がどうやっても見つからないんです。怪しい娘は何人も見つけているのですが、これはという証拠がないので、ハゲからフサフサになった父様」
「少女?」
「気にしなくとも良い。それより説明をしてもらおうか」
少女という言葉に、神代さんがにこやかな無害そうに見える笑みで小首を傾げて尋ねてくるが、その問いに父様はしれっとした顔で話を戻す。
少しばかり余計なことを言ってしまったと、風香は口を噤む。今のは他人には聞かれたくない内容だった。
「わかりました。これは最近コアストアのラインナップに加わった春の花。この花々は簡単に枯れてしまいます。なにしろ芽が出てきたと思ったらすぐに枯れちゃうのですから」
最近加わった春の花。冬の花。ストア産なら簡単に育生できるだろうと思ったのだが、あっさり枯れてしまった。育生するのが、難しい花だとわかり、神代さんに任せたのだが、見事に成功したようだ。
「効果は簡単です。交換するコアもランクが低くあまり期待はできませんでしたが、春の花はその花びらを煎じると6時間熱耐性微が付与されます。春の花には環境変化能力もあり、その周囲を25℃に保ちます。ですが、環境変化能力はそれほど強くなく、プラスマイナス5℃までの温度を変化させますね」
「………微妙な効果だな。夏にも冬にも意味がない。恐らくはその温度では」
「熱耐性微は数度の寒暖耐性を持ちますよ。なので、育てる苦労の割には価値がない。プラスマイナス5度の温度でないと、この植物は育たないので」
「ふむ……どんな意味があるアイテムなんだ? ダンジョン産の物はようわからんな」
戸惑う顔で父様が口を開くが、たしかにそのとおりだと思う。これは交換する価値がない。他になにか隠された効果があるのだろうか。
「この花は……似たような花が……火炎草に似ているんです。その地域を人の住めない炎の荒れ地に変える草です」
「たしか九州地方でそんな地域があったな……。その劣化版というわけか」
「見たこともない植物です。……ふふふ、とっても興味深い。僕が見たことがない植物……」
探究心の塊である学者の表情を浮かべて、神代さんはニヤニヤと笑う。
「ふむ、それではこれは引き続き春の花を調べてほしいが、優先度は下げてよろしい。それで冬の花は?」
「冷蔵庫に入れたら育ちましたよ。やはりプラスマイナス5度の環境でないと育たないようです」
「どちらも役立たずということか。無駄な労力であったか。所詮はEランク。では………本命だ。ロイヤルハニーと最高級砂糖。これはどのような効果があるのだ?」
Cランクのアイテム。ロイヤルハニーと、最高級砂糖。その効果はまだマナを宿しているのがわかっただけである。危険な効果かを調査させていた。
ではこちらへと、神代さんは考え込むのをやめて案内をするので後に続く。
またごちゃごちゃした倉庫みたいな場所を進む。少し整理すれば良いのにと、魔法陣の中に設置されている西洋の全身鎧を見て苦笑してしまう。
案内された先にはテーブルが置かれており、その上にマナの輝きを宿すガラス瓶が2つある。
黄金色の蜜がたゆたう蜂蜜と、輝くような純白の砂糖だ。ロイヤルハニーと、最高級砂糖である。
「これは簡単でした。ホットケーキを作っただけでわかりました。効果は少しだけ元気になると、少しだけ疲れがとれる。最高級砂糖が少しだけ元気になり、ロイヤルハニーが少しだけ疲れがとれます。あはっ、単純な能力ですよね。これも見たことがない……素晴らしい。ひと切れたべます?」
その横に置いてあるホットケーキ。三段重ねのホットケーキにはシロップがたっぷりとかかっていた。ロイヤルハニーと最高級砂糖を使ってあるのだろう。
少しだけ。その意味を今度は父様は理解した。顔を綻ばせると、後ろに控えていた護衛に視線で合図を送る。護衛は軽く頷くと外に出ていく。
「素晴らしい。それは健康になるということか?」
「元気になるというのが、抽象的すぎます。恐らくは活力を宿して活動的になるのかと。あと美味しいですね」
「ふむ……健康になるわけではないのか。元気に……」
「エロチックな意味ではないと思います。活力、即ちステータスに補正がかかるのだと思いますよ。テンション5%状態で常に戦えるといったところですか」
ふふふと可愛らしい微笑みを浮かべる神代さん。テンション5%? と疑問に思ってしまうが、なんとなく意味はわかる。僅かなれどステータスに補正がかかるのならば素晴らしい。
ホットケーキを美味しそうに食べる神代さんが、私にも食べる? とフォークを渡してくれるので、パクリと食べる。たしかに美味しい。作った人の腕も良いのだろうが、ふんわりとした舌触りに、甘さ控えめ。シロップをかけると、ホットケーキの味が際立つ。
それと共に身体から力が僅かに上がったのも感じた。これが僅かに元気になるということなのだろう。
「父様。これは素晴らしい物です」
「Cランクだからな、そう簡単には手に入らない代物だ。危険度が高すぎて、たかだか砂糖や蜂蜜のために兵士に中に入って攻略してこいとは命じられん。だが……」
腕組みをして、フンと鼻を鳴らし目を細める父様。ちょうどそのときに、護衛に呼ばれて待機していた軍人が中に入ってくる。
「源様。穴山大尉であります」
敬礼をしてくるのは、見覚えのない軍人の男だった。誰だろう?
「彼は穴山大尉だ。今後、ロイヤルハニーと最高級砂糖の調達に尽力してくれる」
「そんなものをどこで手に入れるんですか?」
Cランクコアと交換するアイテムを尽力? どこで手に入れるのだろうか?
「穴山大尉が廃墟街の男に伝手を作ってくれた。その男が持ってくる」
「金額はいくらなのでしょうか?」
「端金だ。それよりも、特殊な砂糖や蜂蜜が手に入る方が重要だ」
狡猾なる光を目に宿して、父様は嗤う。たしかに贅沢なことが好きな人間は多い。しかも身体から疲れがとれるとあれば……。
「Cランクの物をポンポン持ってくるのですか? あと、副作用はない?」
危険度の高いCランクの魔物を倒せる?
「大丈夫。そこは調査済みさ。薬じゃないんだよ」
神代さんが手をひらひらと振って自信有りげに言うので、大丈夫なのだろう。
「では、砂糖や蜂蜜は手に入れておくように、穴山大尉。あとは、だ。良いな、風香?」
了解しましたと緊張気味に敬礼をする穴山大尉を横目に、父様の言う意味がわかるので苦笑いをして頷く。
その男の背後関係を調べろということだ。即ち、少女の行方を調べておくようにとのことなのだろう。
どこを探せば良いのだろう。学園は調べきったと思うのだけど。
怪しいと思われる生徒たちにもう一度コンタクトをとってみるかと嘆息するのであった。