85話 水帝
湖ともいえよう広々とした水場。透明度の高い水は水底までしっかりと見える。その水場は常ならば穏やかな場所である。なぜならば、モニュメントのようにその場所に住む者たちは待機しているからだ。
だが、今はその穏やかな様相は変わっていた。水面は激しく波打ち、透明な水は真っ赤に染まっている。
そして、叫び声が響き渡っていた。
「ウォーリア、押し潰すのだ! 剣士を殺せっ」
その身に複雑で精緻な、それでいて不気味なイメージを抱かせる意匠を施された重厚なる鎧を身に着けた3メートルの体躯の者が、威厳のある声音で周囲へと指示を出していた。
人間ではない。その立派な兜の下にある顔は魚であった。鮫のようにゾロリと生えた牙を剥き出しに怒りの表情を露わに、魔法の光を宿す捻じくれた槍を振りかざしながら。
サハギンエンペラー。皇帝の名を冠する魔物だ。常に泰然としている強大なる魔物は眷属を指揮している。
『軍団創生』スキルにて創生している100匹のサハギン、大槍を持ち、スケイルメイルを装備している24匹のサハギンウォーリア、水魔法を得意とする杖を手にしている11匹のサハギンマジシャンを。
「ギャギャ」
膝上まである水による抵抗など、まったくないかのように、サハギンウォーリアは小さな丸太のような大きさと太さを持つ槍を翳して、サハギンたちを前面にし、エンペラーの指示どおりに突撃を始めた。
水面は波打ちたち、滑るように進むサハギンの群れが向かう先には、朧なる小剣を手に持つ少女が、美しい水晶のような煌めきを持つ漆黒の虎に跨っていた。
殺到するサハギンたちにも、動揺することなく待ち構えている少女。集団で槍を持ち刺し貫こうとするが、少女が乗る虎はバシャンと水を跳ねさせて、後ろへと跳びのく。
間合いをとった敵を追いかけようとするサハギンたちだが
『水息吹』
後ろから飛んできた細い水晶のように圧縮された水のブレスが、レーザーのようにサハギンたちの身体を通り過ぎ薙ぎ払う。
一撃でサハギンたちは身体を分断されると水に落ちていき、赤く水面を染める。
「蛟ってのは強いもんだぜ。戦車よりも強いんじゃないのか?」
少女たちのさらに後ろには巨大な体躯を持つ水晶の透明さをみせる蛟がおり、その頭の上に黒ずくめの男が立っていた。
「ちー」
ハツカネズミのような可愛らしい鳴き声を蛟はあげて、再びブレスを吐く。レーザーのようなブレスは次々とウォーリアやサハギンをなぎ倒していくが、サハギンエンペラーは黙ってその様子を眺めてはいない。
『水帝壁』
まるで生き物のように水面が蠢き、撃ち出されたブレスの前にスライムのように動き受け止める。ブレスはその壁を貫くが、威力を無くし水鉄砲並みの勢いとなってしまう。
マナのたっぷりと籠もった水は、あらゆる敵の魔法を相殺する。ブレスを阻んだとサハギンエンペラーは安堵するが、作り出された水へと漆黒の虎に乗った少女が飛び込んで、そのまま内側に入り込むと、剣身を朧のように伸ばしヒュンと風切り音をたてて振るう。
『円陣剣』
銀線が空中に幾条も奔り、サハギンたちは切り裂かれていく。前衛が崩壊したことに歯噛みをしながら、エンペラーはマナを使う。
『軍団創生』
魔法陣が描かれると、水面が泡だち、サハギンたちが新たに生み出される。サハギンエンペラーの『軍団創生』スキル。常に100体のサハギンを創生するスキルにより、サハギンエンペラーは敵を数で押し潰せるのだ。
「軍団創生スキルだと、無限雑魚稼ぎができそうですね。亀を何回も踏んで99機まで無限アップをするよりも簡単そうです」
漆黒の虎に乗った少女が、剣を振るいながらサハギンたちを倒していく。サハギンたちは『水足』スキルを持ち、水の抵抗なく移動することができる。そのスピードは、地上の動物たちなどとは比べ物にならない。
『加速脚』
だが、闘技を使い駆け回る漆黒の虎を捉えることはできず、その背に乗る少女は類稀なる剣の腕で着実にサハギンたちを倒していく。
「マジシャンたち。魔法にて女の足止めをせよ。足止めを」
後方にて待機しているサハギンマジシャンたちへと指示を出すが、その言葉が途中で止まってしまう。
空中から魔法の槍が飛来してきて、眷属たちを次々と撃ち抜いていた。高速で飛ぶ炎、氷、影、マナの槍はそれぞれ複雑な軌道にて飛び回り、サハギンたちの『魔法破壊』を躱して攻撃を仕掛けていた。
「いつの間に魔法を!」
水帝壁は未だに効力を保ち、魔法使いの射線を塞いでいる。それであるのに、壁を越えて現れた魔法の槍に驚き動揺してしまう。
『水棘地』
壁向こうから、強大なマナのうねりが感じられて、少女を倒さんとする眷属たちの足元から細く針のように尖った水の棘が発生すると串刺しにしていく。
あの蛟が壁越しに魔法を使ったのだと理解はできるが、納得はできない。水圧帝壁は水のマナの塊。遠隔で魔法を発動させようとしても、そのマナの流れ自体をせき止めるので発動は不可能のはずなのだ。
「いったい全体どうやって?!」
目を凝らして、『マナ感知』を発動させて敵の秘密を探ろうとする。そして気づいた。水壁の水面の下から敵のマナが通り過ぎていると。しかし、水面の下も水帝壁の範囲内のはずと疑問に思い、透明度の高い水中を見つめて気づいた。
「鉄パイプ? 小賢しい真似を!」
水面の下には鉄パイプが向こう側からこちら側まで設置されていた。いつの間にと疑問を抱くが、敵がサハギンエンペラーの水帝壁を予測していたのは明らかだった。
鉄パイプの中にマナを通して魔法を発動させている! 水帝壁の効果を知っているのだ。一定時間、魔法や物理的攻撃を阻む無敵の障壁。だが、最初から鉄パイプが設置されていれば、それは影響を受けない。
周りを見渡すと、水面の中にいくつもの鉄パイプが敷かれていた。壁を通り抜けられるぐらいには長い。
己の部屋で、罠を張るとは小生意気なと、憤怒に支配されるサハギンエンペラーであったが、水帝壁はまだ効果を失ってはいない。あれが消えるまで新たに水帝壁を発動はできない。眷属たちはその間にどんどん数を減らしていっている。
そうして大混乱となる戦いの中で、少女が虎の背を蹴り、空中へと飛翔するとサハギンエンペラーまで接近してくる。
『朧水一閃』
『水帝転換槍』
少女が闘技を使い、朧の一閃を振り抜くと同時にサハギンエンペラーも手に持つ槍を回転させる。
水に覆われたサハギンエンペラーの槍は回転することにより、障壁を作りだし、少女の攻撃を弾き返す。
「ギョギョ、余を舐めないでもらおうか」
『水帝散弾』
防御した際に飛び散った無数の水滴が、サハギンエンペラーの魔法にて弾丸となり少女を襲う。
『闘気燃焼』
少女は飛来する散弾を回避しきれず、腕をクロスさせて闘技にて対抗する。散弾は少女の前で速度を落とすが、そのまま止まらずに身体へと命中させて、穴だらけとした。
倒れるかと思った少女だが、散弾により吹き飛ばされた反動を利用して後ろへと回転して立ち直ると、ふふっと楽しそうに嗤う。
「サハギンエンペラー。その能力は『軍団創生』と水帝魔法を使いこなし、槍の腕も高いこと。ゴブリンキングと違い、味方を一人で操作はしない。だからこそ、予想外の動きをしますし、単体の攻撃力も極めて高い。まな板の上で、ぴちぴち跳ねていれば楽勝だったのですが、戦いが楽しいので良いでしょう」
どうやら服は穴だらけとなったが、致命傷までは負わせることができなかったと、サハギンエンペラーはギョロ目で少女を睨む。
「シッ」
呼気を鋭く吐き、少女がエンペラーへと迫ってくる。剣を横薙ぎに振るってくるのを、槍にて受け止めてくるりと回転させて、その攻撃を流し、石突にて突く。だが少女は体勢を立て直しており、引き戻した剣で弾いてくる。
「ギョギョ」
すぐに槍を回転させて、滑らかな動きで叩こうとするが、小剣へと戻した少女は槍へと剣先で絡めると、その軌道をそらす。
「人間めっ。なかなかやるが、水場であったのが、貴様の敗因だ」
見たところ、腕は良いがパワーもスピードも自身より劣る。そして水の抵抗なく動けるサハギンエンペラーは、水に足を取られる人間よりも遥かに素早く動けるのだ。
下からの叩きから、引き戻しての突き、防がれると理解した瞬間に連撃へと変える。鋭い連撃を強い踏み込みと共に撃ち出すと、回避しきれずに敵の身体は傷つき、鮮血が舞う。
敵の剣の腕は高い。だが、水場に入ったことが、サハギンエンペラーの支配する部屋に入ったのが間違いなのだと、勝利を確信して、さらに鋭い突きを連続で繰り出すと、いよいよ少女は防ぎきれずに体勢を崩す。
「勝った! 『水帝螺旋撃』」
槍の穂先に猛回転する水流を作りだし、強く踏み込み、トドメの一撃を繰り出そうとして
パクン
目の前が真っ暗となった。頭が牙で食い込まれているとサハギンエンペラーはその痛みから気づき、慌てて逃れようと暴れるが遅かった。
「サハギンエンペラー。その弱点は統率スキルがないこと。即ち、貴方は皇帝だと名乗っているのに、武人としての特色が強すぎるのです。強敵を前に一騎打ち。夢中になるのは将軍までです。皇帝としては貴方は失格ですね」
淡々と少女の声が聞こえてくる。
サハギンエンペラーが戦っている間に、サハギンたちは散り散りとなり、いつの間にか水帝壁は効果を失い消えていた。そうして蛟がこっそりと迫り、頭に齧りついてきたのだ。
「グカッ! ひ、卑怯な!」
「お前さん、軍勢でたった2人を倒そうとしているのに、よくそういうことを言えるよな」
ミシミシと頭が砕かれそうな軋む音の中で男の呆れる声が聞こえてきて
『凝集4連槍』
身体に強力な魔法槍の4連撃を受けて、サハギンエンペラーはその身体を粉砕されてしまうのであった。
「さてと、残りの魔物を倒して、初めてのCランククリアといきますか。水場のダンジョンも楽で良かった良かった」
防人はサハギンエンペラーを倒せたことに安堵して息を吐く。その様子にニコリと雫は微笑み返す。
「マップさえわかれば、ボスまで1時間程度で辿り着けますからね。作戦どおりにいってよかったです」
雫のたてた作戦。影蛇に密かに持たせた鉄パイプを水中に設置する。必ずサハギンエンペラーは水帝壁を使うので、鉄パイプの中から魔法を通過させて攻撃すれば不意打ちになるだろうというものだった。
後は、サハギンエンペラーと雫の一騎打ちに持ち込んで、隙あらば攻撃である。単純だが効果的であったようだ。
防人は蛟に残りのサハギンたちを倒すように命じるが、疑問に思ったことを尋ねることにした。
「雫さんや、マミった作戦ってなぁに?」
「古来、敵の頭を狙うことをそう言うんです」
「絶対嘘だろ、それ」
ムフンと胸を張る雫だが、嘘くさいとジト目になってしまう防人。でも、ダンジョン攻略はできたから良かったかと満足するのであった。