82話 角鹿
丘向こうから5メートルぐらいのヘラジカが走ってきていた。大きさ以外は普通のヘラジカだ。ただし、その身に宿るマナと闘気の強大さを気にしなければ。
そして一歩で10メートルを進む異常な速さを見せなければ。
『大ヘラジカですね。ソロタイプでDランク。カンストしていると思われます。能力は植物操作と角による攻撃、そして身体能力の高さが特徴です』
鹿の毛皮に、雄鹿の立派な角。見事な体格。大きさだけ変だ。だが、ソロでもDランクなら、今の俺なら楽勝だろう。
『蛟は水場から離れたので、大幅に弱体化しましたが、大ヘラジカは適正地形です、強いですよ。陸上専用機なので蛟より』
楽勝どころではないらしい。マジかよ。
「ジープを壊されたらたまらないんだが」
慌ててジープから降りて、手のひらにマナを集中させる。あんな化け物の突進を受けたら壊れちまうだろ。おろしたてなんだぞ、まだローンも残っているかもしれないんだぜ。
『魔法硬化盾』
理力の指輪を発動させて、俺の魔闘技を付与した障壁を作り出す。あっという間に距離を詰めて、頭を地までつけるように下げて角を突き出してくる大ヘラジカ。
「名前が安直すぎませんかね、雫さんや」
『大ヘラジカを初めて見つけた人はネーミングセンスが微妙な人だったんです』
「そりゃ残念」
大ヘラジカへと手のひらを向けて、ニヒルな笑みで魔法を発動させる。
『凝集火炎槍』
マグマのように光り輝く高熱の炎の槍が生み出されて、俺は大ヘラジカへと射出する。火の粉を撒き散らして、通り過ぎる空間を熱して歪ませながら大ヘラジカへと迫っていく。
だが、大ヘラジカは火炎槍に気づくと、前足を地につけて急停止すると、瞬時に魔法を発動させる。
『植物障壁』
草むらがざわざわと蠢き伸びていき、迫りくる火炎槍に絡みつく。草を燃やしていき灰へと変えるが、次々と草は絡みつき炎の槍はそのたびに小さくなっていき、大ヘラジカの間近で消えてしまった。
「こいつっ! なかなかやりやがるな!」
『多段障壁ですよ。マナの量により複数の障壁を発生。敵の攻撃を減衰させていくんです。突破された場合、ダメージを受ける可能性はあるので、腕に自信がないと危険な魔法でもあります』
マジかよ、そんな魔法もあるのね。
最近では防がれることがなかった自慢の魔法だが、あっさりと防がれて驚く。と、同時に角を下げて再び突進してくる。
『突進』
闘気の紅いオーラに覆われた角が俺の障壁に当たり、ミシリとヒビを入れるのを見て舌打ちする。
「硬い角だこと!」
嫌な予感がして、横っ飛びに躱すと同時に障壁は砕かれて、巨大な角が向かってくる。躱すのが一歩遅く、肩に角が引っ掛かり、服が破けて肉が切り裂かれ、鮮血が舞う。
久しぶりのダメージかもなと転がりながら、魔法を発動させる。
『氷結槍』
凝集させるのには魔法のタメが足りないため、普通の氷結槍として射出させるが、冷たき槍を地面を爆発させるような踏み込みで、大ヘラジカは横っ飛びに躱してしまう。
『植物障壁』
すぐさま植物の障壁を生やして、氷結槍は絡め取られて力を失って消えてしまった。
『影槍』
『魔法槍』
両手で魔法槍を使い射出するが、大ヘラジカはジグザグに後ろに下がって植物障壁を作り出す。
高速で動く槍も、網のように生え育つ植物の障壁を前には力を失う。何しろ触れば力を失っていくのだ。
『魔法、闘気の力で作り出した障壁は、同じく魔法、闘気で消されます。銃弾に対しては硬いですが、闘技には要注意です』
「そういやそうだった。兵士と戦って少し勘違いしてたな」
物理攻撃に対しては鉄の塊のような障壁だが、闘技などの前には相殺されるんだった。マナエネルギーがなくなった角はその質量と運動エネルギーだけが残ると。
結構痛い。あの巨体だからな。
『防人さん、私が代わりましょうか?』
心配げに聞いてくる雫さん。たしかに雫なら簡単に倒せる相手かもしれない。
「いや、いい。たしかに相性が悪いが、固定砲台でも獣タイプに勝てないとこれからは厳しいだろ?」
迷いもせずに即座に答える。ソロのレアタイプ? Cランク相当の魔力を持つ俺が、Dランクで逃げたくはないね。
『影法師』
影法師の本来の使い方をする。マナの力は影の人型を作り出す。ゆらりと俺の周りに俺そっくりの影が無数に生み出された。
「大ヘラジカさん、鬼さんこちらってか」
影法師たちと共に、手をひらひらと動かしてにやりと笑う。その様子に大ヘラジカは一瞬戸惑い脚を止めるが
『加速脚』
大ヘラジカは加速すると、残像を残してジグザグに移動してくる。踏みこむたびに、残像がそこに残る。
雫のよく使う闘技だ。こいつ、躊躇いも見せずに使用するところを見ると、闘技法効率変換スキルを持っていやがるな。
『魔法剣雨』
速度で勝る敵には手数だよなと、俺は複数の短剣を生み出して、大ヘラジカへと嵐のように撃ち出す。
『硬化皮膚』
躱しきれないと悟り、肌を硬化させて対抗する大ヘラジカ。短剣はその硬化された肌に命中はするがかすり傷一つで終わってしまい、さらには角を向けて突進してくる。こいつ、硬すぎだろ。
『突進』
闘技による突進で、大ヘラジカは佇んでいる防人の身体を貫く。だが、手応えはなく、防人の身体は虚ろの如く揺らぐと消えていく。
分身だと気づいた大ヘラジカはすぐに地を蹴り鋭角に移動して、再度分身している防人に頭を向ける。
「影法師とは俺の分身なんだ。さて、どれが本物かわかるか?」
おどけるように肩を竦めて、からかうように、手のひらをひらひらとさせる。
大ヘラジカは姿形は鹿ではあるが、その本性は魔物である。スペシャルの魔物に相応しくその知力は高い。そのため、相手の行動に苛つきを覚えもする。
獣であって、獣でない大ヘラジカは、敵を倒すための選択肢を選ぶ。分身を見破る方法はたくさんある。分身を消すために、マナか闘気を周囲に撒き散らす。だが、その方法は気配を散漫にするというデメリットも存在する。獣の特性を持つ自分には不利となる可能性があるのだ。
そのため、もう一つの技で看破することに決めた。
『マナ感知』
目にマナを込めて、敵の姿を確認する。マナの大きさを確認する魔法だ。その力により、草原に佇む男のマナ量が看破できた。
小さいマナの中で、一人だけ大きなマナを宿している人間がいる。それが本体だと看破した大ヘラジカは一気にけりをつけることとした。
『加速脚』
『闘気角撃』
闘気を込めて、自らの角を全てを貫く一撃と化す。大地を強く蹴ると、大ヘラジカの残像が残り防人へと突撃する。
さらに加速して紅いオーラを角に纏い、もっとも大きなマナを持つ本体へと突き刺してきた。瞬時に防人の胴体に槍のような角は突き刺さり、その身体は力をなくすのであった。
大ヘラジカは持ち上げて勝利の雄叫びをあげようとして、ぎょっと驚く。
なぜならば突き刺して殺したと思われた防人が溶けるように消えてしまったのだ。
ギョッとする大ヘラジカだが、遠くから男の声が聞こえてくる。振り向く先には黒ずくめの男の声が。
「残念。そこには最初から俺はいなかったんだ。そして俺はこの平原を保全するつもりはないんだ。つまり」
『凝集火炎輪』
影転移にて移動しておいた俺はパチリと指を鳴らす。そうして、俺の周りに光り輝く高熱の炎が輪に広がっていき、草むらを灰へと瞬時に変えていく。
「面倒くさい敵だが、蛟のように地形を変えれば良いんだろ?」
植物障壁。たしかに凄まじい魔法障壁だ。正直使ってほしくない。マナを減衰させるなんて障壁は魔法使いにとっては致命的だ。だが、多段魔法って、操作が難しくてあんなに瞬時に連続で使えるはずないんだよ。
ようは、水場と同じだろ。草むらが水の代わり。
大ヘラジカは頭を下げて、再び突進の構えをとり突進してくる。だが、申し訳ないがもう魔法使いの間合いだ。
『凍って尖れ』
腕をひと振りさせて、魔法を発動させる。氷の事象を大地に染み込ませると、大地の水分を凍らせて、尖った氷の棘が生え始めた。焼け野原となった空き地は凍れる棘の生えた荒れ地となり、大ヘラジカは自分の周囲が変貌したことに、僅かに後退った。高さは10センチ程度だが、一面を覆うその鋭い棘の絨毯は大ヘラジカの歩みを止めるのに充分であろう。
「傷だらけになっても、攻撃してくることをお勧めするぜ」
マナを手のひらに集めて、魔法を発動させる。
『凝集火炎槍』
『凝集氷結槍』
『凝集影槍』
『凝集魔法槍』
4つの魔法の槍を生み出して、宙に浮かせて、大ヘラジカを見つめる。
「さて、お前のマナと俺のマナ、どちらの残量が多いか試そうぜ」
指をパチリと鳴らすと目を細めて、口元を曲げてみせる。ハードボイルドに行こうぜ。
「なぁ、このヘラジカって食べられると思うか?」
数分後、大ヘラジカは穴だらけとなり倒れ伏していた。氷の絨毯は大ヘラジカの動きを鈍らせたようで、空中を高速で飛び回る槍を回避することはできなかった。
胴体にサクサク刺さり、大ヘラジカは耐えきることはできずに地面に倒れ伏していた。もはやピクリとも動かない。
『ここまでぐちゃぐちゃだと食べられないと思いますよ? とりあえず頭は鉛の箱に入れて封印しましょう』
「まぁなぁ。魔法攻撃の弱点だよな。なんで頭は封印?」
雫さんの言うとおり、大ヘラジカは焦げて、凍って、穴だらけになっていた。タフな上に素早かったから倒すのに苦労したし、手加減できなかったんだよな。頭を封印することはなにか意味あるのか? 帝にプレゼントですとか言っているので、またいつもの冗談の模様。
「駄目か……。お前食べる?」
狼たちを倒して、お座りで尻尾をフリフリと振っているミケへと問いかける。
「みゃん」
ミケはニャンニャンと倒れている大ヘラジカの死骸に近寄ると、胴体にかぶりつく。他の影虎は興味なさそうに、地面の上に寝そべってあくびをしていた。
なぜかミケだけが死骸に興味があるようだった。食いしん坊かな?
しかし、のんびりと其の様子を眺めていたら、ミケは胴体からなにかを咥えて、てこてこと歩いてきた。
ぽとんと俺の目の前に落としたのは、コアだった。スペシャルコアだ。
「これで何をしろと?」
「みゃんみゃん」
猫パンチでぺしぺしとコアを叩くミケ。その顔はなにかを訴えている。というか、もしかして?
「幻想の楔を使ってほしい?」
「みゃん」
頭が良すぎる猫だな……。ミケって使い魔っぽくないよな。
ま、良いか。
「この草原の駆逐も必要だし、使い魔から昇格といきますか。でも、マナが回復してからな」
万全の状態で作りたい。結構マナを失っちまった。もう残り200程度しかマナは残っていないし、それに疲れた。
「とりあえず家に帰るか……ちょっとダメージも負ったしな」
肩の傷も痛い。いったんチェンジして回復する必要があるだろう。